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本編

第91話 鍵

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 ドルトディチェ大公は護衛たちを退け、ロゼと共に茫々とした庭園を歩く。義父とふたりきり。喉が詰まり思わず咳き込んでしまいそうなほど、張り詰めた緊迫感に、ロゼは居心地の悪さを感じた。さっさとドルトディチェ大公との話を終わらせたいと思い、一向に話し始めない彼に話を促す。

「お話とは……」
「まぁ、そう焦るな。こうしてふたりで話すのも、久々……いや、もしかして初めてか?」
「……記憶にございません」

 ロゼは包み隠さず素直に打ち明けると、ドルトディチェ大公は「俺もねぇ」と言いながら天真爛漫に笑った。ユークリッドよりも格段と笑顔が似合うドルトディチェ大公であるが、ユークリッドも彼のように笑ったら、きっと可愛いだろう。無意識のうちにユークリッドのことを思い浮かべていたロゼを見て、ドルトディチェ大公は本題に入る。

「ダリアは平穏に暮らしている。部屋も移ったし、護衛や暗殺者の数も増やした。かなりの実力者じゃねぇ限り……それこそユークリッドやメルドレール公爵くらいの実力者じゃねぇと、部屋に忍び込んでアイツを殺すのは無理だ。お前もユークリッドも、何かとダリアの身を案じていたからな、その報告だ」

 ドルトディチェ大公が自身の時間を割いてまでもロゼに話を持ちかけた理由は、ダリアの近況報告にあったのだ。ありがたいと思ったロゼは、礼を告げる。

「ありがとうございます。お父様、どうか、お母様を必ず、守ってください」

 ドルトディチェ大公が立ち止まる。ロゼは不可解な言葉を言ってしまったかと不安を抱え、彼の顔を見遣った。先程の少年を彷彿とさせる無邪気な笑顔はどこへやら。彼は裏世界の人間さながらに気味の悪い笑みを浮かべていた。

「ったりめぇだ。誰に向かって言ってる」
「……愚問でしたね。申し訳ございません」

 ロゼはドルトディチェ大公を最大限刺激しないよう配慮し、謝罪を述べる。刹那、傍の木から鳥が飛び立つ羽の音が聞こえる。太陽の光を遮断する影がかかる。地面に浮かび上がった巨大な鳥の影に、細胞が恐怖を知らせる警報を鳴らした。勢いよく顔を上げ空を見上げるも、視界に飛び込んでくるのは眩い太陽光と、憎いくらいに青い空だけ。春の陽気を混じえた風が優しく吹いた時――。

「そう言えばお前、ドルトディチェに伝わるとあるジンクスを知っているか?」

 世界の時が止まったかのような、独特の感覚。ドルトディチェ大公に問いかけられたロゼは、震える手を押さえつけ、乾いた唇を開く。

「ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。というジンクスですよね?」
「あぁ、オレが聞いてんのはその詳細だ」

 ロゼは僅かに反応を示す。闇夜に射す一筋の光。暗がりの中でも確かなる希望を見出した彼女は、指の先まで流れる血が騒ぐのを感じた。
 もしかしたら、ドルトディチェ大公がジンクスの詳細について知っているのかもしれない。ロゼは、二回目の人生をやり直している身として、それからドルトディチェ大公家の結末を知っている身として、ジンクスを叶えてドルトディチェの存続を成し遂げなければならない宿命を背負う。その鍵となるものをドルトディチェ大公は握っている、あるいは知っている可能性がある。最初から彼に聞いておけばよかったものを。いや、万が一勘づかれてしまっていたら、今よりずっとずっと面倒な事態になっていたはず。今のタイミングでよかったのかもしれない。ロゼはゴクリと喉を鳴らす。

「私は知りませんが……お父様は何かご存知なのですか?」
「知らねぇな。……ただ、神獣アウリウスに一際強い愛を与えられたユークリッドが、もしかしたら鍵となるかもな」

 ロゼは、ドルトディチェ大公の推測に賛同し、静かに首肯した。

「お父様も知らないとなれば……この城にジンクスにまつわる書類などは遺されていないようですね」
「さぁな。何せこの城は広い。五十年以上住んでいるオレも把握できていない場所はあるし、保管されている歴史書や過去の書類は膨大だ」
「仰る通りです」

 ドルトディチェ大公は顎に手をあて、ほんの少しだけ生えた無精髭ぶしょうひげを触る。何かを考え込む仕草を見せた。

「図書館になら、何かヒントがあるかもしれねぇ」

 ドルトディチェ大公の提案に、ロゼは頭を傾けた。図書館ならば既に調査しているが。そう思いつつも、わざとらしく問う。

「図書館ですか?」
「あぁ。四つある内のひとつ。闘技場の近くにある図書館だ」

 ロゼが通うのは、本宮付近に存在する図書館。ドルトディチェ大公が言ったのは、闘技場の近くにある図書館。四つの図書館の中でも、一際厳重な警戒態勢が敷かれる場所だ。秘密の書があるとか、許されざる罪が記されているとか、ソースも分からない噂が蔓延はびこる。危険な場所、厳しい警備があるからこそ、ジンクスについての手がかりが隠されているのかもしれない。ぽつり、と胸中に生まれた興味を消し去ることはできなかった。

「その図書館は、限られた人物しか出入りできないのでは……」
「なんだ? 興味あんのか?」

 汗ばんだ体が、一気に冷却されていく。深入りしすぎてしまったのだ。自責の念に駆られるが、口に出てしまったものは仕方がない。もうあとには引けない。

「興味があると言えば、そうなのかもしれません。私にはドルトディチェ大公家の方々のような血液に関する能力はありませんから、どのようにドルトディチェの歴史が始まったのか、知りたいとは思います」

 一見不利に見えて、実は有利な養子という立場を利用して、当たり障りなく答える。

「それもそうだ。お前はドルトディチェの血を引いていねぇからな、興味深くなるのも相応だな」

 ドルトディチェ大公は何度か頷く。そのあと何かを思いついたのか、卑しく口端を吊り上げ笑った。


「特別だ。鍵をやる」


 その言葉に、ロゼは心の底から湧き出る喜びを覚えた。決して顔には出さぬまま、あっけらかんとした顔容でこう言った。

「ありがとうございます。行くかどうかは、分かりませんが……」
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