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本編

第162話 リエッタへのお願い

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 フリードリヒへ、自身の本音を伝えた後日。ロゼは、ユークリッドの宮を訪ねようと考えていた。
 化粧室でメイクを施し、髪型をセットする。濃いめの化粧。腰まで滴るストロベリーブロンドの長髪は、毛先を巻き、誕生日プレゼントとしてユークリッドから受け取った髪飾りで彩る。青紫と純白のエンパイアラインのドレスは、清楚であった。
 ロゼは瞳を開く。鏡の向こう側にいるリエッタに視線を送る。それに気がついたリエッタは、美しい微笑を浮かべた。

「どうされましたか? お嬢様」

 甘く蕩ける声色。リエッタの声は、耳触りが良く、落ち着く。ペールレモンの瞳と視線が合わさる。汚れのない、純粋な目。柔らかく口角を上げるリエッタに、ロゼの胸がしめつけられる。
 どうか、リエッタは、彼女だけは、生き残ってほしい。心の底から彼女の無事を願う。

「お願いがあるの、リエッタ」
「なんなりと」

 リエッタがロゼの髪を梳かしながら答える。彼女に髪を梳かしてもらえるのも、あと何度あるのだろうか。片手で数えられる程度なのか、それとももう二度とこれを最後に……。リエッタと向き合うことは叶わないかもしれない。それを承知に、ロゼは口を開く。

「城で何かあったら、一目散に逃げてちょうだい」

 只事ではないと感じさせるロゼの声に、リエッタが動きを止めた。顔を上げて、鏡越しにロゼを見つめる。純粋に染まっていた瞳は、動揺に濡れていた。

「どういう、ことでしょうか」
「そのままの意味よ。約束してほしいの。振り返ることなく、逃げると」

 強い言葉に、リエッタは戸惑いを見せる。勘の鋭い彼女のことだ。何かを察したのだろう。

「お嬢様は……」
「私はユークリッドがいるから。気にしないで」

 ユークリッドの名を出すと、リエッタは不本意ながらも、どこか納得した様子を見せて頷いた。彼女の中でも、ユークリッドという存在は大きな安心感をもたらすのだろう。

「分かりました」

 リエッタの返事を受けて、ロゼも首を縦に振った。それを合図に、ロゼは椅子から立ち上がった。リエッタと共に化粧室を出て、階段を下りる。そして、自身の宮から出ようとした瞬間。

「お嬢様」

 リエッタに呼び止められる。ロゼは振り返った。冬の香りを含んだ風が宙を舞う。

「健闘を、お祈りしております」

 リエッタのまっすぐな目。夕日に輝くレモンイエローの瞳は、若干涙で潤んでいた。なぜ、泣きそうになっているのか自分でも分かっていない様子であった。リエッタと会うのはこれが最期でもないだろうに。まだ猶予は残されているが、リエッタは伝えずにはいられなかったのだろう。ロゼは彼女に近寄り、手を握る。

「ありがとう」

 破顔一笑。ロゼは今度こそ、背を向けたのであった。
 護衛を数人連れて、ユークリッドの宮へ向かう。直系の人数が怒涛に減ったからか、城内ですれ違う人々も以前と比べて圧倒的に少なくなった。ほとんど人間と鉢合わせることなく、ユークリッドの宮に到着する。ちょうど入口の門には、ノエルの姿があった。

「おや、ロゼ様」
「ノエル。お久しぶりですね」

 ロゼが微笑むと、ノエルも気まずそうにであるが、笑い返してくれた。どうやらユークリッドから、ロゼとの間で起こった騒動を聞いているようだ。ならば話は早い。

「ノエル、ユークリッドはいらっしゃるかしら?」

 ユークリッドがいるかどうか問いかける。ノエルは、首を捻りながらどうするか迷った末に、首肯した。

「いらっしゃいます。客間までご案内いたしましょう」
「そう、よかったわ。だけど、今日は、少しだけ行きたいところがあるのです」

 ロゼの言葉に、ノエルは目をぱちくりと瞬かせる。

「王座の間に、行ってもよろしいですか?」

 ノエルは瞠目する。なぜロゼが王座の間に行きたがるのか、彼には分からないみたいだ。

「ユークリッド様に確認をしてからでも?」
「もちろんです」

 ノエルは頷き、ロゼを連れて歩き始めた。ユークリッドがいるという執務室に向かう途中、突如として背後に気配を感じ取る。

「ノエル」

 ユークリッドの声だ。ノエルは主人の声に瞬時に反応を示し、勢いよく踵を返した。

「ユークリッド様! ちょうどいいところに」

 ノエルは深く頭を下げる。ユークリッドはノエルに見向きもせず、ロゼを見遣ったあと彼女に辞儀をした。

「姉上。何かご用ですか?」

 ユークリッドは僅かに周章狼狽しながら、ロゼに問う。さすがの彼も、ロゼが訪問してくることなど予想もできなかったらしい。ダリアを殺しドルトディチェ大公を狂わせる重要な計画を、ロゼに邪魔されるかもしれない、と危機感を募らせているのだろうか。

(邪魔なんてしないわよ。むしろ私は、あなたの思い通りになってあげるのだから)

「王座の間に行きたいのですが……ユークリッド。連れて行ってくださいますか?」

 ロゼは春の訪れを思わせる、穏やかで可憐な笑顔で笑う。夕日の赤い光が廊下に射し込む。彼女の美貌は、一枚の絵画のように、神々しかった。
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