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後日譚
「ダリア」第1話
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ロゼがドルトディチェ大公夫人となってから数ヶ月。晩夏の香が漂う。
大公の妻という最高級の地位についたロゼは、結婚直後、代々の大公夫人が住まう宮に移り住んだ。ドルトディチェ先代大公の妻でありユークリッドの母でもあった女性が亡くなってから、長年使われていなかった宮は、端から端まで美しく清掃されていた。
後宮は、正妻とは別、愛人たちが住んでいる。当たり前であるがユークリッドの愛人はいないため、少し前まで盛んであった後宮は、今は幽霊屋敷と化していた。そんな場所にて、ロゼはとある一室の整理整頓を行っていた。侍女のリエッタから整理整頓は使用人の仕事だと渋られたが、ロゼは首を横に振り続けた。結果ロゼが見事に、粘り勝ちをしたのだ。
彼女がいる部屋は、ダリアが生前、住んでいた一室。家具は一級品で揃えられ、専用の衣装室も化粧室も存在していることから、ドルトディチェ先代大公はダリアのことを心から愛していた事実が窺える。
「娼婦から大公の愛人にまで昇格して……余程裕福な暮らしを送っていたのね」
ロゼは周囲に誰もいないのをいいことに呟く。
一介の娼婦から大公家の愛人にまで上り詰めたとは、実例も少ないのではないだろうか。正式な大公夫人とまではなれなかったが。ダリアならその座までも手に入れたいと思いそうなところであるが、案外弁えていたらしい。先代大公の愛人誰もが羨む寵妃となってもなお、さらに高望みをするとは、罰当たりだと自制したのだろうか。実際は高望みをしていたのかもしれない。だが、聡明かつ美しい人であったドルトディチェ先代大公夫人の後釜としてはふさわさくないと先代大公に判断されたのか。真相は、分からない。しかし、これだけは言える。
「愛されていたのね……お母様」
ロゼがユークリッドに愛されているのと同じように、ダリアもドルトディチェ先代大公に愛されていたのだ。深く、深く。身に余るほどの、受け取ることができないほどの、多くの愛を。
ダリアが使っていたと思わしきテーブルの上を整頓していく。意外にも、綺麗だ。彼女は、ああ見えて、綺麗好きだったのだろうか。ロゼは実感をする。ダリアという人間を、母親を、何ひとつとして知らないと。だからと言って悲しいわけではないが、モヤッとした感情は存在する。胸にできた蟠りを感じていると、ふと一番下の引き出しに目を奪われる。身を屈め、引き出しを引く。するとそこには、一冊の本が目に入った。それを手に取り、ゆっくりと開く。それは、本ではなく、日記であった。日記と言っても日時は書かれていない。行き場のない気持ちを吐き出すためだけのノートであった。
ダリアの直筆で記された日記。ロゼはいけないと思いつつも、興味をそそられてしまった。
『今日もいつもと同じように働いた。もう、心が折れそう。両親が残した借金を払い終わるまで、あと十年。収入の八、九割は店と借金の返済にあてないといけない。なんとか、頑張らないと……』
『今日は、とてもかっこいい人と出会った。ストロベリーブロンドに淡い色味の瞳が綺麗な人。他国から視察として帝国を訪れているらしい。明日もお店に来てくれるって』
『とうとう私にも春が来たのかしら。毎日あの人のことしか考えられない。借金もお店も何もかも投げ出して、あの人と一緒に逃げてしまいたい』
『あの人が言ってくれた。絶対に迎えに来るって。私の借金を返済できるだけのお金と、身請けできるほどの大金を稼いでくるから、待っていてほしいって……。その言葉を信じたい』
『あの人が国へ帰ってしまってからどれくらい経ったのかな。私のお腹には赤子がいる。誰との子かは分からない。けど、あの人の子だと、思う。その可能性にかけて、お店にも雑用係をする代わりにこの子は産ませてほしいと土下座をした。なんとか許してもらえてよかった』
『雑用係は思っていた何倍も辛い。部屋の清掃から、洗濯、食事の用意、娼婦たちの世話、買い出し。あぁ、体も心もボロボロだわ。でも頑張らないと、頑張らないといけない』
『今日も辛い。もう少し』
