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本編
第165話 争いを前にして、何を思う
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ロゼはダリアの手を握り、絶望していた。最悪の事態を招いてしまった、と。結局、悲劇は繰り返される運命なのか。しかしここでロゼが死ぬことで、ドルトディチェ大公は大公家を蹂躙し自死、もしくは他殺。そして大公家の呪いは解け、ユークリッドが大公の王冠を手に入れる。その結果こそ、大公家に永遠に訪れる平和だろう。
絶望の中でも僅かに垣間見える光に縋っていると、ドルトディチェ大公がロゼを睥睨する。
「おい、何をぼさっとしている。さっさと生き返らせろ。テメェはそれができんだろ?」
「……できません」
「あ゛? 今なんつった」
「できないと、言ったのです」
震える声を出す。ドルトディチェ大公の目が憤懣に染まった。今にも、ロゼに斬りかかりそうな勢いだ。
「私の力は、死んだ人間には、使えないのです」
「……つまり、ダリアは死んだ、と?」
ロゼは首肯する。ダリアは死んだ。母親は死んだ。何者かによって、殺されたのだ。ドルトディチェ大公は未だにその事実を受け入れることができないでいる。ダリアを殺した人物こそユークリッドかと思ったが、彼の宮の王座の間で交わした会話からして何か違う気が、食い違っている気がしている。彼とは別の力が働き、ダリアは殺されたのではないか。前世を覚えているロゼも知り得ない事実が、まだ存在している――。
比較的冷静なロゼとは逆に、ドルトディチェ大公は我を忘れ取り乱していた。鞘から剣を抜き取り、ロゼへと向ける。
「ふざけるなよっ!!! クソがっ!!!」
ロゼが咄嗟に顔を上げる。怒号と共に振り下ろされた剣。血に染まるそれは、一瞬の猶予もなく、彼女の命を刈り取ろうとする。
「姉上っ!」
ドルトディチェ大公が振り下ろした剣を間一髪で弾いたのは、ユークリッドであった。なんと、彼がロゼを庇ったのだ。ユークリッドはロゼを立ち上がらせ、後ろに下がるよう促す。ドルトディチェ大公は、彼に邪魔されたことにより、瞋恚を爆発させる。
「テメェまで、オレの邪魔をすんのか? ユークリッド」
「……できれば、こんなことはしたくありませんでした。ですが、姉上を狙うならば話は別です。あなたを、殺してでも止めます」
漆黒のマントがなびく。ユークリッドの背中がやけにたくましく見えた。彼の背中を見て、ロゼは息を呑んだ。本気で、本気でロゼを守ろとしている。
「テメェ如きがオレを殺すと? 寝言は寝て言えよ、ユークリッド。女を守りながらオレと殺し合いなんぞできるわけがねぇ!」
ドルトディチェ大公は、咆哮する。煽られてもなお、ユークリッドは泰然自若としていた。
「父上。亡きダリア様のことを思うのであれば、剣をお納めください。今は、ここで争うのではなく、ダリア様を殺した犯人を炙り出すべきです」
冷静に伝える。ユークリッドはマントを外し、ジャケットを脱ぎ捨てた。黒のベストに白のシャツ姿。彼にとってはできれば避けたい争いらしいが、万が一を考え動きやすいように服を脱いだのだろう。
「いいや、テメェとロゼを殺すのがまず先だ。この時点で、ダリアを殺した可能性が高いのはテメェらふたりだからな」
ドルトディチェ大公は剣をユークリッドへと向ける。もはや、戦争は避けられない。そう判断したのか、ユークリッドも剣を構えた。ロゼが間に入る暇もなく、ふたりは剣を交える。ふたりの間に激しい火花が散った。目の前で繰り広げられる死闘に、ロゼは見入ることしかできない。
一体誰が、誰がダリアを殺したのか。ドルトディチェ大公でもない、ユークリッドの可能性も低くなった。なら、なら誰が? なんのために? 大公家を滅ぼそうと目論んでいる人間。大公家を恨んでいる人間。大公家を滅ぼせば都合の良い人間。ロゼは必死に思考する。あぁ、いるじゃないか。いたじゃないか。すぐ、傍に――。
刹那、ドルトディチェ大公の剣によって弾き飛ばされたユークリッドが、突然頭を押さえて悶え始める。
「ユークリッドっ」
ロゼはすぐさま彼に駆け寄ろうとするが、ユークリッドに手で制されたことにより、立ち止まってしまう。
「やはり、まだ終わってはいなかった。ここで勝てない限りは……待つのは死だ」
