92 / 183
本編
第91話 鍵
しおりを挟む
ドルトディチェ大公は護衛たちを退け、ロゼと共に茫々とした庭園を歩く。義父とふたりきり。喉が詰まり思わず咳き込んでしまいそうなほど、張り詰めた緊迫感に、ロゼは居心地の悪さを感じた。さっさとドルトディチェ大公との話を終わらせたいと思い、一向に話し始めない彼に話を促す。
「お話とは……」
「まぁ、そう焦るな。こうしてふたりで話すのも、久々……いや、もしかして初めてか?」
「……記憶にございません」
ロゼは包み隠さず素直に打ち明けると、ドルトディチェ大公は「俺もねぇ」と言いながら天真爛漫に笑った。ユークリッドよりも格段と笑顔が似合うドルトディチェ大公であるが、ユークリッドも彼のように笑ったら、きっと可愛いだろう。無意識のうちにユークリッドのことを思い浮かべていたロゼを見て、ドルトディチェ大公は本題に入る。
「ダリアは平穏に暮らしている。部屋も移ったし、護衛や暗殺者の数も増やした。かなりの実力者じゃねぇ限り……それこそユークリッドやメルドレール公爵くらいの実力者じゃねぇと、部屋に忍び込んでアイツを殺すのは無理だ。お前もユークリッドも、何かとダリアの身を案じていたからな、その報告だ」
ドルトディチェ大公が自身の時間を割いてまでもロゼに話を持ちかけた理由は、ダリアの近況報告にあったのだ。ありがたいと思ったロゼは、礼を告げる。
「ありがとうございます。お父様、どうか、お母様を必ず、守ってください」
ドルトディチェ大公が立ち止まる。ロゼは不可解な言葉を言ってしまったかと不安を抱え、彼の顔を見遣った。先程の少年を彷彿とさせる無邪気な笑顔はどこへやら。彼は裏世界の人間さながらに気味の悪い笑みを浮かべていた。
「ったりめぇだ。誰に向かって言ってる」
「……愚問でしたね。申し訳ございません」
ロゼはドルトディチェ大公を最大限刺激しないよう配慮し、謝罪を述べる。刹那、傍の木から鳥が飛び立つ羽の音が聞こえる。太陽の光を遮断する影がかかる。地面に浮かび上がった巨大な鳥の影に、細胞が恐怖を知らせる警報を鳴らした。勢いよく顔を上げ空を見上げるも、視界に飛び込んでくるのは眩い太陽光と、憎いくらいに青い空だけ。春の陽気を混じえた風が優しく吹いた時――。
「そう言えばお前、ドルトディチェに伝わるとあるジンクスを知っているか?」
世界の時が止まったかのような、独特の感覚。ドルトディチェ大公に問いかけられたロゼは、震える手を押さえつけ、乾いた唇を開く。
「ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。というジンクスですよね?」
「あぁ、オレが聞いてんのはその詳細だ」
ロゼは僅かに反応を示す。闇夜に射す一筋の光。暗がりの中でも確かなる希望を見出した彼女は、指の先まで流れる血が騒ぐのを感じた。
もしかしたら、ドルトディチェ大公がジンクスの詳細について知っているのかもしれない。ロゼは、二回目の人生をやり直している身として、それからドルトディチェ大公家の結末を知っている身として、ジンクスを叶えてドルトディチェの存続を成し遂げなければならない宿命を背負う。その鍵となるものをドルトディチェ大公は握っている、あるいは知っている可能性がある。最初から彼に聞いておけばよかったものを。いや、万が一勘づかれてしまっていたら、今よりずっとずっと面倒な事態になっていたはず。今のタイミングでよかったのかもしれない。ロゼはゴクリと喉を鳴らす。
「私は知りませんが……お父様は何かご存知なのですか?」
「知らねぇな。……ただ、神獣アウリウスに一際強い愛を与えられたユークリッドが、もしかしたら鍵となるかもな」
ロゼは、ドルトディチェ大公の推測に賛同し、静かに首肯した。
「お父様も知らないとなれば……この城にジンクスにまつわる書類などは遺されていないようですね」
「さぁな。何せこの城は広い。五十年以上住んでいるオレも把握できていない場所はあるし、保管されている歴史書や過去の書類は膨大だ」
「仰る通りです」
