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本編

第172話 プライドと優しさ

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 どれほど、そうしていたのであろうか。ユークリッドに抱きしめられたロゼの心は、落ち着きつつあった。ユークリッドの背をトントンと二回叩き合図を送る。ユークリッドは、その合図を受け、ロゼからゆっくりと離れた。

「ユークリッド、話したいことがあるのです」

 ロゼの言葉に、ユークリッドは頷いた。どうやら彼もロゼに聞きたいことがあるみたいだ。

「あなたには、前世の、一回目の人生の記憶があるの?」

 ロゼは意を決して問いかける。彼女の中では、既に答えは出ているのだが、互いの誤解を解くためには必要な話だろう。ユークリッドも前世について質問されることを分かっていたのか、特に驚きはしなかった。数秒経ったあと、ユークリッドは深く頷いた。
 ユークリッドが前世とは違う行動をしていたこと。そして、ロゼが襲撃された場面などにおいて、タイミング良く姿を現していたこと。神獣アウリウスに人一倍愛された彼がドルトディチェ大公家を一度滅ぼし、復興させるための行動だと推測していたが、それは勘違いであった。全ては、前世とは同じ結果を招かないようにするためだったのだ。

「姉上にも記憶がありますね……?」
「……えぇ。記憶があると言っても……最初は、前世の最期の記憶しかなかったけど」
「俺も似たようなものです。記憶があると知ったのは、姉上と出会った時期。ところどころ覚えてはいましたが、細かい部分まではよく分かっていませんでした」

 ユークリッドが瞳を伏せる。美しいブラッドレッドの目が瞼の奥へと隠れてしまった。
 ユークリッドには、ロゼよりも詳細な前世の記憶があったのだろう。一回目の人生と同じ末路は辿らないと決意し、残された少ない情報の中で奮闘していた。それでもやはり、全ての未来を予測するには無理があったのか。ロゼの襲撃を未然に防ぐことができなかったり、いつもは冷静なユークリッドが時に焦った表情をしていたりなど、ところどころ不審な点があった。ドルトディチェ大公家を一度滅亡させるという彼の計画上において、生じてしまった想定外の出来事からだと踏んでいたが、それはロゼの勘違いだった。ユークリッドは気薄な前世の記憶を頼りに力闘りきとうしていたが、さすがの彼でも全てを計画通りに進めることはできなかったようだ。

「姉上も前世とは違った、突拍子もない行動を取っていたのでは、姉上にも俺と同じく前世の記憶があるのでは、と考えてはいましたが……。姉上と結ばれるまでは……前世の悲願でもあった姉上と共に生きるという決意をするまでは、それを言ってはならないと思っていました」

 ユークリッドは緩徐に、開眼する。血色の瞳が姿を現した。瞳の中心、光が宿る。
 皇城の御手洗の一室から逃げ出したり、フリードリヒと友人になりたいとせがんだり、ドルトディチェ大公家を存続させることが望みだと、千年も謎に包まれたジンクスを叶えたいと訴えたり、そしてフリードリヒとの結婚を望んだりと、今思えば気随きずいなことばかりをしていた。もちろん、それらの言動には全て理由があるのだが。ユークリッドは、そんなロゼの自由奔放じゆうほんぽうな言動の原因が、彼女の中に眠る前世の記憶にあるのではないかと予想。見事にその予測は的中したわけである。
 ユークリッドの宮にある王座の間の玉座は、前世の記憶の答え合わせをさせてくれるため、もしかしたら彼も玉座を使って記憶を擦り合わせていたのかもしれない。以前、ユークリッドの誕生日にて、王座の間に案内をされたのも、彼がロゼの反応を見て前世の記憶があることを確かめるためだったのか。それは分からないが、ユークリッドはもうだいぶ前から、ロゼに前世の記憶があると予想していたのは確かだろう。だからと言って、彼はそれを脅しの材料にすることはなかった。前世の記憶があると確かめ合ったほうが何かと都合が良かっただろうに。そんなもので、ロゼと結ばれても嬉しくなんてなかったのだろうか。理由がなんであれ、彼はロゼと本当の意味で結ばれるという悲願を達成するまでは前世の話はしないと決意したのだ。
 今一度感じた彼のプライドと優しさに、ロゼの胸はしめつけられる。

「姉上、聞いてください」

 ユークリッドはロゼの手を握る。両の手から伝わる温もりにより、全身が温められていく。


「前世から、あなたを、愛しています」


 まっすぐな愛。
 屈曲などしない、一直線な想い。
 何万年という歴史を重ねた自然の風景も、価値のつかないほど高価な宝石も、この世に存在するどんな美も、彼の想いの純度の美しさには敵わないだろう。
 朱殷色の瞳から一滴の雫が落ちゆく。真珠のような白い光を放つ涙。ユークリッドは、あまりにも綺麗に、泣いていた。

「前世であなたを守りきれなかった不甲斐ふがいない俺を、今世でも悲しませてしまった不出来な俺を、どうかお許しください……」

 ユークリッドの悲痛な言葉は、ロゼの心を穿つ。
 前世の最期、ロゼを庇って死んだユークリッドの姿が重なる。ロゼは思わず、彼の頬に手を伸ばした。
 あぁ、生きている。ユークリッドは生きている。
 掌に染みる、彼の涙。熱く、優しい。
 前世からロゼだけを想い、行動してくれていた。たとえ一度命をなくそうとも、決して諦めなかった。彼の世界は、ロゼひとりなのだから。不甲斐なくなんてない。不出来なわけがない。自身のために命を懸けて戦ったひとりの男を――。


「愛してる」
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