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本編
第71話 神の助言
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黎明。濃紺の空が、赤と黄を含んだ色味の世界に呑み込まれていく。久方ぶりの晴れ空。遠くの空に積雲が発生している。雲の輪郭が朝日に照らされ、天使の梯子が現れる。神々や天使たちが地上へと舞い降りるかのような神々しい光景。多くの人々が目を覚ます時間帯。一日は、また始まる。
自然が織り成す景色を眺め、詩人の如く悟りを開こうとしているのは、ロゼ。彼女は寝間着のまま、庭園に佇んでいた。
一日経とうとも、昨朝の出来事が忘れられないでいた。冷静に考えれば、忘れるわけもないのだが。ユークリッドと、人生初の喧嘩をしてしまった。執着じみたところはあるにしろ、彼なりにロゼを気遣ってくれたのだが、その時のロゼは彼の気遣いなど微塵も感じなかった。隠し事をするなと言っておきながら自分はいいのか、ユークリッドだってアンナベルと親しいくせに。募る不満はついに爆発し、大人気なく怒って、ユークリッドを突き放してしまった。それがどれほど愚かであるのか。ロゼは、ユークリッドが寝室を出ていったあと、酷く後悔した。ユークリッドのほうが、何倍も何十倍も大人だったのだから――。
呆然とし、光芒を一心に見つめていると、「お嬢様」と呼ぶ声が聞こえる。リエッタだ。
「こんな場所にいたのですね。朝食の準備ができましたよ」
「………………」
「お嬢様?」
「………………」
我ここに在らずの状態のロゼに、リエッタは息衝く。
昨朝、ユークリッドとの喧嘩のあと、ロゼは寝室に閉じこもった。リエッタをも拒絶したのだ。
「やはり、ユークリッド様と何かしらあったのですね?」
勘づいていたリエッタは、そう問いかける。ロゼは緩慢に首を縦に振った。そして食事を取るベく、おぼつかない足取りで歩き始めた。
「喧嘩を、したの……」
「喧嘩、ですか? なぜ?」
「ユークリッドが過保護すぎるから、それに少しだけ嫌気が差したの。それで、酷いことを……」
落胆し、肩を落とすロゼを見て、リエッタは目を伏せる。どうやら、理解した様子だ。彼女も、ユークリッドがロゼに向ける過保護さ、執着というものに関しては、大きな疑問を抱いていたのだろう。
「なるほど。確かにユークリッド様のお嬢様への過保護さというのは、並大抵のものではございません。姉弟の垣根を越えた、執着と表せるほどの感情でしょう。ですが、お嬢様はそれを嬉しいと思われていたのでは?」
リエッタの淡々とした言葉に、ロゼは勢いよく顔を上げる。
「違いましたか? てっきりそうかと……。嫌気が差したのも事実でしょうが、ユークリッド様の心が向けられていることを喜ばしく思っていたこともまた事実ではないでしょうか」
ロゼは仰天すると共に、納得を示した。リエッタの言う通り、ロゼはユークリッドからの執着を嬉しいと感じていた節があるのだから。彼の興味が自分だけに向いていたような気がして――。
「……ユークリッド様に謝罪を、しなければなりませんね。その際には、お嬢様の不満や気持ちもしっかりお伝えなさってください」
リエッタの助言を受けたロゼは、覚悟を決めたのだった。今の彼女に必要なのは、空の景色でも、悟りでもない、ユークリッドに謝罪をする勇気だけだ。
着替えと食事を終えたロゼは、意を決してユークリッドの宮に電撃訪問をした。宮の門の見張りを務めていた騎士に事情を説明すると、彼らは要求に応じてくれた。ほかの直系が約束もせず訪ねてくる際は、最大の警戒心を持たれるが、騎士たちはまったくそんな素振りを見せなかった。恐らく、ロゼには丁重に接しろとのユークリッドの命令だろう。
門を潜った先、宮の前で大人しく佇んでいると、ユークリッドではなく、ノエルが姿を現した。
「ロゼ様! こんなにも寒い中、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「ノエル。こちらこそ急に訪ねてしまいごめんなさい。ところで……ユークリッドはどこに?」
ノエルの背後に目を向けても、庭園を見渡してもユークリッドの姿はない。ノエルは、どう説明したらいいのか分からないという気まずい面貌をしている。
「えっと、ユークリッド様は今、出かけておられまして……」
「出かける? 一体どこへ?」
「あ~、その……第六皇女殿下の、元、に……」
途切れ途切れになりながらもなんとか説明をするノエル。第六皇女、アンナベルの名が出たと同時に、ロゼは茫然自失する。
朝早くからアンナベルの元に出かけるなど、何があったのだろうか。彼女に呼び出しを受けたのか、もしくはユークリッドの意志で彼女の元に向かったのか。いくら思考しようとも、理由は分からない。
ロゼはとりあえず、ノエルに伝言を頼もうと口を開く。
