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後日譚
「フリードリヒ」第2話
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セラフィーナは、穏やかに、だがどこか影を感じさせる笑みを浮かべていた。
「もちろん……それだけではない何かが、私には想像もできない真実がそこにはあるのでしょう。ですが、ずっとあなた様を見てきた私には分かるのです。あぁ、あなたの恋もまた、終わってしまったのだ、と」
フロスティホワイトの髪が生暖かい風になびく。セラフィーナは自らの髪を丁寧に押さえ、緩慢に開眼した。見事なまでのゴールド。月の輝きにも負けぬ金色の瞳は、悲愴に濡れていた。
「また……? これまでもそういった事例を見てきたかのような口ぶりですね」
フリードリヒは、冷たく吐き捨てた。聖人の如く広い心を持ち、誰にでも優しい対応を心がけている彼からは想像もできない、まさしく氷のような反応であった。
あなたに何が分かるのだと、フリードリヒはセラフィーナを責め立てたい衝動に駆られる。事前の連絡もなしに訪ねてきた挙句、どこからか聞きつけた噂を話題に出し、煽り散らかすなど、百歩譲ってもセラフィーナが悪いだろう。
フリードリヒは彼女を相手にしたくないと、その場を去ろうとする。
「私も、そうですから」
セラフィーナの思いがけぬ一言に、フリードリヒは立ち止まる。
「私も、そうなのです。私もまた、ひとりの殿方に恋をして、惨敗した人間です」
声が震えないようなんとか耐えている様子であるが、それでも若干震えてしまっている。最近の出来事なのだろうか。思い出してしまえば辛くなるほど、記憶に新しいのかもしれない。それでもセラフィーナは、フリードリヒが抱える闇に、必死に寄り添おうとしてくれている。フリードリヒは、踵を巡らせる。彼女と、真っ向から対峙した。
「ですが、自分のことを哀れだとは思いません。恋をした私も、恋を叶えられなかった私も」
セラフィーナの双眸が、太陽光に煌めく。
「勇敢でしたから――」
強き、一言。
己の意志に、思いに、なんの迷いもない。
セラフィーナの勇者たる言葉に、フリードリヒは胸を締めつけられる。
そう、無駄ではなかった。決して、無駄ではなかった。いつかロゼに面と向かって、「出会ってくれてありがとう」と伝えたいと思うくらいには、フリードリヒも自身のロゼへの気持ちを尊重している。しかし、いつか、とあるように今はまだ心のどこかで自分の気持ちや選択は間違いだったのだと思い込んでしまっている節がある。その迷いを、思いを、セラフィーナの一言が断ち切ってくれたようであった。
普通の恋愛話とは違い、フリードリヒの恋愛は美談で終わらせられるものではない。だがしかし、過去の自分も今の自分もろくに認められない人間が、未来の自分のことなど信じられるはずもない。いつかはロゼに伝えたいという気持ちも、そもそも自分の過去を今をそして罪を受け入れられていない人間が、伝えられるはずがないのだ。
決して、許しを与えるのではない。ただ、少しは認めてやってもいいのではなかろうか。ロゼを一途に想い続けた自分のことを、間違いだと知りつつも彼女への愛情を歪めてしまった自分のことも――。
「あぁ……まだ、あなたも泣くことができるのですね」
セラフィーナは小粒の涙を流しながら、微笑んだ。彼女の指摘を受けてフリードリヒはようやく自身が涙している事実に気がついたのであった。
「傷の舐め合いは求めていません。失恋に苦しむあなた様を横からかっ攫おうとも思っていません。ただ、ひとつだけ、伝えさせていただきたいのです」
失恋に苦しむフリードリヒを横からかっ攫う。その言葉に、フリードリヒは大きな違和感を抱いた。
セラフィーナが息を吸って、口を開く。
「ずっと、お慕い申し上げておりました」
風が吹き荒れ、花弁が宙を舞う。セラフィーナがまとう淡い水色のドレスの裾がふわりと浮いた。彼女の頬は、赤い。羞恥を感じながらも紅涙を絞る美しい姿に、フリードリヒは暫し見惚れる。
「…………えっ!?」
ふと我に返ったフリードリヒは、叫び声にも似た声を上げた。セラフィーナの気持ちが不快だったわけでもない、ただ単純に驚愕していたのだ。
確かにセラフィーナとは、何度か公の場を通じて顔を合わせたことがある。仲良いかと聞かれても、赤の他人かと聞かれても、首を横に振る、そんな曖昧な関係、知り合い程度の関係性だ。それなのに彼女は、フリードリヒを好きだと、ずっと慕っていたと口にした。恋をするタイミングなど、その原理など、誰にも分からぬものだ。
フリードリヒが呆気に取られる中、セラフィーナはひとり笑う。
「今日はそれをお伝えしに来ました。聞いてくださり、ありがとうございました。次お会いする時は、ただの知り合い……いいえ、友人として、お会いできたら嬉しいです」
深く一礼をすると、フリードリヒの返事も待たぬまま、立ち去ってしまった。どうやらセラフィーナは、明確な答えを求めるのではなく、単純に想いを伝えたかっただけらしい。ではなぜ、わざわざ伝えたかったのか。己の気持ちに区切りをつけるためだと、フリードリヒが理解した頃には、既に日が暮れてしまっていたのであった。