ユークリッドがひとり呟く。彼の言葉が何を意味しているのか、ロゼには分からなかった。しかし彼の姿を見て、彼女は違和感を抱く。今思えば、ユークリッドは前世と違う行動をやたらとしていたはず。神獣アウリウスに愛されている影響かとも思っていたが、実はそうではないのかもしれない。今、たった今、何かを思い出しているのではないか。もしかして、彼も前世の記憶を……。
そう思った瞬間、ドルトディチェ大公がユークリッドに激しく斬りかかった。ユークリッドはそれをまともに食らってしまい、体勢を崩す。どうやら、肩口を斬られたようだ。ベストとシャツに、ドス黒い血が滲む。痛々しい様子を目の当たりにして、ロゼの胸がしめつけられる。彼女は、焼けるように痛い喉を駆使した。
「ユークリッド、もういいです。もう、やめてください」
悲哀に染まる声は、ユークリッドには届かない。彼は肩を斬られた中でも、ドルトディチェ大公に刃向かっている。次は、横腹を突かれた。それでも、ユークリッドは止まらない。
「私が、死ねば……私が死ねば、全ては上手くいく。加護を得た私が死ぬことで、あなたは戦わなくても良いのですっ!」
ロゼは胸に手を当てて叫ぶ。ユークリッドはドルトディチェ大公から距離を取り、血が垂れた口元を拭う。
「話はあとにしてもらってもいいですか?」
「ユークリッド……お願い、もう、やめて……。私がここで死ねば、あなたは助かる。大公家は存続される……」
「この期に及んで、まだジンクスなど気にしているのですか? 正直今の俺にとってそんなものはどうでもいい。今はただ、あなたを守りきることが、最優先です」
ユークリッドは振り向きながら、そう言った。彼の顔を見て、ロゼは涙を流す。
「あなたは……大公となることが、全ての目的ではなかったのですか……?」
ロゼは問いかける。自分の命が脅かされても、これまでやってきたことが全て無駄になる死を迎えようとしても、今、ロゼを守るために剣を握っている。その事実に、ロゼは嬉しいと思ってしまっていたのだ。せっかく決意した気持ちが揺らいでしまう。彼と共に、生きたいと願ってしまう……。
ユークリッドは剣を止め、振り向きざまに優しく笑う。
「俺の目的は、ロゼ・ヴィレメイン・リーネ・ドルトディチェ。あなたを守ることです。争いのない平和と愛に満たされた日々を送ってほしい。そのために、俺はドルトディチェ大公家の当主の座を手に入れたいのです」
死を間際にした、ユークリッドの本音に、ロゼは紅涙を絞る。
絶望の中でも僅かに垣間見える光に縋っていると、ドルトディチェ大公がロゼを睥睨する。
「おい、何をぼさっとしている。さっさと生き返らせろ。テメェはそれができんだろ?」
「……できません」
「あ゛? 今なんつった」
「できないと、言ったのです」
震える声を出す。ドルトディチェ大公の目が憤懣に染まった。今にも、ロゼに斬りかかりそうな勢いだ。
「私の力は、死んだ人間には、使えないのです」
「……つまり、ダリアは死んだ、と?」
ロゼは首肯する。ダリアは死んだ。母親は死んだ。何者かによって、殺されたのだ。ドルトディチェ大公は未だにその事実を受け入れることができないでいる。ダリアを殺した人物こそユークリッドかと思ったが、彼の宮の王座の間で交わした会話からして何か違う気が、食い違っている気がしている。彼とは別の力が働き、ダリアは殺されたのではないか。前世を覚えているロゼも知り得ない事実が、まだ存在している――。
比較的冷静なロゼとは逆に、ドルトディチェ大公は我を忘れ取り乱していた。鞘から剣を抜き取り、ロゼへと向ける。
「ふざけるなよっ!!! クソがっ!!!」
ロゼが咄嗟に顔を上げる。怒号と共に振り下ろされた剣。血に染まるそれは、一瞬の猶予もなく、彼女の命を刈り取ろうとする。
「姉上っ!」
ドルトディチェ大公が振り下ろした剣を間一髪で弾いたのは、ユークリッドであった。なんと、彼がロゼを庇ったのだ。ユークリッドはロゼを立ち上がらせ、後ろに下がるよう促す。ドルトディチェ大公は、彼に邪魔されたことにより、瞋恚を爆発させる。
「テメェまで、オレの邪魔をすんのか? ユークリッド」
「……できれば、こんなことはしたくありませんでした。ですが、姉上を狙うならば話は別です。あなたを、殺してでも止めます」
漆黒のマントがなびく。ユークリッドの背中がやけにたくましく見えた。彼の背中を見て、ロゼは息を呑んだ。本気で、本気でロゼを守ろとしている。