「……ユークリッドが帰ってきたらお伝えください。話したいことがあるから時間をちょうだい、と」
「は、はい。確かに承りました」
「よろしくお願いします」
ロゼはそう言って、踵を返す。どうか、今日中には話ができますように。先程よりも光を増す空に願いを込めて。
自然が織り成す景色を眺め、詩人の如く悟りを開こうとしているのは、ロゼ。彼女は寝間着のまま、庭園に佇んでいた。
一日経とうとも、昨朝の出来事が忘れられないでいた。冷静に考えれば、忘れるわけもないのだが。ユークリッドと、人生初の喧嘩をしてしまった。執着じみたところはあるにしろ、彼なりにロゼを気遣ってくれたのだが、その時のロゼは彼の気遣いなど微塵も感じなかった。隠し事をするなと言っておきながら自分はいいのか、ユークリッドだってアンナベルと親しいくせに。募る不満はついに爆発し、大人気なく怒って、ユークリッドを突き放してしまった。それがどれほど愚かであるのか。ロゼは、ユークリッドが寝室を出ていったあと、酷く後悔した。ユークリッドのほうが、何倍も何十倍も大人だったのだから――。
呆然とし、光芒を一心に見つめていると、「お嬢様」と呼ぶ声が聞こえる。リエッタだ。
「こんな場所にいたのですね。朝食の準備ができましたよ」
「………………」
「お嬢様?」
「………………」
我ここに在らずの状態のロゼに、リエッタは息衝く。
昨朝、ユークリッドとの喧嘩のあと、ロゼは寝室に閉じこもった。リエッタをも拒絶したのだ。
「やはり、ユークリッド様と何かしらあったのですね?」
勘づいていたリエッタは、そう問いかける。ロゼは緩慢に首を縦に振った。そして食事を取るベく、おぼつかない足取りで歩き始めた。
「喧嘩を、したの……」
「喧嘩、ですか? なぜ?」
「ユークリッドが過保護すぎるから、それに少しだけ嫌気が差したの。それで、酷いことを……」
落胆し、肩を落とすロゼを見て、リエッタは目を伏せる。どうやら、理解した様子だ。彼女も、ユークリッドがロゼに向ける過保護さ、執着というものに関しては、大きな疑問を抱いていたのだろう。
「なるほど。確かにユークリッド様のお嬢様への過保護さというのは、並大抵のものではございません。姉弟の垣根を越えた、執着と表せるほどの感情でしょう。ですが、お嬢様はそれを嬉しいと思われていたのでは?」
リエッタの淡々とした言葉に、ロゼは勢いよく顔を上げる。
「違いましたか? てっきりそうかと……。嫌気が差したのも事実でしょうが、ユークリッド様の心が向けられていることを喜ばしく思っていたこともまた事実ではないでしょうか」
ロゼは仰天すると共に、納得を示した。リエッタの言う通り、ロゼはユークリッドからの執着を嬉しいと感じていた節があるのだから。彼の興味が自分だけに向いていたような気がして――。
「……ユークリッド様に謝罪を、しなければなりませんね。その際には、お嬢様の不満や気持ちもしっかりお伝えなさってください」
リエッタの助言を受けたロゼは、覚悟を決めたのだった。今の彼女に必要なのは、空の景色でも、悟りでもない、ユークリッドに謝罪をする勇気だけだ。
着替えと食事を終えたロゼは、意を決してユークリッドの宮に電撃訪問をした。宮の門の見張りを務めていた騎士に事情を説明すると、彼らは要求に応じてくれた。ほかの直系が約束もせず訪ねてくる際は、最大の警戒心を持たれるが、騎士たちはまったくそんな素振りを見せなかった。恐らく、ロゼには丁重に接しろとのユークリッドの命令だろう。
門を潜った先、宮の前で大人しく佇んでいると、ユークリッドではなく、ノエルが姿を現した。
「ロゼ様! こんなにも寒い中、お待たせしてしまい申し訳ございません」
「ノエル。こちらこそ急に訪ねてしまいごめんなさい。ところで……ユークリッドはどこに?」
ノエルの背後に目を向けても、庭園を見渡してもユークリッドの姿はない。ノエルは、どう説明したらいいのか分からないという気まずい面貌をしている。
「えっと、ユークリッド様は今、出かけておられまして……」
「出かける? 一体どこへ?」
「あ~、その……第六皇女殿下の、元、に……」
途切れ途切れになりながらもなんとか説明をするノエル。第六皇女、アンナベルの名が出たと同時に、ロゼは茫然自失する。
朝早くからアンナベルの元に出かけるなど、何があったのだろうか。彼女に呼び出しを受けたのか、もしくはユークリッドの意志で彼女の元に向かったのか。いくら思考しようとも、理由は分からない。
ロゼはとりあえず、ノエルに伝言を頼もうと口を開く。
「……ユークリッドが帰ってきたらお伝えください。話したいことがあるから時間をちょうだい、と」
「は、はい。確かに承りました」
「よろしくお願いします」
ロゼはそう言って、踵を返す。どうか、今日中には話ができますように。先程よりも光を増す空に願いを込めて。
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