ドルトディチェ大公は顎に手をあて、ほんの少しだけ生えた無精髭を触る。何かを考え込む仕草を見せた。
「図書館になら、何かヒントがあるかもしれねぇ」
ドルトディチェ大公の提案に、ロゼは頭を傾けた。図書館ならば既に調査しているが。そう思いつつも、わざとらしく問う。
「図書館ですか?」
「あぁ。四つある内のひとつ。闘技場の近くにある図書館だ」
ロゼが通うのは、本宮付近に存在する図書館。ドルトディチェ大公が言ったのは、闘技場の近くにある図書館。四つの図書館の中でも、一際厳重な警戒態勢が敷かれる場所だ。秘密の書があるとか、許されざる罪が記されているとか、ソースも分からない噂が蔓延る。危険な場所、厳しい警備があるからこそ、ジンクスについての手がかりが隠されているのかもしれない。ぽつり、と胸中に生まれた興味を消し去ることはできなかった。
「その図書館は、限られた人物しか出入りできないのでは……」
「なんだ? 興味あんのか?」
汗ばんだ体が、一気に冷却されていく。深入りしすぎてしまったのだ。自責の念に駆られるが、口に出てしまったものは仕方がない。もうあとには引けない。
「興味があると言えば、そうなのかもしれません。私にはドルトディチェ大公家の方々のような血液に関する能力はありませんから、どのようにドルトディチェの歴史が始まったのか、知りたいとは思います」
一見不利に見えて、実は有利な養子という立場を利用して、当たり障りなく答える。
「それもそうだ。お前はドルトディチェの血を引いていねぇからな、興味深くなるのも相応だな」
ドルトディチェ大公は何度か頷く。そのあと何かを思いついたのか、卑しく口端を吊り上げ笑った。
「特別だ。鍵をやる」
その言葉に、ロゼは心の底から湧き出る喜びを覚えた。決して顔には出さぬまま、あっけらかんとした顔容でこう言った。
「ありがとうございます。行くかどうかは、分かりませんが……」
「お話とは……」
「まぁ、そう焦るな。こうしてふたりで話すのも、久々……いや、もしかして初めてか?」
「……記憶にございません」
ロゼは包み隠さず素直に打ち明けると、ドルトディチェ大公は「俺もねぇ」と言いながら天真爛漫に笑った。ユークリッドよりも格段と笑顔が似合うドルトディチェ大公であるが、ユークリッドも彼のように笑ったら、きっと可愛いだろう。無意識のうちにユークリッドのことを思い浮かべていたロゼを見て、ドルトディチェ大公は本題に入る。
「ダリアは平穏に暮らしている。部屋も移ったし、護衛や暗殺者の数も増やした。かなりの実力者じゃねぇ限り……それこそユークリッドやメルドレール公爵くらいの実力者じゃねぇと、部屋に忍び込んでアイツを殺すのは無理だ。お前もユークリッドも、何かとダリアの身を案じていたからな、その報告だ」
ドルトディチェ大公が自身の時間を割いてまでもロゼに話を持ちかけた理由は、ダリアの近況報告にあったのだ。ありがたいと思ったロゼは、礼を告げる。
「ありがとうございます。お父様、どうか、お母様を必ず、守ってください」
ドルトディチェ大公が立ち止まる。ロゼは不可解な言葉を言ってしまったかと不安を抱え、彼の顔を見遣った。先程の少年を彷彿とさせる無邪気な笑顔はどこへやら。彼は裏世界の人間さながらに気味の悪い笑みを浮かべていた。
「ったりめぇだ。誰に向かって言ってる」
「……愚問でしたね。申し訳ございません」
ロゼはドルトディチェ大公を最大限刺激しないよう配慮し、謝罪を述べる。刹那、傍の木から鳥が飛び立つ羽の音が聞こえる。太陽の光を遮断する影がかかる。地面に浮かび上がった巨大な鳥の影に、細胞が恐怖を知らせる警報を鳴らした。勢いよく顔を上げ空を見上げるも、視界に飛び込んでくるのは眩い太陽光と、憎いくらいに青い空だけ。春の陽気を混じえた風が優しく吹いた時――。
「そう言えばお前、ドルトディチェに伝わるとあるジンクスを知っているか?」
世界の時が止まったかのような、独特の感覚。ドルトディチェ大公に問いかけられたロゼは、震える手を押さえつけ、乾いた唇を開く。
「ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる。というジンクスですよね?」
