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本編
第122話 愛した人に別れを
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アンナベルに話があると言われ連れ出されたユークリッドは、彼女と共に庭園に向かった。咲き競う花々が美しい庭園。誰もいない清閑な場所で、アンナベルは立ち止まった。彼女の後ろに続いていたユークリッドも、足を止める。
「回りくどい言葉は好きではないから、単刀直入に言うわね」
アンナベルは振り返る。ふたりの間に穏やかな風が舞った。アクア色の長髪を押さえる。
「ユークリッドが、好き」
頬に紅葉を散らし襲い来る羞恥に耐えるアンナベルとは反対に、ユークリッドは冷ややかな表情であった。彼のそんな顔にも慣れてしまったアンナベルは、負けじと話す。
「ずっと、前から好きだった。いつかは、いつかは、あなたが私に振り向いてくれるって思ってたの。だけど、それは違ったみたいね」
全てを悟ったかのように目を閉じると、アクア色の睫毛が風に震える。そして再び開眼する。くすんだ青色に染まる純粋無垢な瞳が現れる。風になびく髪を押さえるのを止め、華麗に微笑んだ。ロゼが社交界に現れてから帝国一の美姫という立場は揺らいでしまったものの、今この瞬間の限りは、アンナベルこそが帝国一の美姫であった。
「お気持ちは嬉しいですが、俺はそれに応えることはできません」
ユークリッドはアンナベルの顔を見つめて、しっかりと断りを入れる。
「うん」
アンナベルが今にも消え入りそうな声を出す。
「分かってた」
たった一言。そう告げたあと、アンナベルは無理やり笑顔を作った。今から己が死ぬ現実を享受した人間の如く、切ない笑みであった。
どうやらアンナベルは、ユークリッドが自分を好いていないこと、一方通行であったことを理解していたらしい。ただの脳内お花畑なお姫様などではない。ユークリッドを一心に想い続け、儚い恋心を抱きながらも、必死に現実と向き合おうとした、立派な皇女だ。
「ルティレータの皇帝というお父様の権限を駆使しても、あなたと結ばれることはなかった。皇族という血があれば何かと利用できるのに、あなたは私に期待させるようなことも、利用するようなことも決してしなかったわよね。相手が誰でもいい、こだわりがないのなら私でもよかったはず。だけど、あなたは頑なに私を拒絶した」
アンナベルは淡々と事実を連ねていく。一本の花に触れ、そっと花弁を撫でた。彼女の瞳が潤む。我慢していたようだが、我慢の限界が訪れた。アンナベルの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。聖水顔負けの美しさを誇る雫が彼女の頬をつたい、顎を流れ落ち、そして花に生命の灯火を与えた。
「あなたは、ドルトディチェ大公令嬢……ロゼ嬢のことを想っているのね」
悔しさも悲しさも、滲まない。ただ、納得し全てを悟った声色。ユークリッドは返事の代わりに、瞳を伏せる。
「あなたたちふたりの間に、一体どんな過去が、想いが、未来が眠っているのかは、私には到底分からないわ。でも、ユークリッド、あなたを愛したひとりとして、あなたたちふたりの未来を祝福することは許されるわよね?」
アンナベルは視線を、花からユークリッドへと向ける。次々と溢れ出てくる涙を見つめ、ユークリッドは首肯した。肯定してもらったことに対し、アンナベルは「よかった」と笑った。
彼女の人生で、一番愛した人。これから二度と現れることはない、最高に愛した人。そんな人に対して、ほかの人と幸せになってほしいと祈るなど、なんと酷なことだろうか。だが、祝福したいという気持ちは、アンナベルの本音であった。
アンナベルは明日、愛する人ではない男性の元へ嫁ぐ。今思えば、ドルトディチェの双子の甘い言葉に唆され、細かい計画もない話を受け入れてしまった彼女の未熟さが招いた結果。あの頃のアンナベルは、どうかしてしまっていた。オーフェンに誘拐され無理やり体を開かされそうになった恐怖に支配され、ろくな判断ができなかった。だからと言って、ユークリッドやロゼに許されることではない。そのため、ユークリッドに殺されなかっただけ、まだ救いはあるのかもしれない。
