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本編

第93話 疾駆する

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 赤い炎をもたらす太陽と暗雲が立ち込める空。色合いのコントラストが絶妙な気味の悪さを醸し出す。瞬く間に太陽の光は分厚い雲に呑み込まれ、数分もしないうちに、ポタリ、ポタリと雨雫が落ちてきた。乾いた大地に恩恵を与えていく。小粒の雨が、段々と大粒になる。あと数時間もすれば、地面は水溜まりを作り、家々はずぶ濡れとなる。木々や作物がもういいと訴えるほど、雨は降り注ぐであろう。
 闘技場近く、地下の図書館で調べ物をしていたロゼは、大きく落胆しながら、自身の宮への道のりを歩いていた。心做しか、その足取りは重い。結局、今日の所は、なんの成果も得られなかった。それもそう。相手は金を積めばなんでも教えてくれる名の知れた情報屋ではない。どうぞ勝手に調べてくださいと言わんばかりに大きく構えた巨大な図書館なのだ。数多ある本の中から、ドルトディチェ大公家のジンクスにまつわる本を数時間で見つけろと言っても、明らかに無理な話。たった一日でお目当ての情報が手に入るわけがないのだ。しかし言い換えれば、辛抱しんぼう強く探していれば、いつかは見つけられる可能性もあるということ。まだ隠された秘密があるかもしれないのだ。一日、いや、たった半日調査をして目当てのものが見つからなかったからと言って、へこたれてはいけない。まだまだ先は長い。ダリアもドルトディチェ大公の部下やユークリッドの部下によって守られているのだから、過度な心配は必要ない。気長に行くべきだ。
 ロゼが深く息を吐き、脳内に響く雨音に身を委ねた刹那。

「ロゼちゃん」

 ロゼの意識を現実世界へと無理やり引っ張り戻す声が聞こえた。彼女の目の前には、ユーラルアとノエルがいた。

「ユーラルアお姉様、ノエル。ごきげんよう」

 ロゼは挨拶をするも、ユーラルアは返さない。常日頃、嬌笑を湛えている美貌は、いつになく真剣であった。ノエルは肩で息をしており、疲労困憊ひろうこんぱいしている様子が見て取れる。ふたりが放つ空気感に、ただならぬ気配を感じた。

「残念ですが、挨拶をしている暇はありませんわ。ロゼちゃん、今すぐわたくしと共に来てください」

 ユーラルアはそれだけ言うと、踵を巡らせ、足早に歩き出す。ロゼは彼女のあとを追う。理由を聞かない限りは、彼女についてはいけない。まだ彼女を信用しきったわけではないのだから。

「お待ちください、お姉様。せめて理由を、」
「そんなことを説明している暇はありません。わたくしに二度も同じことを言わせないでくださいな」

 ユーラルアは立ち止まり振り返る。ラピスラズリ色の長い髪が舞い、薔薇の香りが漂った。優雅な匂いとは裏腹に彼女の表情は、「恐ろしい」。ただその一言に尽きる。血の色に染まる目に吸い込まれそうになり、気がついたらロゼは頷いてしまっていた。

「かしこ、まり、ました」


 城の正門を潜る直前の場所、ノエルが急いで二頭の馬を引き連れてやって来た。ユーラルアに白毛の馬を預けると、ノエルは栃栗毛とちくりげの馬に跨った。

「ユークリッド様の行方を魔法で追跡いたします! 僕についてきてください!」

 ノエルは手綱を引っ張り、馬を走らせる。どうやらユーラルアとロゼが馬に乗るのを待つ時間すら惜しいらしい。ユーラルアは、ロゼを白毛の馬に乗せ、自身もドレスのまま華麗に馬の背へと乗った。

「さぁ、参りますわよ」

 ユーラルアが手網を引く。馬は前足を上げ反り返り、濡れた地を疾駆し始めた。スピードを上げていく。ロゼは、あまりの速さに振り落とされないか恐怖を覚えるが、ユーラルアがしっかり馬とコミュニケーションを取りながら細かな調節をしているため心配はいらない。
 馬が走るスピードにも、全身を徐々に濡らしていく雨粒にも慣れた頃、ユーラルアが閉ざしていた口を開いた。

「愚兄が大罪を犯しましたわ」

 ユーラルアの言葉に、ロゼは首を傾げる。
 愚兄、とは誰のことか。ユーラルアの兄は、ふたり存在する。序列第3位のオーフェン。序列第4位のジル。どちらのことを言っているのか。

「オーフェンですわ」

 ロゼの疑問を感じ取ったユーラルアが、禁断の名を囁く。大罪を犯したのが、オーフェンか、ジルかで言ったら、疑うまでもなく前者だろう。ロゼは確信を得て納得した。しかし大罪とは、一体何を仕出かしたのか。以前にも、ドルトディチェ大公に虚偽の報告をして、一ヶ月の謹慎を言い渡されていたというのに、まだ懲りていないようだ。

「大罪の詳細は……そうですわね、現場を目撃するまでのお楽しみとしたいところですが、いかがかしら?」
「……教えてください、お姉様」
「ふふ、あなたはそう仰ると思っていましたわ」   

 ユーラルアが愉しげに笑う。雨で濡れても色の落ちていない赤い唇が歪んだ。


「第六皇女殿下を誘拐しましたの」


 雷が落ちる。地を揺らし、人々の脳天を貫く尖った光が。ロゼの全身が一気に強ばった。
 なんてことをしてくれた。皇族を攫う、それも皇帝が最も可愛がっているアンナベルを攫うなど、大罪中の大罪。万が一、アンナベルが死亡していたら、皇帝によりドルトディチェ大公家ごと破滅させられてしまうかもしれない。ルティレータ皇族とドルトディチェ一族が紡いできた長い歴史に終止符が打たれるのか。そんなこと、あのドルトディチェ大公が許すはずもないが。

「ユークリッドくんが先に助けに行かれたそうですわ。わたくしもノエルくんから報告を受け、ロゼちゃんを連れて向かうこととしたのです。目撃者は多いほうがいいでしょう?」

 ユークリッドがアンナベルを助けに――。ロゼはろくに働かない頭を回転させ、おもむろに頷く。

「ユークリッドくんはただの義務感で、第六皇女殿下を助けるだけだと思いますわ。ロゼちゃんが悲しむ必要は、」
「いいのです。ユークリッドが第六皇女殿下を助けなければならないことは、百も承知ですから」

 ロゼはユーラルアの言葉を遮る。曇天の心の中へと無理やり落とし込んだのであった。
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