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本編
第146話 母親の姿
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ソファーから起き上がったのは、なんとダリアであった。髪は心做しかボサボサである。一応服は着ているようだが、ブランケットで肌を隠していた。服と言っても、布切れのような物であるが。ダリアは目元を擦ったあと、ドルトディチェ大公の前に立つロゼの存在に気がつく。ロゼは、彼女を見て思った。この人は、この母親は、どこまで行っても、根っからの娼婦なのだ、と。軽蔑の目を向けてくるロゼに、ダリアは瞠若する。自身のあられもない姿を自覚すると、胸元をブランケットで覆い隠した。
「なんで、あなたがここに……」
「おはようございます。お母様。よく眠れたご様子で」
ロゼは嫌味を言いながら、微笑する。彼女の目は、まったく笑っていないが。ダリアはブランケットをギュッと掴む。
「……あなたが、危険な目に遭ったと聞いたわ」
「それが何か」
ロゼは冷ややかに突き放す。取り付く島もない。しかしダリアは諦めず、意を決して口を開く。
「無事で、よかったわ」
ぎこちなく笑うダリア。ドルトディチェ大公やほかの男性陣に向ける嬌笑ではない。あまりにも不自然な笑みに、ロゼは猜疑心を向けた。
「なぜ、良いのですか?」
思わず問いかける。ダリアは、怪訝の顔容となる。
「なぜ、私が無事だと良いのですか?」
「……なぜって、あなたは私の、」
「娘だから、とでも仰るつもりですか?」
ロゼの目に、光は宿らない。人形じみた瞳に、ダリアは息を呑んだ。
ロゼは本気で、ダリアが自身の身を心配してくる理由が分からなかった。物心ついた時には、常にひとりだった。毎晩毎晩男に抱かれ、たまの昼頃に帰って来ては、片手で数えられるほど少ないなけなしのお金を置いていく。自分は娼婦だからと着飾り、美容に力を入れ、痩せ細る生気のない娘のことなど、どうでもいいと言わんばかり。世界中のろくでもない人間の代表と言っても過言ではないダリアが、自ら母親を名乗ると言うのか。ロゼは彼女を「お母様」とも呼びたくないのに……。
「あなたが、私にしたことを、全てお忘れですか?」
「っ……」
ダリアがヒュッと喉を鳴らす。忘れてはいないようだ。今となっては、ダリアがドルトディチェ大公に気に入られたことによって、その恩恵をロゼも受けることができている。しかしそれ以前は、今では考えられないほどの極貧生活を送っていた。極貧生活を強いたのは、ほかでもないダリア自身だ。自らの子に責任を持てないのならば、産んでくれるな。ロゼは幾度となく、そう思ったのだ。
「私は一度として、あなたを母親だと思ったことはありません」
ロゼは宣言をした。次の瞬間、首元にひんやりとした何かが押し当てられる。それは、ドルトディチェ大公の剣であった。
「口を慎めよ、ロゼ。ダリアの実の娘だからと言って、ダリアを侮辱することは許さん」
ドルトディチェ大公の憤怒が肌を通して伝わってくる。ロゼは動揺を見せない。前世の最期にも、同じような言葉を言われたからだ。「なんの取り柄もない」とロゼを侮辱したドルトディチェ大公は、今世ではロゼの命をできる限り守ってくれている。ダリアが生きている間は、ロゼもおまけ程度に守ろうという感覚なのだろうか。これで、よく分かった。よく理解できた。ドルトディチェ大公の世界は、本当にダリアでしか成り立っていないということを――。
「リディオっ……! お願い、やめてっ! 剣を下ろしてっ!」
ダリアがドルトディチェ大公を諭すが、ドルトディチェ大公はそれを聞かない。ロゼは、彼をまっすぐと見つめ返した。
「私を、殺しますか? お父様」
ロゼの迷いのない瞳。夜空色の中心、爛々と光り輝く強き意志に、ドルトディチェ大公は僅かに恐れた。
「フリードリヒに嫁がせないために、お母様を侮辱した罰を与えるために、私を、殺しますか?」
もう一度、同じことを聞く。ドルトディチェ大公は答えない。グッと剣を持つ手に力がこもり、剣が揺れたのが分かった。殺すか、否か。ロゼが恐怖で身構えたと共に、ダリアがロゼを庇って前に出た。
「ダリア……」
「リディオ。愛するあなたでも、この子に傷ひとつつけることは許せないわ」
幼い頃、何度も見たダリアの後ろ姿。今だけは、なぜかそれがたくましく、そして神々しく見えた。躊躇なく剣の前に立ったダリアは、ロゼを守ろうとしたのだ。
