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本編

第120話 母の企みとは

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 地下の図書館に引きこもっていたロゼは、半日ぶりに陽の光を浴びた。今にも消えそうな地下の灯火とは違い、あまりの眩さに思わずくらりとしてしまったが、なんとか目と体を慣らした。そのあと、以前よく利用していた図書館に向かい、そこで一冊の本を借りる。おとぎ話だが、気分転換くらいにはなるだろう。闘技場近くの特別な図書館には、ストーリー性も皆無、事実だけが記された本しかなかったため、驚くほど退屈であった。このままでは脳が爆発してしまうと危機感を覚えたロゼは、久々の夢物語で頭を休めることにしたのだ。宮に帰ったら早速本を読もうと決意をして、道を歩いていると、大勢の騎士たちと数人の部下を連れたドルトディチェ大公が姿を現した。彼の隣には、胸元が大きく開いた魅惑的なドレスを纏ったダリアがいた。

「お父様。……お母様。ごきげんよう」

 ロゼは挨拶をして、会釈をした。

「図書館帰りか? ロゼ」
「はい」
「死ぬまでにドルトディチェ大公家にある本を全部読めるといいな」
「それはあまりにも難しいお話ですね」

 ドルトディチェ大公の冗談に、ロゼは仏頂面で返す。
 実際は難しい話だ。ユークリッドの妻、ドルトディチェ次期大公夫人の有力候補であったアンナベルが他国へ嫁ぐことが決まった。ユークリッドの妻の座は果たして誰の物となるのか、不透明になってしまったところであるが、ロゼがいずれドルトディチェ大公家を去るという事実は変わらない。大公夫人の座を手に入れたい、恋焦がれたユークリッドの妻になりたい。かねてより、そう望んでいた貴族令嬢、他国の皇女や王女は、最大のライバルであるアンナベルが熾烈な戦いに降参の旗を上げたことにより、希望が見えてきたのだ。そのため、アンナベルがいなくなったからと言って、ユークリッドの隣に座る権利を与えられるわけではない。それにロゼは、もしかしたらフリードリヒに嫁ぐかもしれないのに。
 険しい顔でいると、ドルトディチェ大公が高らかに笑う。

「テメェみたいな面白みもねぇ女、どこか好ましいのか分からねぇが、なんとなく惹かれるものもあるな。ユークリッドが入れ込むのも頷ける」
「……ご冗談を」

 ロゼは深く溜息をつきながらそう言った。意味ありげにニヤニヤとしているドルトディチェ大公から目を逸らすと、ダリアと目が合った。ダリアは、肩を震わせ、何かを言いたげにロゼを見つめた。よく見ると、前で組んだ両手を擦り合わせている。酷く落ち着きのない様子だ。何がしたいのか、何が言いたいのか。ロゼは暫し、ダリアの動向を観察する。するとダリアは、ようやく決心がついたのか、口を開いた。

「先日、あなたが皇城で命を狙われたと聞いたわ」
「……それがなんでしょうか?」

 ロゼは、眉を上げる動作も、瞳を開く動作もしない。無だけを表した顔容で、冷酷に告げる。感情を殺してしまった彼女に、ダリアは周章狼狽する。いつもの妖艶な雰囲気とは反対に、彼女は少女のような可愛らしさを醸し出し、焦っていた。いい歳をした母親の見たこともない動揺の仕方に、ロゼは鼻持ちならないと思った。

「その……怪我は、ないの?」

 たっぷりと潤いを含んだぷるぷるの唇から紡がれた一言に、ロゼは頭を捻る。言われていることは大して難しいものではない。ただ、ダリアの口からそんな問いかけをされること自体、初めてであったため、ロゼも意味が分からないのだ。考えても仕方がないことは、本人に聞くしかない。ロゼはダリアに問いかける。

「怪我はありませんが……なぜそんなことを聞くのでしょうか?」
「っ……。す、少しだけ……気になっただけよ! 深い意味はないわ!」

 ダリアは、肩辺りで揺れるシルバーパールの髪を弄びながら、小豆の如く小さな顔をぷいっと背ける。剥き出しになった耳が赤に染まっている。年齢にそぐわない言動に、ロゼは瞳に憤怒を宿した。これまでロゼの命が狙われたことは、何度もあったはず。それなのに今さら心配するとは、一体ダリアは何を企んでいるのだろうか。純粋にロゼの身の安全を気にしているだけか? いや、ありえない。ロゼが物心つく頃には、ダリアは彼女に興味がなかったはず。貧困の生活を強いられ、育児放棄をされた。ロゼからしたら、最悪の母親。それはこれから先もずっと変わらない事実として、彼女の中に存在する。どうして愛してくれないのか、なぜ優しくしてくれないのか。もうこれ以上、考え続けても仕方がない。

「もう失礼してもよろしいでしょうか?」

 ロゼはドルトディチェ大公に返答を促すと、彼は大息を吐き、後頭部を掻き毟る。

「あぁ、いいぜ」

 ドルトディチェ大公から許可を受け取ったロゼは、深く頭を下げてその場を颯爽と立ち去った。背中にダリアの視線が突き刺さるのを感じながら。
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