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本編
第99話 解けた誤解
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「いいですか? 姉上。俺は、あの女……第六皇女と婚姻を結ぶつもりは一切ありません」
簡明直截に宣言したユークリッド。深緋色に染まる瞳子は、真剣そのもの。嘘など微塵も感じられなかった。ロゼはゴクリと喉を鳴らす。
「このことは、父上に内密にお願いいたします」
ユークリッドの頼みに、ロゼは反射的に頷いてしまった。彼女の素直な反応を見て、ユークリッドは憂色が晴れたのか、深く息をついた。
ユークリッドは、アンナベルと結婚する気は一切なかった。ロゼはひとりでずっと勘違いをしていたのだ。ユークリッドはアンナベルと結婚するものとばかり思っていたが、そうではなかった。彼がドルトディチェ大公家の当主となるまでも、当主となったあとも、アンナベルを妻としては迎えない。迎える気もない。ユークリッドの口から語られた荒肝を抜くような事実に、ロゼは挙措を失う。
「し、しかし、第六皇女殿下とふたりきりになったり……キスもしていたではありませんか……」
「……キス?」
ロゼの狼狽する声で紡がれた恐ろしい単語に、ユークリッドの美貌が酷く歪んだ。整えられた眉の間には、深く皺が刻まれる。瞳は憤怒を映し、頬が僅かに引き攣る。珍しく感情を剥き出しにするユークリッドに、ロゼは追い討ちをかけた。
「皇太子殿下の戴冠式の日、第六皇女殿下とふたりきりで間を抜けたでしょう? そのあと、私がたまたま通った裏道で……」
語尾につれ小さくなっていく声。ロゼは太腿に置いた手でドレスのスカートを握りしめる。ユークリッドは、思念する。その十秒後、目を見開いた。
「まさか、見ていたのですか?」
「………………」
やはり、ユークリッドとアンナベルはキスをしていた。ユークリッドの驚きの言葉から、そう推測したロゼは顔を背ける。
ユークリッドからしたら、ロゼもアンナベルもただの道具にしか過ぎない。それは痛いほど、理解している。それなのにキスや抱擁をされただけで、自分だけが彼にとっての特別なのだと、大きな勘違いをしていた。愚かな自分に、ロゼは鼻にかけた嘲笑混じりの笑いをこぼした。俯き気味になる彼女を目の当たりにして、ユークリッドは口を開く。
「誤解していそうなので説明しておきますが……誓ってキスなどしておりません」
「……え?」
「確かに抱きつかれはしましたが、すぐに拒絶をしました。タイミング悪く、その場面だけを見てしまったのでしょう」
ユークリッドは誠心誠意、説明をする。変な汗をかいたせいで喉が渇いてしまったのか、彼は自身でグラスに水を注ぎ入れた。チャプチャプ、と水を汲む心地いい音色が響く。ロゼは、グラスをさらに透明に染め上げる水を眺めたあと、ユークリッドに視線を移した。
確かにロゼが見たのは、ユークリッドの後ろ姿だけ。彼とアンナベルの唇が触れ合っている確証はどこにもない。ユークリッドの説明を嘘だと笑い飛ばすことができるだけの情報がないのだ。逆もまた然りであるが。
唖然と口を開けるロゼの傍ら、ユークリッドは嘲笑いながら水を飲む。
「第六皇女にいくら使い道があったとしても、さすがにキスはしませんよ」
ユークリッドは呆れを隠すことなく、大息を吐いた。彼の捨て台詞に、明らかな矛盾が紛れ込んでいるのを発見したロゼは、彼を問い質す。
「ではなぜ、私にはキスをするのですか? 私はあなたが大公の座を手に入れるために必要な人物。道具でしかありません。だから私を守り、お母様も守ってくださる。それだけのこと。しかしそこに、キスなど必要ないでしょう?」
ロゼは一気に畳み掛ける。彼女の言い分は正しい。彼女はアンナベルと違い、ユークリッドによって利用価値があると判断されている。ところが、キスをする理由はどこにも見当たらない。いくら熟考したとしても、その答えは見つからないのだ。ロゼの感情的な問いかけに、ユークリッドがあくまでも自然に目を逸らす。
「必要なければ、キスをしてはいけないのですか?」
「……そういうわけでは、」
「ならば良いでしょう。キスをすることで満たされるもの、安心できるものがありますし」
「………………」
ロゼは上手い具合に丸め込まれてしまった。ユークリッドは満たされるために、安心感を得るために、彼女にキスをしている。その事実に、論理的な理由も何もない。
ユークリッドは重い腰を上げる。
「そろそろ部屋に戻りましょう。今夜は、共に眠ってくださいますよね?」