「あぁ、オレが聞いてんのはその詳細だ」
ロゼは僅かに反応を示す。闇夜に射す一筋の光。暗がりの中でも確かなる希望を見出した彼女は、指の先まで流れる血が騒ぐのを感じた。
もしかしたら、ドルトディチェ大公がジンクスの詳細について知っているのかもしれない。ロゼは、二回目の人生をやり直している身として、それからドルトディチェ大公家の結末を知っている身として、ジンクスを叶えてドルトディチェの存続を成し遂げなければならない宿命を背負う。その鍵となるものをドルトディチェ大公は握っている、あるいは知っている可能性がある。最初から彼に聞いておけばよかったものを。いや、万が一勘づかれてしまっていたら、今よりずっとずっと面倒な事態になっていたはず。今のタイミングでよかったのかもしれない。ロゼはゴクリと喉を鳴らす。
「私は知りませんが……お父様は何かご存知なのですか?」
「知らねぇな。……ただ、神獣アウリウスに一際強い愛を与えられたユークリッドが、もしかしたら鍵となるかもな」
ロゼは、ドルトディチェ大公の推測に賛同し、静かに首肯した。
「お父様も知らないとなれば……この城にジンクスにまつわる書類などは遺されていないようですね」
「さぁな。何せこの城は広い。五十年以上住んでいるオレも把握できていない場所はあるし、保管されている歴史書や過去の書類は膨大だ」
「仰る通りです」
ドルトディチェ大公は顎に手をあて、ほんの少しだけ生えた無精髭を触る。何かを考え込む仕草を見せた。
「図書館になら、何かヒントがあるかもしれねぇ」
ドルトディチェ大公の提案に、ロゼは頭を傾けた。図書館ならば既に調査しているが。そう思いつつも、わざとらしく問う。
「図書館ですか?」
「あぁ。四つある内のひとつ。闘技場の近くにある図書館だ」
ロゼが通うのは、本宮付近に存在する図書館。ドルトディチェ大公が言ったのは、闘技場の近くにある図書館。四つの図書館の中でも、一際厳重な警戒態勢が敷かれる場所だ。秘密の書があるとか、許されざる罪が記されているとか、ソースも分からない噂が蔓延る。危険な場所、厳しい警備があるからこそ、ジンクスについての手がかりが隠されているのかもしれない。ぽつり、と胸中に生まれた興味を消し去ることはできなかった。
「その図書館は、限られた人物しか出入りできないのでは……」
「なんだ? 興味あんのか?」
汗ばんだ体が、一気に冷却されていく。深入りしすぎてしまったのだ。自責の念に駆られるが、口に出てしまったものは仕方がない。もうあとには引けない。
「興味があると言えば、そうなのかもしれません。私にはドルトディチェ大公家の方々のような血液に関する能力はありませんから、どのようにドルトディチェの歴史が始まったのか、知りたいとは思います」
一見不利に見えて、実は有利な養子という立場を利用して、当たり障りなく答える。
「それもそうだ。お前はドルトディチェの血を引いていねぇからな、興味深くなるのも相応だな」
ドルトディチェ大公は何度か頷く。そのあと何かを思いついたのか、卑しく口端を吊り上げ笑った。
「特別だ。鍵をやる」
その言葉に、ロゼは心の底から湧き出る喜びを覚えた。決して顔には出さぬまま、あっけらかんとした顔容でこう言った。
「ありがとうございます。行くかどうかは、分かりませんが……」
31
お気に入りに追加
354
あなたにおすすめの小説
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
30年待たされた異世界転移
明之 想
ファンタジー
気づけば異世界にいた10歳のぼく。
「こちらの手違いかぁ。申し訳ないけど、さっさと帰ってもらわないといけないね」
こうして、ぼくの最初の異世界転移はあっけなく終わってしまった。
右も左も分からず、何かを成し遂げるわけでもなく……。
でも、2度目があると確信していたぼくは、日本でひたすら努力を続けた。
あの日見た夢の続きを信じて。
ただ、ただ、異世界での冒険を夢見て!!