『早産をしてしまった。もうこれは駄目だと思った。でも、なんの因果か、通りがかった医者の治療により、なんとかこの子は生きている。神様が助けてくれた。ストロベリーブロンドの髪色、あの人と同じ髪色の、愛しい我が子。ロゼ』
『まさか、こんなにも大変だとは思わなかった。体を売りながら、子を育てる。体力的にも精神的にはすり減っている。店は、前以上に私に働くことを強要してくる。子の食事の面倒は見てはくれないから、私がなんとかしないと。借金の取り立ても激しくなってきている。ロゼを借金の返済にあてても構わないと言ってきた。そんなこと、するわけない。許さない。私と同じ目には、遭わせない。この子は私とあの人の子なんだから』
『毎日毎日、働く日々。ロゼには満足に食べさせてあげることができない。時々店から食料を盗むけども、何度かバレてしまってその分のお金も返さないといけない』
『もう、死にたい。でも死ねない。ロゼのためには、死ねない。あの人が来るまでは、死ねない』
『偉い人が私の元にやって来た。血の色の目が綺麗。貴族の中でも上位の人らしい。その人は毎日毎日私の元にやって来て、口説いてくる。借金の肩代わりと身請けをさせてほしい、と』
『また今日も来た。今日は、ロゼを引き合いに出された。この人に嫁げば、ロゼも私も苦しむことはない。もう、潮時なのかもしれない。あの人の言葉を信じ続けて十数年が経った。ごめんなさい、もう待てないよ……』
『大公家に来て、ロゼは幸せなんだろうか。今日もまた、狙われたと聞いた。無事なの? ロゼ』
『最近、心にも生活にも余裕が出てきたせいか、よく考えるようになった。ロゼにとって自分は最低の母親だったんだろうなって。毎日を生きることに必死だったけど、もっと、あの子のことを気にしてあげればよかったのに。ごめんなさい』
『私、頭が良くないから分からないの。ロゼのためにがむしゃらに頑張ったけど、ちっともあなたのためにならなかったわね。ごめんなさい、ごめんね』
行き場のない感情を吐き捨てた場所。ドルトディチェ先代大公にも、誰にも言えなかったダリアの本音。
震える指先で、最後の一ページを捲る。
『目を治してくれて、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。私の娘だとは思えないくらいに、特別なあなた。神様、どうか。私の命をあの子に――』
大公の妻という最高級の地位についたロゼは、結婚直後、代々の大公夫人が住まう宮に移り住んだ。ドルトディチェ先代大公の妻でありユークリッドの母でもあった女性が亡くなってから、長年使われていなかった宮は、端から端まで美しく清掃されていた。
後宮は、正妻とは別、愛人たちが住んでいる。当たり前であるがユークリッドの愛人はいないため、少し前まで盛んであった後宮は、今は幽霊屋敷と化していた。そんな場所にて、ロゼはとある一室の整理整頓を行っていた。侍女のリエッタから整理整頓は使用人の仕事だと渋られたが、ロゼは首を横に振り続けた。結果ロゼが見事に、粘り勝ちをしたのだ。
彼女がいる部屋は、ダリアが生前、住んでいた一室。家具は一級品で揃えられ、専用の衣装室も化粧室も存在していることから、ドルトディチェ先代大公はダリアのことを心から愛していた事実が窺える。
「娼婦から大公の愛人にまで昇格して……余程裕福な暮らしを送っていたのね」
ロゼは周囲に誰もいないのをいいことに呟く。
一介の娼婦から大公家の愛人にまで上り詰めたとは、実例も少ないのではないだろうか。正式な大公夫人とまではなれなかったが。ダリアならその座までも手に入れたいと思いそうなところであるが、案外弁えていたらしい。先代大公の愛人誰もが羨む寵妃となってもなお、さらに高望みをするとは、罰当たりだと自制したのだろうか。実際は高望みをしていたのかもしれない。だが、聡明かつ美しい人であったドルトディチェ先代大公夫人の後釜としてはふさわさくないと先代大公に判断されたのか。真相は、分からない。しかし、これだけは言える。
「愛されていたのね……お母様」
ロゼがユークリッドに愛されているのと同じように、ダリアもドルトディチェ先代大公に愛されていたのだ。深く、深く。身に余るほどの、受け取ることができないほどの、多くの愛を。