アンナベルは頬に流れる涙を手の甲で拭い、まっすぐとユークリッドを見る。
「ユークリッド。これまでありがとう。たくさん困らせて、ごめんね」
そして、
「さよなら、」
愛した人――。
「回りくどい言葉は好きではないから、単刀直入に言うわね」
アンナベルは振り返る。ふたりの間に穏やかな風が舞った。アクア色の長髪を押さえる。
「ユークリッドが、好き」
頬に紅葉を散らし襲い来る羞恥に耐えるアンナベルとは反対に、ユークリッドは冷ややかな表情であった。彼のそんな顔にも慣れてしまったアンナベルは、負けじと話す。
「ずっと、前から好きだった。いつかは、いつかは、あなたが私に振り向いてくれるって思ってたの。だけど、それは違ったみたいね」
全てを悟ったかのように目を閉じると、アクア色の睫毛が風に震える。そして再び開眼する。くすんだ青色に染まる純粋無垢な瞳が現れる。風になびく髪を押さえるのを止め、華麗に微笑んだ。ロゼが社交界に現れてから帝国一の美姫という立場は揺らいでしまったものの、今この瞬間の限りは、アンナベルこそが帝国一の美姫であった。
「お気持ちは嬉しいですが、俺はそれに応えることはできません」
ユークリッドはアンナベルの顔を見つめて、しっかりと断りを入れる。
「うん」
アンナベルが今にも消え入りそうな声を出す。
「分かってた」
たった一言。そう告げたあと、アンナベルは無理やり笑顔を作った。今から己が死ぬ現実を享受した人間の如く、切ない笑みであった。
どうやらアンナベルは、ユークリッドが自分を好いていないこと、一方通行であったことを理解していたらしい。ただの脳内お花畑なお姫様などではない。ユークリッドを一心に想い続け、儚い恋心を抱きながらも、必死に現実と向き合おうとした、立派な皇女だ。
「ルティレータの皇帝というお父様の権限を駆使しても、あなたと結ばれることはなかった。皇族という血があれば何かと利用できるのに、あなたは私に期待させるようなことも、利用するようなことも決してしなかったわよね。相手が誰でもいい、こだわりがないのなら私でもよかったはず。だけど、あなたは頑なに私を拒絶した」
アンナベルは淡々と事実を連ねていく。一本の花に触れ、そっと花弁を撫でた。彼女の瞳が潤む。我慢していたようだが、我慢の限界が訪れた。アンナベルの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。聖水顔負けの美しさを誇る雫が彼女の頬をつたい、顎を流れ落ち、そして花に生命の灯火を与えた。
「あなたは、ドルトディチェ大公令嬢……ロゼ嬢のことを想っているのね」
悔しさも悲しさも、滲まない。ただ、納得し全てを悟った声色。ユークリッドは返事の代わりに、瞳を伏せる。
「あなたたちふたりの間に、一体どんな過去が、想いが、未来が眠っているのかは、私には到底分からないわ。でも、ユークリッド、あなたを愛したひとりとして、あなたたちふたりの未来を祝福することは許されるわよね?」
アンナベルは視線を、花からユークリッドへと向ける。次々と溢れ出てくる涙を見つめ、ユークリッドは首肯した。肯定してもらったことに対し、アンナベルは「よかった」と笑った。
彼女の人生で、一番愛した人。これから二度と現れることはない、最高に愛した人。そんな人に対して、ほかの人と幸せになってほしいと祈るなど、なんと酷なことだろうか。だが、祝福したいという気持ちは、アンナベルの本音であった。
アンナベルは明日、愛する人ではない男性の元へ嫁ぐ。今思えば、ドルトディチェの双子の甘い言葉に唆され、細かい計画もない話を受け入れてしまった彼女の未熟さが招いた結果。あの頃のアンナベルは、どうかしてしまっていた。オーフェンに誘拐され無理やり体を開かされそうになった恐怖に支配され、ろくな判断ができなかった。だからと言って、ユークリッドやロゼに許されることではない。そのため、ユークリッドに殺されなかっただけ、まだ救いはあるのかもしれない。
アンナベルは頬に流れる涙を手の甲で拭い、まっすぐとユークリッドを見る。
「ユークリッド。これまでありがとう。たくさん困らせて、ごめんね」
そして、
「さよなら、」
愛した人――。
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