「テメェ如きがオレを殺すと? 寝言は寝て言えよ、ユークリッド。女を守りながらオレと殺し合いなんぞできるわけがねぇ!」
ドルトディチェ大公は、咆哮する。煽られてもなお、ユークリッドは泰然自若としていた。
「父上。亡きダリア様のことを思うのであれば、剣をお納めください。今は、ここで争うのではなく、ダリア様を殺した犯人を炙り出すべきです」
冷静に伝える。ユークリッドはマントを外し、ジャケットを脱ぎ捨てた。黒のベストに白のシャツ姿。彼にとってはできれば避けたい争いらしいが、万が一を考え動きやすいように服を脱いだのだろう。
「いいや、テメェとロゼを殺すのがまず先だ。この時点で、ダリアを殺した可能性が高いのはテメェらふたりだからな」
ドルトディチェ大公は剣をユークリッドへと向ける。もはや、戦争は避けられない。そう判断したのか、ユークリッドも剣を構えた。ロゼが間に入る暇もなく、ふたりは剣を交える。ふたりの間に激しい火花が散った。目の前で繰り広げられる死闘に、ロゼは見入ることしかできない。
一体誰が、誰がダリアを殺したのか。ドルトディチェ大公でもない、ユークリッドの可能性も低くなった。なら、なら誰が? なんのために? 大公家を滅ぼそうと目論んでいる人間。大公家を恨んでいる人間。大公家を滅ぼせば都合の良い人間。ロゼは必死に思考する。あぁ、いるじゃないか。いたじゃないか。すぐ、傍に――。
刹那、ドルトディチェ大公の剣によって弾き飛ばされたユークリッドが、突然頭を押さえて悶え始める。
「ユークリッドっ」
ロゼはすぐさま彼に駆け寄ろうとするが、ユークリッドに手で制されたことにより、立ち止まってしまう。
「やはり、まだ終わってはいなかった。ここで勝てない限りは……待つのは死だ」
ユークリッドがひとり呟く。彼の言葉が何を意味しているのか、ロゼには分からなかった。しかし彼の姿を見て、彼女は違和感を抱く。今思えば、ユークリッドは前世と違う行動をやたらとしていたはず。神獣アウリウスに愛されている影響かとも思っていたが、実はそうではないのかもしれない。今、たった今、何かを思い出しているのではないか。もしかして、彼も前世の記憶を……。
そう思った瞬間、ドルトディチェ大公がユークリッドに激しく斬りかかった。ユークリッドはそれをまともに食らってしまい、体勢を崩す。どうやら、肩口を斬られたようだ。ベストとシャツに、ドス黒い血が滲む。痛々しい様子を目の当たりにして、ロゼの胸がしめつけられる。彼女は、焼けるように痛い喉を駆使した。
「ユークリッド、もういいです。もう、やめてください」
悲哀に染まる声は、ユークリッドには届かない。彼は肩を斬られた中でも、ドルトディチェ大公に刃向かっている。次は、横腹を突かれた。それでも、ユークリッドは止まらない。
「私が、死ねば……私が死ねば、全ては上手くいく。加護を得た私が死ぬことで、あなたは戦わなくても良いのですっ!」
ロゼは胸に手を当てて叫ぶ。ユークリッドはドルトディチェ大公から距離を取り、血が垂れた口元を拭う。
「話はあとにしてもらってもいいですか?」
「ユークリッド……お願い、もう、やめて……。私がここで死ねば、あなたは助かる。大公家は存続される……」
「この期に及んで、まだジンクスなど気にしているのですか? 正直今の俺にとってそんなものはどうでもいい。今はただ、あなたを守りきることが、最優先です」
ユークリッドは振り向きながら、そう言った。彼の顔を見て、ロゼは涙を流す。
「あなたは……大公となることが、全ての目的ではなかったのですか……?」
ロゼは問いかける。自分の命が脅かされても、これまでやってきたことが全て無駄になる死を迎えようとしても、今、ロゼを守るために剣を握っている。その事実に、ロゼは嬉しいと思ってしまっていたのだ。せっかく決意した気持ちが揺らいでしまう。彼と共に、生きたいと願ってしまう……。
ユークリッドは剣を止め、振り向きざまに優しく笑う。
「俺の目的は、ロゼ・ヴィレメイン・リーネ・ドルトディチェ。あなたを守ることです。争いのない平和と愛に満たされた日々を送ってほしい。そのために、俺はドルトディチェ大公家の当主の座を手に入れたいのです」
死を間際にした、ユークリッドの本音に、ロゼは紅涙を絞る。
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