(どうして、今さらなの。どうして、あの時、幼い時、そうやって守ってくれなかったの)
ロゼが心の中で呟く。ドルトディチェ大公は剣を下ろし、盛大な舌打ちをかました。
「勝手にやってろっ! 付き合ってられねぇ!!!」
激憤をあらわにするドルトディチェ大公は、そのままロゼとダリアを執務室の外に放り出したのであった。
「なんで、あなたがここに……」
「おはようございます。お母様。よく眠れたご様子で」
ロゼは嫌味を言いながら、微笑する。彼女の目は、まったく笑っていないが。ダリアはブランケットをギュッと掴む。
「……あなたが、危険な目に遭ったと聞いたわ」
「それが何か」
ロゼは冷ややかに突き放す。取り付く島もない。しかしダリアは諦めず、意を決して口を開く。
「無事で、よかったわ」
ぎこちなく笑うダリア。ドルトディチェ大公やほかの男性陣に向ける嬌笑ではない。あまりにも不自然な笑みに、ロゼは猜疑心を向けた。
「なぜ、良いのですか?」
思わず問いかける。ダリアは、怪訝の顔容となる。
「なぜ、私が無事だと良いのですか?」
「……なぜって、あなたは私の、」
「娘だから、とでも仰るつもりですか?」
ロゼの目に、光は宿らない。人形じみた瞳に、ダリアは息を呑んだ。
ロゼは本気で、ダリアが自身の身を心配してくる理由が分からなかった。物心ついた時には、常にひとりだった。毎晩毎晩男に抱かれ、たまの昼頃に帰って来ては、片手で数えられるほど少ないなけなしのお金を置いていく。自分は娼婦だからと着飾り、美容に力を入れ、痩せ細る生気のない娘のことなど、どうでもいいと言わんばかり。世界中のろくでもない人間の代表と言っても過言ではないダリアが、自ら母親を名乗ると言うのか。ロゼは彼女を「お母様」とも呼びたくないのに……。
「あなたが、私にしたことを、全てお忘れですか?」
「っ……」
ダリアがヒュッと喉を鳴らす。忘れてはいないようだ。今となっては、ダリアがドルトディチェ大公に気に入られたことによって、その恩恵をロゼも受けることができている。しかしそれ以前は、今では考えられないほどの極貧生活を送っていた。極貧生活を強いたのは、ほかでもないダリア自身だ。自らの子に責任を持てないのならば、産んでくれるな。ロゼは幾度となく、そう思ったのだ。
「私は一度として、あなたを母親だと思ったことはありません」
ロゼは宣言をした。次の瞬間、首元にひんやりとした何かが押し当てられる。それは、ドルトディチェ大公の剣であった。
「口を慎めよ、ロゼ。ダリアの実の娘だからと言って、ダリアを侮辱することは許さん」
ドルトディチェ大公の憤怒が肌を通して伝わってくる。ロゼは動揺を見せない。前世の最期にも、同じような言葉を言われたからだ。「なんの取り柄もない」とロゼを侮辱したドルトディチェ大公は、今世ではロゼの命をできる限り守ってくれている。ダリアが生きている間は、ロゼもおまけ程度に守ろうという感覚なのだろうか。これで、よく分かった。よく理解できた。ドルトディチェ大公の世界は、本当にダリアでしか成り立っていないということを――。
「リディオっ……! お願い、やめてっ! 剣を下ろしてっ!」
ダリアがドルトディチェ大公を諭すが、ドルトディチェ大公はそれを聞かない。ロゼは、彼をまっすぐと見つめ返した。
「私を、殺しますか? お父様」
ロゼの迷いのない瞳。夜空色の中心、爛々と光り輝く強き意志に、ドルトディチェ大公は僅かに恐れた。
「フリードリヒに嫁がせないために、お母様を侮辱した罰を与えるために、私を、殺しますか?」
もう一度、同じことを聞く。ドルトディチェ大公は答えない。グッと剣を持つ手に力がこもり、剣が揺れたのが分かった。殺すか、否か。ロゼが恐怖で身構えたと共に、ダリアがロゼを庇って前に出た。
「ダリア……」
「リディオ。愛するあなたでも、この子に傷ひとつつけることは許せないわ」
幼い頃、何度も見たダリアの後ろ姿。今だけは、なぜかそれがたくましく、そして神々しく見えた。躊躇なく剣の前に立ったダリアは、ロゼを守ろうとしたのだ。
(どうして、今さらなの。どうして、あの時、幼い時、そうやって守ってくれなかったの)
ロゼが心の中で呟く。ドルトディチェ大公は剣を下ろし、盛大な舌打ちをかました。
「勝手にやってろっ! 付き合ってられねぇ!!!」
激憤をあらわにするドルトディチェ大公は、そのままロゼとダリアを執務室の外に放り出したのであった。
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