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本編

第88話 真夜中、秘め事

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 湯気が立ち込める浴室から出る。濡れた体の水滴を拭い、バスローブではなく寝間着を纏う。薄らとピンク色に染色された生地に、腰元にリボンが施されている可愛らしくも上品なデザインは、ロゼによく似合った寝間着であった。濡れた髪の毛を吸水性抜群のバスタオルで拭き取る。脱衣所をあとにした時、ちょうどいいタイミングで扉がノックされる。

「はい」
「ドルトディチェ大公令嬢。メルドレール公爵様がお見えです」

 騎士の声が聞こえ、ロゼが「どうぞ」と了承すると、フリードリヒが客室に入ってくる。彼は器用に後ろ手に扉を閉める。フリードリヒも入浴したらしく、爽やかかつ穏やかな空気を纏っていた。白すぎない健康的な色味の頬は、火照っている。女性であるロゼも嫉妬してしまうほど、プルプルと柔らかそうだ。

「まだ髪の毛が濡れているね……。このままだと風邪をひいてしまう。貸してくれるかい?」

 フリードリヒはロゼに手を差し出す。ロゼは彼の言っていることが分からず、小首を傾げる。フリードリヒの視線を追うと、それはロゼが持つタオルに向けられていた。フリードリヒの意企を理解したロゼは、彼にタオルを手渡す。そのあと、ロゼは彼に促されるがまま、ソファーに腰掛ける。臀部を包み込む極上の質感と、髪の毛に触れる優しいフリードリヒの手つきに、ロゼは心地よさを覚えた。フリードリヒはタオルでロゼの濡れた髪を丁寧に拭いていく。

「ロゼの髪の毛、サラサラで羨ましいよ」
「……あなたの髪はふわふわで可愛らしいわ。まるで犬のようで」
「犬……。それは褒めているのかい?」

 ロゼは頷く。フリードリヒの声質からして不服そうだ。犬は可愛いからいいだろうに。一体何が不満なのだろうか。ロゼは、純粋に疑問に思ったのであった。

「僕の一族は代々癖毛だから、結構昔からコンプレックスだったんだけど……ロゼにそう言ってもらえるなら、この癖毛もあってよかったかな」
「あなたのお父様も癖毛だったというわけね?」
「あぁ」

 フリードリヒの家系は、代々癖毛であったとは。ドルトディチェ大公家がブラッドレッドの瞳を持つと同様に、メルドレール公爵家にも特徴があるみたいだ。
 フリードリヒの父親、メルドレール先代公爵は、既にこの世にはいない。なぜ亡くなってしまったのかは分からないが、わざわざそれをロゼが聞くことでもないだろう。完全なるプライベートな問題であるから。そう言えば、メルドレール先代公爵は、ロゼの義父であるドルトディチェ大公と犬猿の仲であったはず……。何か理由があったのか。もしかしたらフリードリヒが知っているかもしれない。

「あなたのお父様と言えば、私のお父様と犬猿の仲であったはずだけど、どうして仲が悪かったのかしら?」
「さぁ、僕もあまり詳しいことは知らないけど……昔から何かと対立し合っていたらしいんだ。皇帝陛下に永遠の忠誠を誓っていた僕の父と、皇帝陛下にも簡単に物申せてしまうドルトディチェ大公が対立するのは、自然なことかもしれないね」

 フリードリヒが軽く笑う。
 さすがにドルトディチェ大公が犬猿の仲であるメルドレール先代公爵を殺したわけではなさそうだ。だがドルトディチェ大公は、メルドレール先代公爵が死した今でも彼を忌み嫌っているため、本当に心の底から彼のことが嫌いなのだろう。皇帝に永遠の忠誠を誓うメルドレール公爵家と、皇族をも凌ぐ実力と不気味な強さを誇るドルトディチェ大公家。フリードリヒの言うように、その君主たちが対立するのは、避けられないことなのだろう。メルドレール公爵家当主であるフリードリヒと、いずれはドルトディチェ大公家の当主になるだろうユークリッドも、忌み嫌い合うのは仕方がない。

「よし、終わったよ」

 フリードリヒがタオルを置き、ロゼの隣に着座する。そして正面上のアンティークな時計に目を向ける。

「もう真夜中だね……。疲れていないかい?」
「少し、疲れているわ」

 ロゼが正直に言うと、フリードリヒは突然彼女の頭をわしゃわしゃと撫でる。仰天したロゼが、反発で顔を上げた。

「わっ、ごめん! つい……」
「……別に、驚いただけだから」

 そう言うと、フリードリヒは恐る恐るロゼの頭を撫で始めた。剣を握り慣れた硬い掌が髪の上を滑る。ふたりの視線が、合わさる――。フリードリヒは、緩慢に近づいてくる。ロゼは、顔を動かさない。夜空色の瞳が瞼の幕で隠れ、髪色と同色の睫毛が振動した。
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