ユークリッドはロゼを同意を求める。ロゼはそれに頷くことなく、じっと彼を見つめ続けていた。
簡明直截に宣言したユークリッド。深緋色に染まる瞳子は、真剣そのもの。嘘など微塵も感じられなかった。ロゼはゴクリと喉を鳴らす。
「このことは、父上に内密にお願いいたします」
ユークリッドの頼みに、ロゼは反射的に頷いてしまった。彼女の素直な反応を見て、ユークリッドは憂色が晴れたのか、深く息をついた。
ユークリッドは、アンナベルと結婚する気は一切なかった。ロゼはひとりでずっと勘違いをしていたのだ。ユークリッドはアンナベルと結婚するものとばかり思っていたが、そうではなかった。彼がドルトディチェ大公家の当主となるまでも、当主となったあとも、アンナベルを妻としては迎えない。迎える気もない。ユークリッドの口から語られた荒肝を抜くような事実に、ロゼは挙措を失う。
「し、しかし、第六皇女殿下とふたりきりになったり……キスもしていたではありませんか……」
「……キス?」
ロゼの狼狽する声で紡がれた恐ろしい単語に、ユークリッドの美貌が酷く歪んだ。整えられた眉の間には、深く皺が刻まれる。瞳は憤怒を映し、頬が僅かに引き攣る。珍しく感情を剥き出しにするユークリッドに、ロゼは追い討ちをかけた。
「皇太子殿下の戴冠式の日、第六皇女殿下とふたりきりで間を抜けたでしょう? そのあと、私がたまたま通った裏道で……」
語尾につれ小さくなっていく声。ロゼは太腿に置いた手でドレスのスカートを握りしめる。ユークリッドは、思念する。その十秒後、目を見開いた。
「まさか、見ていたのですか?」
「………………」
やはり、ユークリッドとアンナベルはキスをしていた。ユークリッドの驚きの言葉から、そう推測したロゼは顔を背ける。
ユークリッドからしたら、ロゼもアンナベルもただの道具にしか過ぎない。それは痛いほど、理解している。それなのにキスや抱擁をされただけで、自分だけが彼にとっての特別なのだと、大きな勘違いをしていた。愚かな自分に、ロゼは鼻にかけた嘲笑混じりの笑いをこぼした。俯き気味になる彼女を目の当たりにして、ユークリッドは口を開く。
「誤解していそうなので説明しておきますが……誓ってキスなどしておりません」
「……え?」
「確かに抱きつかれはしましたが、すぐに拒絶をしました。タイミング悪く、その場面だけを見てしまったのでしょう」
ユークリッドは誠心誠意、説明をする。変な汗をかいたせいで喉が渇いてしまったのか、彼は自身でグラスに水を注ぎ入れた。チャプチャプ、と水を汲む心地いい音色が響く。ロゼは、グラスをさらに透明に染め上げる水を眺めたあと、ユークリッドに視線を移した。
確かにロゼが見たのは、ユークリッドの後ろ姿だけ。彼とアンナベルの唇が触れ合っている確証はどこにもない。ユークリッドの説明を嘘だと笑い飛ばすことができるだけの情報がないのだ。逆もまた然りであるが。
唖然と口を開けるロゼの傍ら、ユークリッドは嘲笑いながら水を飲む。
「第六皇女にいくら使い道があったとしても、さすがにキスはしませんよ」
ユークリッドは呆れを隠すことなく、大息を吐いた。彼の捨て台詞に、明らかな矛盾が紛れ込んでいるのを発見したロゼは、彼を問い質す。
「ではなぜ、私にはキスをするのですか? 私はあなたが大公の座を手に入れるために必要な人物。道具でしかありません。だから私を守り、お母様も守ってくださる。それだけのこと。しかしそこに、キスなど必要ないでしょう?」
ロゼは一気に畳み掛ける。彼女の言い分は正しい。彼女はアンナベルと違い、ユークリッドによって利用価値があると判断されている。ところが、キスをする理由はどこにも見当たらない。いくら熟考したとしても、その答えは見つからないのだ。ロゼの感情的な問いかけに、ユークリッドがあくまでも自然に目を逸らす。
「必要なければ、キスをしてはいけないのですか?」
「……そういうわけでは、」
「ならば良いでしょう。キスをすることで満たされるもの、安心できるものがありますし」
「………………」
ロゼは上手い具合に丸め込まれてしまった。ユークリッドは満たされるために、安心感を得るために、彼女にキスをしている。その事実に、論理的な理由も何もない。
ユークリッドは重い腰を上げる。
「そろそろ部屋に戻りましょう。今夜は、共に眠ってくださいますよね?」
ユークリッドはロゼを同意を求める。ロゼはそれに頷くことなく、じっと彼を見つめ続けていた。
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