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本編

第139話 愛している

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 ユークリッドの手から逃れたロゼは、宮を飛び出しそのまま城を抜け出した。森の中を、ひとり歩く。頭上からは、激しい雨が降り注いでいた。しかし、森の木々がある程度の雨粒を遮ってくれている。
 ロゼは先程の光景を思い出した。自身を守ってくれていた護衛と、ユーラルアが死んだ光景を――。護衛の男は、ロゼが逃げるのを渋っていたせいで、ジルに殺されてしまった。ユーラルアはロゼを守るために部屋を飛び出して、戦いの渦中に自ら飛び込んで行った。己の愚行が招いた最悪の事態に、ロゼは静かに涙を流す。アジュライト色の瞳に、生気はない。彼女は、もうこのまま死んでしまえばいいとさえ、思った。
 ロゼは未だに、信じることができないでいた。ずっと、ずっと長い間自分を守り、そして傍にいてくれたユークリッドに、裏切られているのかもしれないということを。ユークリッドは、ダリアを殺してドルトディチェ大公に一族を蹂躙させ、自身はなんの犠牲も払うことなく、大公の座に座ろうとしている。ドルトディチェ大公家を一度滅ぼし、再び復興させる。ユークリッドの一強として……。
 以前、地下の図書館にてユークリッドは、「いち早く大公家の当主となるためには、まず一強とならなければなりません」と言っていた。その言葉こそ、全ての真実ではないか。その際、ロゼはドルトディチェ大公家を存続させたいという気持ちを打ち明けた。ユークリッドは「どのような形であれ、ドルトディチェ大公家という一族が存在すればいい、というわけですよね?」と口にした。ユークリッドの中では、ドルトディチェ大公家を存続させたいというロゼの気持ちと、一度大公家を滅ぼしてでも当主に就きたいという自身の利害が一致したと理解したのだろう。同時にロゼは、ジンクスを叶えるために、ユークリッドが当主の座を手に入れる必要があるという見解を示した。ユークリッドがそれに納得をしたのは、恐らく事実。結局、ユークリッドがやろうとしていること、ドルトディチェ大公家を滅亡させ自身の手で復興させるという策略は、ロゼが兼ねてより貫いてきた「ドルトディチェ大公家を存続させる」という悲願の達成にも繋がる。こんなにも皮肉なことがあるだろうか。

『全ては、俺が当主の座に就くためです』

 いつかのユークリッドの宣言を思い出す。彼は最初から、嘘などついていなかった。本当のことだけを、事実だけを話していた。全ては、自分の都合のいいように解釈をして、勝手に納得を示したロゼの落ち度。
 豪雨の中、ロゼは己の未熟さを悟る。ふと立ち止まり、空を見上げてみると、木々の合間の向こう側に曇天が見えた。顔面に流れ落ちてくる雨粒の冷たさに、身を委ねる。この雨に打たれるがまま、体も心も、宿命も、全て溶けてしまえばいい。ロゼは密かに、そう願った。
 ユークリッドがドルトディチェ大公家を存続させるつもりでいるなら、ロゼにできることは限られている。ジンクスを叶える手立てを見つけるくらいだが、それももはや必要ないかもしれない。結局は、ダリアとドルトディチェ大公を意図的に破滅させたユークリッドが、ドルトディチェ大公家の玉座に座るのだから。
 兄弟たちも残すは、ユークリッド、ロゼ、マウヌ、オーロラの四人だけとなった。ユークリッドが動くのも、時間の問題なのか。今のうちに、ドルトディチェ大公家から逃げる道を見つけておかなければならない。ユークリッドと、一生会わないという選択を――。そこまで考えたところで、双眸を見開いた。

「ごめん、なさい。ごめんなさい、ユークリッド」

 ロゼは涙を流す。


「あなたを、好きになってしまって、ごめんなさい」


 世界一、切ない謝罪。ロゼはユークリッドへ抱く気持ちに、とうとう名前をつけてしまったのだ。いつかは、別れの日が来ると分かっていた。ところが、いざ別れの日が目の前まで来てしまうと、どうしたらいいのか分からなくなる。ユークリッドから離れたくないと思ってしまうのだ。


「ユークリッド……あなたを、愛している……」


 震える唇で愛の言の葉を紡ぐ。ユークリッドには、届くことがない、悲しい愛の言葉を。

「ロゼ……?」

 目の前の木の物陰から姿を現した人物が、ロゼの名を呼ぶ。曇天に向けられていたロゼの視線が、緩慢に動く。涙と雨で濡れた視界の中心、ローブを纏ったフリードリヒがいた。

「フリードリヒ……」

 今にも消え入りそうな声で名を呼ぶと、フリードリヒは瞬時に駆けつける。そして、ロゼを抱きしめた。
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