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本編

第61話 罠か、否か

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 寒さが立ち込める深夜。満月が放つ光が迷える子羊を導く中、ひとりの怪しげな男が木々に登り、とある部屋の状況を窺っていた。全身黒ずくめ。漆黒のローブを纏う。フードの隙間から覗くのは、丸眼鏡のレンズの向こうで煌めくブラッドレッドの眼。ヴァルトだ。彼は、口角を卑しく吊り上げた。
 先日ヴァルトの元に、ユークリッドから極秘の手紙が届けられた。そこに記されていたのは。

『明日、満月の夜に限り、姉上の護衛を解除する』

 一言のみが記された手紙。手紙でなく、メモと言ったほうが妥当かもしれない。わなである可能性は高いが、これ以上とないチャンスである。最高のタイミングで舞い込んできたチャンスを逃してしまえば、次にロゼを狙うことができるのはいつになることやら。罠である可能性も十分に考慮し、夜通し考え込んだ。ユークリッドがわざわざ手紙を寄越した理由はなんなのか。無事に暗殺を成功させたとして、そのあとドルトディチェ大公にバレてしまったらどうなるのか。しかしユークリッドも共犯である。彼も何かしらの言い訳を用意しているだろう。熟考を重ねても、答えは出ない。ユークリッドの思考を読み取るなど、この世の秘密を暴くほどに難しい。結局ヴァルトは、ユークリッドの提案を受け入れる決断を下したのだった。
 夜空にぽっかりと浮く月のエネルギーを受け、ヴァルトはふと、王座の間での出来事を思い出した。

『ロゼ。ミューゼは神々の永遠の祝福を授かるに足る人間だと思うか?』
『さぁ、どうでしょう。分かりません。ですが、結局はディモン伯爵令嬢を唆し、暗殺組織との仲介を務めたに過ぎない、腰抜けなお方なのではないでしょうか』

 ドルトディチェ大公の問いかけに、悪びれもなく答えたロゼ。彼女はミューゼを、ダリアや自分を殺す勇気のない腑抜けの人間だと侮辱した。今は亡き唯一の母を愚弄ぐろうされ、ヴァルトは究極の瞋恚を引き起こしたのだ。体内で暴れる魔力と血液を抑え込み、ヴァルトはバルコニーに下りて、ロゼの部屋の窓に接近する。窓に触れ、魔法を発動すると、解錠する音が響いた。窓を開くと共にユークリッドに仕える暗殺者が潜んでいる可能性も理解しつつ、自身の周囲に結界を張り巡らせる。大きく深呼吸をして、そっと窓を開く。どうやら室内は、誰もいない様子。ベッドで眠るロゼ以外――。ヴァルトは足音を殺し、人の形に盛り上がっているベッドに詰め寄る。

「母上、まずはあなたの名誉を晴らします……」

 ヴァルトは地獄に堕ちたミューゼに囁きかけたあと、意を決して分厚いブランケットを捲り上げる。

「なっ……!?」

 ヴァルトが瞠目する先、ベッドには布の塊が丸まっているだけであった。そこにお目当てであるロゼの姿はない。

「クソッ! やはりはめられたっ!!!」

 癇癪かんしゃくを起こし、ブランケットを放り投げる。刹那、何者かの鋭い視線を察知したヴァルトは、瞬発的に扉に顔を向けた。僅かに開いた扉の隙間から聞こえるのは、誰かが走る音。間違いなく、ロゼだ。彼女が直前でヴァルトの侵入に気がつき、下手な小細工をして逃亡を図ったに違いない。ユークリッドの護衛がなくとも、貧困世界で生き残ってきた底力を発揮して見せたのだろう。だが犯人の姿を確認したいがために、真っ先に逃げず留まったことは、詰めが甘かった。ヴァルトは気味の悪い笑顔を浮かべる。

「待ってくださいよ、僕は今すぐあなたを殺さなければならないんだ」

 そう呟いたヴァルトは、ロゼの寝室をあとにし、足音が響いた方向へ歩き出した。
 不気味なくらいに閑散とした宮。口封じのため殺す騎士や侍女もいない。まるで、まだ真新しい廃墟はいきょのようだ。ヴァルトは細心の注意を払い、曲がり角から顔を覗かせる。するとまっすぐに続く一本の廊下、背を向けて佇むロゼらしき女性を発見する。寝間着ではなく、煌びやかなドレスを纏っていた。ヴァルトはわざと足音を立て、影から姿を見せる。その足音に反応をしたロゼは、ストロベリーブロンドの髪をなびかせながら振り返った。

「もう逃げられないと悟りましたか? 出来損ないの姫君」

 ヴァルトが質問するも、ロゼは答えない。死を前にしても無を貫く彼女は、どことなく不穏な空気を漂わせている。
 
「今日はとても美しい夜ですね」

 薄らと赤く染まった唇から紡がれた言葉は、ヴァルトを震撼させる。ロゼは死ぬ現実が受け入れられず、気が狂ったのだと無理に自身の心に落とし込んだヴァルトは、体内の魔力を巡らせる。

「あなたには死んでもらいます」

 魔力を集中させ、ロゼの命を刈り取ろうとした。
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