ダリアが使っていたと思わしきテーブルの上を整頓していく。意外にも、綺麗だ。彼女は、ああ見えて、綺麗好きだったのだろうか。ロゼは実感をする。ダリアという人間を、母親を、何ひとつとして知らないと。だからと言って悲しいわけではないが、モヤッとした感情は存在する。胸にできた蟠りを感じていると、ふと一番下の引き出しに目を奪われる。身を屈め、引き出しを引く。するとそこには、一冊の本が目に入った。それを手に取り、ゆっくりと開く。それは、本ではなく、日記であった。日記と言っても日時は書かれていない。行き場のない気持ちを吐き出すためだけのノートであった。
ダリアの直筆で記された日記。ロゼはいけないと思いつつも、興味をそそられてしまった。
『今日もいつもと同じように働いた。もう、心が折れそう。両親が残した借金を払い終わるまで、あと十年。収入の八、九割は店と借金の返済にあてないといけない。なんとか、頑張らないと……』
『今日は、とてもかっこいい人と出会った。ストロベリーブロンドに淡い色味の瞳が綺麗な人。他国から視察として帝国を訪れているらしい。明日もお店に来てくれるって』
『とうとう私にも春が来たのかしら。毎日あの人のことしか考えられない。借金もお店も何もかも投げ出して、あの人と一緒に逃げてしまいたい』
『あの人が言ってくれた。絶対に迎えに来るって。私の借金を返済できるだけのお金と、身請けできるほどの大金を稼いでくるから、待っていてほしいって……。その言葉を信じたい』
『あの人が国へ帰ってしまってからどれくらい経ったのかな。私のお腹には赤子がいる。誰との子かは分からない。けど、あの人の子だと、思う。その可能性にかけて、お店にも雑用係をする代わりにこの子は産ませてほしいと土下座をした。なんとか許してもらえてよかった』
『雑用係は思っていた何倍も辛い。部屋の清掃から、洗濯、食事の用意、娼婦たちの世話、買い出し。あぁ、体も心もボロボロだわ。でも頑張らないと、頑張らないといけない』
『今日も辛い。もう少し』
『早産をしてしまった。もうこれは駄目だと思った。でも、なんの因果か、通りがかった医者の治療により、なんとかこの子は生きている。神様が助けてくれた。ストロベリーブロンドの髪色、あの人と同じ髪色の、愛しい我が子。ロゼ』
『まさか、こんなにも大変だとは思わなかった。体を売りながら、子を育てる。体力的にも精神的にはすり減っている。店は、前以上に私に働くことを強要してくる。子の食事の面倒は見てはくれないから、私がなんとかしないと。借金の取り立ても激しくなってきている。ロゼを借金の返済にあてても構わないと言ってきた。そんなこと、するわけない。許さない。私と同じ目には、遭わせない。この子は私とあの人の子なんだから』
『毎日毎日、働く日々。ロゼには満足に食べさせてあげることができない。時々店から食料を盗むけども、何度かバレてしまってその分のお金も返さないといけない』
『もう、死にたい。でも死ねない。ロゼのためには、死ねない。あの人が来るまでは、死ねない』
『偉い人が私の元にやって来た。血の色の目が綺麗。貴族の中でも上位の人らしい。その人は毎日毎日私の元にやって来て、口説いてくる。借金の肩代わりと身請けをさせてほしい、と』
『また今日も来た。今日は、ロゼを引き合いに出された。この人に嫁げば、ロゼも私も苦しむことはない。もう、潮時なのかもしれない。あの人の言葉を信じ続けて十数年が経った。ごめんなさい、もう待てないよ……』
『大公家に来て、ロゼは幸せなんだろうか。今日もまた、狙われたと聞いた。無事なの? ロゼ』
『最近、心にも生活にも余裕が出てきたせいか、よく考えるようになった。ロゼにとって自分は最低の母親だったんだろうなって。毎日を生きることに必死だったけど、もっと、あの子のことを気にしてあげればよかったのに。ごめんなさい』
『私、頭が良くないから分からないの。ロゼのためにがむしゃらに頑張ったけど、ちっともあなたのためにならなかったわね。ごめんなさい、ごめんね』
行き場のない感情を吐き捨てた場所。ドルトディチェ先代大公にも、誰にも言えなかったダリアの本音。
震える指先で、最後の一ページを捲る。
『目を治してくれて、ありがとう。生まれてきてくれて、ありがとう。私の娘だとは思えないくらいに、特別なあなた。神様、どうか。私の命をあの子に――』
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