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本編
第90話 対峙するふたり
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後日、快晴の空の下、ロゼはフリードリヒにドルトディチェ大公城まで送ってもらった。大公城の正門前で馬車から降り、フリードリヒに礼を言うべく振り返る。すると彼は、ロゼではなく、ロゼの背後を注視していた。親の仇を見るかのような目で――。ロゼの背中に、寒気が走る。まさか、と思いながら踵を返すと、門前にはドルトディチェ大公がいた。ロゼの想像とは違った人間であったため胸を撫で下ろすのもつかの間、ドルトディチェ大公は地の底を這い蹲る声で唸る。
「朝帰りか?」
身の毛がよだつ。乾いた唇を舌で舐め、至って普通の声のトーンで挨拶をする。
「おはようございます、お父様」
ドルトディチェ大公は、ロゼを睨みつける。切れ長の血色の瞳子が細められ、鋭利な刃物を思わせる瞳の光がロゼの心臓を貫く。
「こんな状況下で優雅に挨拶するとは、偉くなったものだな? ロゼ」
「そんなつもりは……」
ロゼは反論しようと咄嗟に口を開くも、思い留まる。ただでさえ、酷く機嫌の悪いドルトディチェ大公を、これ以上刺激するのは立派な自殺行為だと察したからだ。ロゼはかぶりを振った。
「申し訳ございません。今度からは、気をつけます」
ロゼの素直な謝罪を受け入れたドルトディチェ大公は、フンッと鼻を鳴らす。彼の次のターゲットは、フリードリヒだ。ロックオンされたフリードリヒは、真っ向からドルトディチェ大公を見つめる。さすがはルティレータ帝国最強の騎士だ。数多もの戦場を生き抜いてきた実力は、伊達ではない。現時点において、ルティレータで最も物騒な空気が辺りを取り巻く。
「オレの娘に手を出すとはいい度胸だな、メルドレール公爵」
「我が剣に誓って、そのような事実は一切ございません。ドルトディチェ大公」
キスをしたくせにどの口が、と悪態を突くロゼ。声で紡いでしまえば事を悪化させるだけのため、口が裂けても言えないが。
「昨日、大公城へと帰る途中、盗賊に襲われました。ロゼの身の安全を最大限確保するため、我が城へ一時避難をした次第にございます。盗賊はひとり残らず処分いたしましたので、ご心配なさらず」
貴族界において、実質上トップに君臨するドルトディチェ大公に対して、フリードリヒは強気に出る。優しい笑みはどこへ行ってしまったのやら。今の彼の表情は、積み重なる死体の山に立つ歴戦の騎士のそれだ。
「……まぁいい。暗殺者の類ではないな?」
「はい。間違いなく盗賊です」
フリードリヒの返答を受け、ドルトディチェ大公は軽く頷いた。
「オレの愛する女の娘を助けてくれたことは、素直に礼を言おう。だが、テメェにロゼはやらねぇよ」
ブラッドレッドの瞳が怪しげに瞬いた。フリードリヒはグッと唇を噛みしめる。
ドルトディチェ大公はフリードリヒを認めてはいない。それはもちろん、彼が因縁の仲であるメルドレール先代公爵の息子だという理由もある。しかし、その理由だけではないような気がするが。ロゼが不思議に思ったと同時に、フリードリヒは拳を握りしめ、口を開く。
「認めていただけるよう、尽力いたします」
フリードリヒの低い声に、ロゼは震える。
「どれだけ頑張っても、認めねぇと言ったら?」
「ロゼの意志を確認した上で、無理やりにでも奪ってみせましょう」
堂々たる宣言に、ドルトディチェ大公は楽しげに口端を吊り上げる。正義感の塊であるフリードリヒが「無理やりにでも奪ってみせる」と言ったのが、かなり彼の心を刺激したみたいだ。
「オレが死なねぇ限り、その日は来ねぇな」
ドルトディチェ大公はフリードリヒの宣言を馬鹿馬鹿しいと遠回しに吐き捨てたあと、ロゼに視線を向ける。
「ロゼ、お前の母親……ダリアが呼んでる」
ロゼは驚愕する。ドルトディチェ大公は、ダリアの用事を果たすために、ロゼを呼びにきたのだろうか。だが今さら、ダリアと話すことなど何もない。平常心でいられる自信がないのだ。ロゼは小さく首を左右に振った。
「お母様と話すことなどございません」
「……お前が大の母親嫌いなことは知っていたがここまでとは」
「お母様の命が無事であるなら、それで構いません」
ドルトディチェ大公は、暫し思案する。そしてパッと顔を上げた。先程まで眉間に寄っていた皺は薄くなり、慈愛に満ちた瞳が垣間見える。
「じゃあ少し、オレと話せ」
ドルトディチェ大公の意図が読めず、ロゼは動揺してしまった。アジュライト色の目が左右に揺れる。一体彼が何を考えているのか分からない。今日という日ほど、ドルトディチェ大公という人間について悩んだ日はないであろう。ロゼがどう返事をするべきか考えあぐねていると、ドルトディチェ大公は勝手に結論を出してフリードリヒを睥睨した。
「ほら、邪魔者は退散しろ」
「……失礼いたします」
大人しくドルトディチェ大公の言葉に従ったフリードリヒは、馬車に乗り込む。走り去る白塗りの馬車を見てロゼは、ろくに礼を言えなかった、と深い悔恨を抱いたのであった。
「朝帰りか?」
身の毛がよだつ。乾いた唇を舌で舐め、至って普通の声のトーンで挨拶をする。
「おはようございます、お父様」
ドルトディチェ大公は、ロゼを睨みつける。切れ長の血色の瞳子が細められ、鋭利な刃物を思わせる瞳の光がロゼの心臓を貫く。
「こんな状況下で優雅に挨拶するとは、偉くなったものだな? ロゼ」
「そんなつもりは……」
ロゼは反論しようと咄嗟に口を開くも、思い留まる。ただでさえ、酷く機嫌の悪いドルトディチェ大公を、これ以上刺激するのは立派な自殺行為だと察したからだ。ロゼはかぶりを振った。
「申し訳ございません。今度からは、気をつけます」
ロゼの素直な謝罪を受け入れたドルトディチェ大公は、フンッと鼻を鳴らす。彼の次のターゲットは、フリードリヒだ。ロックオンされたフリードリヒは、真っ向からドルトディチェ大公を見つめる。さすがはルティレータ帝国最強の騎士だ。数多もの戦場を生き抜いてきた実力は、伊達ではない。現時点において、ルティレータで最も物騒な空気が辺りを取り巻く。
「オレの娘に手を出すとはいい度胸だな、メルドレール公爵」
「我が剣に誓って、そのような事実は一切ございません。ドルトディチェ大公」
キスをしたくせにどの口が、と悪態を突くロゼ。声で紡いでしまえば事を悪化させるだけのため、口が裂けても言えないが。
「昨日、大公城へと帰る途中、盗賊に襲われました。ロゼの身の安全を最大限確保するため、我が城へ一時避難をした次第にございます。盗賊はひとり残らず処分いたしましたので、ご心配なさらず」
貴族界において、実質上トップに君臨するドルトディチェ大公に対して、フリードリヒは強気に出る。優しい笑みはどこへ行ってしまったのやら。今の彼の表情は、積み重なる死体の山に立つ歴戦の騎士のそれだ。
「……まぁいい。暗殺者の類ではないな?」
「はい。間違いなく盗賊です」
フリードリヒの返答を受け、ドルトディチェ大公は軽く頷いた。
「オレの愛する女の娘を助けてくれたことは、素直に礼を言おう。だが、テメェにロゼはやらねぇよ」
ブラッドレッドの瞳が怪しげに瞬いた。フリードリヒはグッと唇を噛みしめる。
ドルトディチェ大公はフリードリヒを認めてはいない。それはもちろん、彼が因縁の仲であるメルドレール先代公爵の息子だという理由もある。しかし、その理由だけではないような気がするが。ロゼが不思議に思ったと同時に、フリードリヒは拳を握りしめ、口を開く。
「認めていただけるよう、尽力いたします」
フリードリヒの低い声に、ロゼは震える。
「どれだけ頑張っても、認めねぇと言ったら?」
「ロゼの意志を確認した上で、無理やりにでも奪ってみせましょう」
堂々たる宣言に、ドルトディチェ大公は楽しげに口端を吊り上げる。正義感の塊であるフリードリヒが「無理やりにでも奪ってみせる」と言ったのが、かなり彼の心を刺激したみたいだ。
「オレが死なねぇ限り、その日は来ねぇな」
ドルトディチェ大公はフリードリヒの宣言を馬鹿馬鹿しいと遠回しに吐き捨てたあと、ロゼに視線を向ける。
「ロゼ、お前の母親……ダリアが呼んでる」
ロゼは驚愕する。ドルトディチェ大公は、ダリアの用事を果たすために、ロゼを呼びにきたのだろうか。だが今さら、ダリアと話すことなど何もない。平常心でいられる自信がないのだ。ロゼは小さく首を左右に振った。
「お母様と話すことなどございません」
「……お前が大の母親嫌いなことは知っていたがここまでとは」
「お母様の命が無事であるなら、それで構いません」
ドルトディチェ大公は、暫し思案する。そしてパッと顔を上げた。先程まで眉間に寄っていた皺は薄くなり、慈愛に満ちた瞳が垣間見える。
「じゃあ少し、オレと話せ」
ドルトディチェ大公の意図が読めず、ロゼは動揺してしまった。アジュライト色の目が左右に揺れる。一体彼が何を考えているのか分からない。今日という日ほど、ドルトディチェ大公という人間について悩んだ日はないであろう。ロゼがどう返事をするべきか考えあぐねていると、ドルトディチェ大公は勝手に結論を出してフリードリヒを睥睨した。
「ほら、邪魔者は退散しろ」
「……失礼いたします」
大人しくドルトディチェ大公の言葉に従ったフリードリヒは、馬車に乗り込む。走り去る白塗りの馬車を見てロゼは、ろくに礼を言えなかった、と深い悔恨を抱いたのであった。
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