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本編

第116話 炎の鳥

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 見上げるほどの大きさを誇る騎士の像が動いたことにより、ロゼは死を覚悟する。皇城の地下、誰にも見つからない場所で、双子に騙された哀れな人間として生を終えるのだ。道半ばで死してしまうとは、考えてすらいなかった。この人生を歩むのは二度目だとは言え、予測不可能なことが次から次へと起こる。やはり、それこそが人の一生というものか。
 目前に差し迫る巨大な像。剣が振り下ろされると同時に、ロゼは咄嗟にそれを避ける。間一髪であった。しかしもう、次はない。じわりと背中と掌に滲む汗。全身の皮膚が粟立ち、肉体としての終焉を迎える準備を始める。もう生きられない。その事実を刷り込まれてもなお、ロゼは生への執着を手放せないでいた。

(ユークリッド、助けて……)

 心の中で、ユークリッドに助けを求める。当たり前だが、彼は現れない。宿命を、運命を、そして力不足な自分を呪った瞬間、間近に迫った像の剣によって、体ごと貫かれてしまった。衝撃が走る。体内を迫り上がる血液。生命としての役目を終えようとする体に、ロゼは祈りを込めた。どうか、即死だけは――と。霞む視界。薄れゆく意識。もうダメだと思った刹那、全身から溢れる炎が地下を駆け巡った。あっという間に、地下は炎に侵される。ロゼに剣を突き立てた像はあまりの高音に耐えきれず、溶けてしまう。ほかの像も、燃やし尽くされ地へと沈んでいった。ロゼは自らの体に手を当てる。剣に貫かれぽっかりと空いたはずの体の穴は見事に塞がっていた。
 炎は消えることなく、赤々と燃える。その光景を目の当たりにしたロゼは、治癒能力であったはずの摩訶不思議な炎の力が生命の終わりを察知して瞬間的に自身を助けてくれたのだと推測した。体を貫かれたのにも関わらず、ロゼはこうして生きている。ありえない奇跡が起こったことに、最大限の感謝を向けた瞬刻のこと、彼女の目の前に、偉大な空気を纏った極大の鳥が姿を見せた。炎に燃える身は、神格を感じさせている。神の如き鳥は、翼を駆使して地下を華麗に飛び回る。それを見たロゼは、ふと思った。どこかで見たことがある、と。

「あなたが、助けてくれたの?」

 ロゼの問いかけに答えるべく、炎の鳥が鳴く。超音波のような、聴く者の背を凍らせ全身を震え上がらせるような、甲高く不気味な声色だ。だが不思議とロゼは、その炎の鳥の鳴き声に懐かしさを覚えた。
 先程から、頭痛がする。全てを燃やす炎の中、轟々とした音が背後から聞こえている。何かを殴りつける一際大きな音が耳に入った時、ロゼは現実に引き戻される感覚を感じた。扉が開かれる。炎がさらに強く燃え上がり、熱風を散らした。

「姉上っ!」

 ユークリッドの声が僅かに聞こえた。ロゼがおもむろに振り返ると、熱風に呑まれたユークリッドが彼女に必死に手を差し伸ばしていた。ロゼがその手を掴もうと、自身の手を挙げた瞬間、ユークリッドは熱風に負けじと炎の渦に身を投げた。炎の中央にて、ほむらの起源を迷いなく抱き寄せるユークリッド。ロゼが彼の背中に腕を回した。

「ユークリッド……」

 ロゼのアジュライト色の目から涙がこぼれ落ちる。

「よかった……」

 心の底から安堵するユークリッドの声に、ロゼは全体重を預けた。ユークリッドが助けに来てくれた。まさしく、彼は救世主であった。彼に強く抱きしめられる温もりを体感していると、ふと彼の後ろの光景に目が行く。地面にへたり込んでしまい、少しも動けない双子と、護衛たちを大勢引き連れて走ってきたアンナベルがいた。アンナベルは、抱きしめ合うロゼとユークリッドを見て、絶望の顔容となる。アンナベルとユークリッドが密かに会っていたという話は本当だったらしい。ふと我に返ったロゼは、ユークリッドの胸板を押し返す。しかし、岩のように硬い胸板はビクともしない。

「ユークリッド。私はもう、大丈夫ですから。とりあえず離れてください」
「………………」

 ロゼの冷静な訴えに、ユークリッドは大人しく身を離す。いつもは無情を映すブラッドレッドの瞳は、悲愴に満ちていた。

「どこにも、お怪我はありませんか?」
「大丈夫ですよ。あなたも知っているでしょう?」
「……知っていても、心配なものは心配なのです」

 ユークリッドは乱れた前髪をぐしゃっと掻き乱して目を伏せる。
 彼はロゼが摩訶不思議な治癒能力を持っていることを知っている。そのため、ロゼが即死を免れる限りは、なんとかなる状況にあるとも理解しているはずだ。だがしかし、それでも心配なものは心配のようだ。いつも全てを見透かしたかのような顔をしているが、ユークリッドにも予期せぬ事態は起こるのだ。彼が人間である事実をロゼは改めて知った。

「立てますか?」
「はい」

 ロゼはユークリッドの手を借りて立ち上がる。

「あれは……」

 ロゼを見守るかのように飛んでいた炎の鳥。それを見たユークリッドがあまりの神々しさに感嘆の息をこぼす。炎を纏った鳥は、未だ燃えさかる火の中に消えていく。ロゼがその残骸ざんがいに手を伸ばした時、地下を渦巻いていた激しい炎が鎮火したのであった。まるで、一回目の人生の終焉の時みたいだ。酷似した情景に唖然としてちるロゼは、ユークリッドに半ば引きずられる形で腕を引かれた。茫然自失となっているリアナとレアナ、アンナベルを前にして、ユークリッドは口を開く。

「話をじっくりと聞かせてもらおうか」

 皇帝による死刑宣告よりも恐れを抱かせる声が静かに反響したのであった。
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