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本編

第65話 ユークリッドの私情

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 ドルトディチェ大公家四男、後継者候補序列第5位のヴァルト・レフ・リーネ・ドルトディチェは、23歳という若さで、短き生涯に幕を下ろした。ヴァルトがロゼを襲撃し、ユークリッドとユーラルアにより制裁を受けたという話は、瞬く間に城中へ広まった。ヴァルト以下の序列を持つ直系たちは、ひとつずつ順位が上がることとなり、見るも無惨な死に顔を晒したヴァルトは、ドルトディチェ大公城の墓地に埋葬されたという。
 ロゼは相変わらず、図書館通いを趣味としていた。「ドルトディチェ大公一族に神獣の愛が降り注ぎし時、呪いは解け、一族はさらなる進化を遂げる」というジンクスについては、何ひとつとして手がかりを発見できていないが、名作の数々なら見つけることができた。それはあまり役には立たないが、ロゼの日々の生活に彩りが加えられた。
 冬の峠を越え、比較的寒波も落ち着いてきた頃、ロゼは出かけるため準備をしていた。鏡の世界に映るのは、純潔を表す真っ白なマーメイドラインのドレスを見事に着こなしたロゼであった。胸元とスカートの裾に施された白く細かな花の刺繍ししゅうが美しい。肩をすっぽりと覆うパゴダスリーブは、寒々しさを感じさせない。ウェディングドレスのように派手なデザインではないが、舞踏会などでも十分に着用することができる代物だ。長髪はハーフアップにまとめ、銀色のバレッタで彩っている。雪の女王と言っても過言ではない美しさだ。
 リエッタはロゼが放つ美に震撼しながら、彼女に天然素材の白い毛皮があしらわれた巨大なマントを羽織らせる。

「お嬢様、とてもお美しいです。今日という日にぴったりでしょう」
「ありがとう」

 鏡越しにロゼは礼を告げる。リエッタの助けも借りながら、化粧室を出て、宮の外に向かう。
 今日は、久々にメルドレール公爵城に赴くのだ。そう、ほかでもないフリードリヒの誕生パーティーが行われる。二十年前の今日という日に、フリードリヒはこの世に生まれた。メルドレール公爵家の跡取りという大きな使命を背負って。最期は、父親と犬猿の仲であったドルトディチェ大公によって命を終わらせられてしまうとは知らずして――。今世こそは、万が一ダリアが殺害されドルトディチェ大公が我を忘れて暴れたとしても、フリードリヒと共に、立ち向かう。ロゼは気持ちを新たに入れ替えて、昂然こうぜんたる態度で前を見据えた。
 宮の外に出ると、そこには思いもよらぬ人物がロゼの宮の見張りを務める騎士と話をしていた。ユークリッドだ。彼は、ロゼの姿を目に入れるなり、僅かに目を開く。

「どこか、出かけるのですか?」
「少し、用事がありまして。何かご用でしたか?」
「……少し話し合いたいことがあったのですが、出かけられるのであれば仕方がありませんね。俺も共に参りましょう」

 ユークリッドは、さも当然かのようにそう言った。予想の斜め上の反応に、ロゼは戸惑うもはっきりと断らなければと覚悟を決める。

「ユークリッド。申し訳ありませんが、今回は私ひとりで向かわなくてはなりません」
「……理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「今日向かう先は、フリードリヒの誕生パーティーです」

 ロゼの説明に、ユークリッドは焦点を逸らして、考える仕草をする。何かに勘づいたのか、微かに瞠目し、舌を鳴らした。滅多に見ない彼の荒々しい姿を目の当たりにしたロゼは、自身の心臓が跳ね上がったのを感じ取った。

「姉上」 

 ユークリッドはロゼに迫る。そして汗ばんだロゼの手を握った。手袋をしているため、手汗をかいているのはバレていないだろうが、布越しでも伝わる生暖かさはなんだか心地が悪い。

「行かないでください」

 淡々とした声に、ロゼは首を傾げる。間近に迫るユークリッドの美貌を拝む。彼は、少しも笑っていなかった。生きているのかも見分けがつかない。光を失った瞳は、目の前に佇むロゼをも映していなかった。ロゼは慄然としながらも、ユークリッドの目に自身が映っていないことを酷く悲しく思った。そして顔を背け、首を左右に振る。

「それは、できません」
「……姉上、お願いです」

 ユークリッドは懇願する。いつもであったら、行ってほしくない理由を告げるというのに。彼らしくもなく、理由は言わない。

「あなたの、私情ですか?」
「はい、俺の私情です」
「でしたら不可能です」

 ロゼはユークリッドの手をできるだけ優しく解き、歩みを進める。
 ユークリッドの行動全ては、彼がドルトディチェ大公家の当主の座を手に入れるためのものなのだから。合理的な考え方をする彼が私情でロゼを引き止めるなど、ありえはしない。今回ばかりは従えないと思ったロゼを、ユークリッドは再び引き止めた。

「ひとつ、約束をしてください」

 ロゼは立ち止まる。地面を叩くヒールの音が鳴り止んだ。

「今回は、必ず帰ってくると」
「……はい、約束いたします」

 ロゼはそう返事をして、ドルトディチェ大公家の馬車に乗り込む。
 ユークリッドは恐らく、いつの日かロゼが無断でメルドレール公爵城に外泊してしまった時のことを言っているのだろう。あの時と同じ過ちを犯すなと忠告を受けたロゼは、外界との情報を遮断するために、馬車の小窓のカーテンを閉ざしたのであった。
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