なんの変哲もない一日。
いつもと変わらない日常。
しかし明日は、新しい日常が始まるのだと、なぜか、そんな気がした。
「もちろん……それだけではない何かが、私には想像もできない真実がそこにはあるのでしょう。ですが、ずっとあなた様を見てきた私には分かるのです。あぁ、あなたの恋もまた、終わってしまったのだ、と」
フロスティホワイトの髪が生暖かい風になびく。セラフィーナは自らの髪を丁寧に押さえ、緩慢に開眼した。見事なまでのゴールド。月の輝きにも負けぬ金色の瞳は、悲愴に濡れていた。
「また……? これまでもそういった事例を見てきたかのような口ぶりですね」
フリードリヒは、冷たく吐き捨てた。聖人の如く広い心を持ち、誰にでも優しい対応を心がけている彼からは想像もできない、まさしく氷のような反応であった。
あなたに何が分かるのだと、フリードリヒはセラフィーナを責め立てたい衝動に駆られる。事前の連絡もなしに訪ねてきた挙句、どこからか聞きつけた噂を話題に出し、煽り散らかすなど、百歩譲ってもセラフィーナが悪いだろう。
フリードリヒは彼女を相手にしたくないと、その場を去ろうとする。
「私も、そうですから」
セラフィーナの思いがけぬ一言に、フリードリヒは立ち止まる。
「私も、そうなのです。私もまた、ひとりの殿方に恋をして、惨敗した人間です」
声が震えないようなんとか耐えている様子であるが、それでも若干震えてしまっている。最近の出来事なのだろうか。思い出してしまえば辛くなるほど、記憶に新しいのかもしれない。それでもセラフィーナは、フリードリヒが抱える闇に、必死に寄り添おうとしてくれている。フリードリヒは、踵を巡らせる。彼女と、真っ向から対峙した。
「ですが、自分のことを哀れだとは思いません。恋をした私も、恋を叶えられなかった私も」
セラフィーナの双眸が、太陽光に煌めく。
「勇敢でしたから――」
強き、一言。
己の意志に、思いに、なんの迷いもない。
セラフィーナの勇者たる言葉に、フリードリヒは胸を締めつけられる。
そう、無駄ではなかった。決して、無駄ではなかった。いつかロゼに面と向かって、「出会ってくれてありがとう」と伝えたいと思うくらいには、フリードリヒも自身のロゼへの気持ちを尊重している。しかし、いつか、とあるように今はまだ心のどこかで自分の気持ちや選択は間違いだったのだと思い込んでしまっている節がある。その迷いを、思いを、セラフィーナの一言が断ち切ってくれたようであった。
普通の恋愛話とは違い、フリードリヒの恋愛は美談で終わらせられるものではない。だがしかし、過去の自分も今の自分もろくに認められない人間が、未来の自分のことなど信じられるはずもない。いつかはロゼに伝えたいという気持ちも、そもそも自分の過去を今をそして罪を受け入れられていない人間が、伝えられるはずがないのだ。
決して、許しを与えるのではない。ただ、少しは認めてやってもいいのではなかろうか。ロゼを一途に想い続けた自分のことを、間違いだと知りつつも彼女への愛情を歪めてしまった自分のことも――。
「あぁ……まだ、あなたも泣くことができるのですね」
セラフィーナは小粒の涙を流しながら、微笑んだ。彼女の指摘を受けてフリードリヒはようやく自身が涙している事実に気がついたのであった。
「傷の舐め合いは求めていません。失恋に苦しむあなた様を横からかっ攫おうとも思っていません。ただ、ひとつだけ、伝えさせていただきたいのです」
失恋に苦しむフリードリヒを横からかっ攫う。その言葉に、フリードリヒは大きな違和感を抱いた。
セラフィーナが息を吸って、口を開く。
「ずっと、お慕い申し上げておりました」
風が吹き荒れ、花弁が宙を舞う。セラフィーナがまとう淡い水色のドレスの裾がふわりと浮いた。彼女の頬は、赤い。羞恥を感じながらも紅涙を絞る美しい姿に、フリードリヒは暫し見惚れる。
「…………えっ!?」
ふと我に返ったフリードリヒは、叫び声にも似た声を上げた。セラフィーナの気持ちが不快だったわけでもない、ただ単純に驚愕していたのだ。
確かにセラフィーナとは、何度か公の場を通じて顔を合わせたことがある。仲良いかと聞かれても、赤の他人かと聞かれても、首を横に振る、そんな曖昧な関係、知り合い程度の関係性だ。それなのに彼女は、フリードリヒを好きだと、ずっと慕っていたと口にした。恋をするタイミングなど、その原理など、誰にも分からぬものだ。
フリードリヒが呆気に取られる中、セラフィーナはひとり笑う。
「今日はそれをお伝えしに来ました。聞いてくださり、ありがとうございました。次お会いする時は、ただの知り合い……いいえ、友人として、お会いできたら嬉しいです」
深く一礼をすると、フリードリヒの返事も待たぬまま、立ち去ってしまった。どうやらセラフィーナは、明確な答えを求めるのではなく、単純に想いを伝えたかっただけらしい。ではなぜ、わざわざ伝えたかったのか。己の気持ちに区切りをつけるためだと、フリードリヒが理解した頃には、既に日が暮れてしまっていたのであった。
なんの変哲もない一日。
いつもと変わらない日常。
しかし明日は、新しい日常が始まるのだと、なぜか、そんな気がした。
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