くじけそうになっても努力を続け。
そうして、30年が経過。
ついに2度目の異世界冒険の機会がやってきた。
しかも、20歳も若返った姿で。
異世界と日本の2つの世界で、
20年前に戻った俺の新たな冒険が始まる。
戦女神の別人生〜戦場で散ったはずなのに、聖女として冷酷王子に溺愛されます!?〜
藤乃 早雪
恋愛
勘違いしてはいけない。彼の愛する人は聖女であって、私ではないのだ――
初恋こじらせ冷酷王子×愛を捨て国のために生きた元戦女神。二人のじれじれ両片思いラブロマンス。
*+☆+*☆+*☆+*☆+*
リアナーレ=アストレイは、シャレイアン王国の戦女神と呼ばれる女軍人。戦場で華々しく散ったと思いきや、同時期に亡くなった星詠みの聖女の体で目を覚ます。
冷酷王子と呼ばれるシャレイアン王国の第二王子、セヴィリオ=シャレイアンとは仲違いをしていたが、彼は入れ替わりに気づかぬ様子で聖女を溺愛するのだった。
密かに思い続けていた男に聖女として愛され、複雑な心境のリアナーレ。正体がバレぬよう、聖女のふりをして生活を始めるが、お淑やかでいられるはずもなく、国を揺るがす陰謀に巻き込まれていく。
冷酷王子に入れ替わりのことを明かせずにいるリアナーレだが、実は彼にも裏事情があるようで――
*+☆+*☆+*☆+*☆+*
※レイティングに該当しそうな話に「*」をつけておきます。
※カクヨム様、小説家になろう様にも投稿しております。
Wヒロインの乙女ゲームの元ライバルキャラに転生したけれど、ヤンデレにタゲられました。
舘野寧依
恋愛
ヤンデレさんにストーカーされていた女子高生の月穂はある日トラックにひかれてしまう。
そんな前世の記憶を思い出したのは、十七歳、女神選定試験が開始されるまさにその時だった。
そこでは月穂は大貴族のお嬢様、クリスティアナ・ド・セレスティアと呼ばれていた。
それは月穂がよくプレイしていた乙女ゲーのライバルキャラ(デフォルト)の名だった。
なぜか魔術師様との親密度と愛情度がグラフで視界に現れるし、どうやらここは『女神育成~魔術師様とご一緒に~』の世界らしい。
まあそれはいいとして、最悪なことにあのヤンデレさんが一緒に転生していて告白されました。
そしてまた、新たに別のヤンデレさんが誕生して見事にタゲられてしまい……。
そんな過剰な愛はいらないので、お願いですから普通に恋愛させてください。
愛されない花嫁はいなくなりました。
豆狸
恋愛
私には以前の記憶がありません。
侍女のジータと川遊びに行ったとき、はしゃぎ過ぎて船から落ちてしまい、水に流されているうちに岩で頭を打って記憶を失ってしまったのです。
……間抜け過ぎて自分が恥ずかしいです。
政略結婚した夫の愛人は私の専属メイドだったので離婚しようと思います
結城芙由奈
恋愛
浮気ですか?どうぞご自由にして下さい。私はここを去りますので
結婚式の前日、政略結婚相手は言った。「お前に永遠の愛は誓わない。何故ならそこに愛など存在しないのだから。」そして迎えた驚くべき結婚式と驚愕の事実。いいでしょう、それほど不本意な結婚ならば離婚してあげましょう。その代わり・・後で後悔しても知りませんよ?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載中
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる