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本編
第89話 全ては憶測で
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視界を遮断したあと、唇に感じるのは温もり。噎せ返る甘い匂いが纏わりつく。ユークリッドとは違う、穏やかな愛の口づけ。小さなリップ音を立てて離れる。瞼の幕を上げると、眼前にフリードリヒの美顔が広がった。紅潮した頬。タンザナイト色の瞳に情熱が宿る。掻き立てられる熱に魘されそうになった時、フリードリヒは濡れそぼった唇を開いた。
「ロゼ、好きだよ。君のことが、好きだ」
甘い告白に、ロゼは小刻みに総身を震わせた。フリードリヒへの気持ちが分からない上に、現状として彼の告白に応えることができない。肯定とも否定とも取れない感謝の意を示そうとすると、フリードリヒはソファーから立ち上がる。
「……おやすみ」
フリードリヒは深夜の挨拶をして、柔和に微笑んだ。今はまだ、彼も明確な答えを望んではいない。それに安心したロゼは、腰を上げ、フリードリヒを見送る。
扉の前、フリードリヒはふと立ち止まる。
「また明日、ドルトディチェ大公城まで送ってくよ」
振り返りながらそう言った。ありがたい申し出に、ロゼは頷く。フリードリヒは親愛の意味を込め、彼女を抱きしめたあと、ドアノブに触れる。キィ、という音と共に開いた木製の扉から静まり返る廊下に出た。
「おやすみなさい」
夜の挨拶を返すと、フリードリヒは軽く笑って、扉を閉めた。客室にひとりきりとなったロゼは、灯りを最小限にして、ベッドに腰掛ける。しんみりとした空気感の中、今日の出来事を回想した。
建国記念祭。建国の記念日を祝福する今日という日に、ユークリッドは皇帝よりアンナベルとの結婚を推奨された。彼は少しも動揺せず、顔色も変わっていなかった。もしかしたら、ロゼの知らないところでも、何度か皇帝からアンナベルとの婚約の話を持ちかけられていたかもしれない。そうならば、ユークリッドがまったく動揺していなかったのも頷ける。これまで上手いことはぐらかしてきたが、皆の前で言われてしまえば、のらりくらりとはぐらかすこともなかなかに難しかったのだろう。だが協力者であるユーラルアの助けもあって、ユークリッドは非常事態を乗り切ることができた。しかしロゼが気にしているのはそこではない。
「ユークリッド。あなたは第六皇女殿下のことを、どう思っているの?」
ロゼが気にしているのは、ユークリッドの本心だ。ちなみにロゼが彼に向ける気持ちは、説明のしようがないほど複雑で巨大なものである。しかしふたりは、義理の姉弟だ。血は繋っていないため婚姻を結べないわけではないが、障害であることは確か。ところが、ユークリッドとアンナベルの間には、なんの障害もない。つまり、ユークリッドがアンナベルと結婚したいと望めば、すぐにでも結婚できてしまう状況にあるのだ。だが、絶賛後継者争いの真っ只中にいるユークリッドにとっては、ロゼやダリア以外に守る人間が増えるため、少々負担に感じるであろうことも否めない。言い換えれば、後継者の座を確立させたらすぐにでも、アンナベルを娶ることができる。そう、ユークリッドさえ、望めば……。彼は、アンナベルを愛しているのか。大公の妻としてふさわしいとしか思っていないのか。それとも、前者ふたつとまったく別、愛してもいなければ妻にしたいとも思っていないのか。
「はぁ……。こんなこと考えても、ユークリッドの気持ちなんて分かるはずないわよ……」
ロゼは独り言をこぼし、ベッドに横たわる。ふわふわの質感のブランケットに潜り、心を落ち着かせる。
「ユークリッド……」
ユークリッドの名を呼ぶ。当たり前だが、返事はない。
あの抜かりないユークリッドがアンナベルの立ち位置を有耶無耶にするだろうか。愛しているから手に入れたい、大公の座のために必要な人間だ。そう思っているなら、ロゼのように自身の懐に入れるのではないか。いくら彼の思考を探ろうとも、答えを知ることはできない。だがユークリッドは、アンナベルとキスまでしていたのだ。「今は公にはできないですが、いずれは一緒になりましょう」などと、甘い言葉で唆しているのだろう。ロゼは、自傷気味に笑う。
「その調子よ、ユークリッド。その、その意気で、振り返らないで……」
どうか、あなたとの間にある感情に、繋がった鎖に、私が名前を与える前に――。
「ロゼ、好きだよ。君のことが、好きだ」
甘い告白に、ロゼは小刻みに総身を震わせた。フリードリヒへの気持ちが分からない上に、現状として彼の告白に応えることができない。肯定とも否定とも取れない感謝の意を示そうとすると、フリードリヒはソファーから立ち上がる。
「……おやすみ」
フリードリヒは深夜の挨拶をして、柔和に微笑んだ。今はまだ、彼も明確な答えを望んではいない。それに安心したロゼは、腰を上げ、フリードリヒを見送る。
扉の前、フリードリヒはふと立ち止まる。
「また明日、ドルトディチェ大公城まで送ってくよ」
振り返りながらそう言った。ありがたい申し出に、ロゼは頷く。フリードリヒは親愛の意味を込め、彼女を抱きしめたあと、ドアノブに触れる。キィ、という音と共に開いた木製の扉から静まり返る廊下に出た。
「おやすみなさい」
夜の挨拶を返すと、フリードリヒは軽く笑って、扉を閉めた。客室にひとりきりとなったロゼは、灯りを最小限にして、ベッドに腰掛ける。しんみりとした空気感の中、今日の出来事を回想した。
建国記念祭。建国の記念日を祝福する今日という日に、ユークリッドは皇帝よりアンナベルとの結婚を推奨された。彼は少しも動揺せず、顔色も変わっていなかった。もしかしたら、ロゼの知らないところでも、何度か皇帝からアンナベルとの婚約の話を持ちかけられていたかもしれない。そうならば、ユークリッドがまったく動揺していなかったのも頷ける。これまで上手いことはぐらかしてきたが、皆の前で言われてしまえば、のらりくらりとはぐらかすこともなかなかに難しかったのだろう。だが協力者であるユーラルアの助けもあって、ユークリッドは非常事態を乗り切ることができた。しかしロゼが気にしているのはそこではない。
「ユークリッド。あなたは第六皇女殿下のことを、どう思っているの?」
ロゼが気にしているのは、ユークリッドの本心だ。ちなみにロゼが彼に向ける気持ちは、説明のしようがないほど複雑で巨大なものである。しかしふたりは、義理の姉弟だ。血は繋っていないため婚姻を結べないわけではないが、障害であることは確か。ところが、ユークリッドとアンナベルの間には、なんの障害もない。つまり、ユークリッドがアンナベルと結婚したいと望めば、すぐにでも結婚できてしまう状況にあるのだ。だが、絶賛後継者争いの真っ只中にいるユークリッドにとっては、ロゼやダリア以外に守る人間が増えるため、少々負担に感じるであろうことも否めない。言い換えれば、後継者の座を確立させたらすぐにでも、アンナベルを娶ることができる。そう、ユークリッドさえ、望めば……。彼は、アンナベルを愛しているのか。大公の妻としてふさわしいとしか思っていないのか。それとも、前者ふたつとまったく別、愛してもいなければ妻にしたいとも思っていないのか。
「はぁ……。こんなこと考えても、ユークリッドの気持ちなんて分かるはずないわよ……」
ロゼは独り言をこぼし、ベッドに横たわる。ふわふわの質感のブランケットに潜り、心を落ち着かせる。
「ユークリッド……」
ユークリッドの名を呼ぶ。当たり前だが、返事はない。
あの抜かりないユークリッドがアンナベルの立ち位置を有耶無耶にするだろうか。愛しているから手に入れたい、大公の座のために必要な人間だ。そう思っているなら、ロゼのように自身の懐に入れるのではないか。いくら彼の思考を探ろうとも、答えを知ることはできない。だがユークリッドは、アンナベルとキスまでしていたのだ。「今は公にはできないですが、いずれは一緒になりましょう」などと、甘い言葉で唆しているのだろう。ロゼは、自傷気味に笑う。
「その調子よ、ユークリッド。その、その意気で、振り返らないで……」
どうか、あなたとの間にある感情に、繋がった鎖に、私が名前を与える前に――。
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