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本編
第60話 新たな事件
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意識を徐々に覚醒させる。自身を包み込む温もりがないことに気がつく。現実と夢の狭間で揺れ、陶然としながら、ロゼは上体を起こした。今にも落ちてしまいそうな瞼を必死に上げ、目元を擦ると、視界が晴れてくる。朦朧としていた意識は、完全なる覚醒を遂げた。
ロゼがユークリッドベッドの中で目を覚ますのは、二度目。もちろんだが、体の関係は皆無だ。互いの深淵には少しも触れてはいない。
ロゼはのそのそと這い、ベッドのカーテンを開けた。すると、窓辺に腰掛けコップ一杯の水を飲むユークリッドを発見する。ユークリッドはロゼが起床したことに気づき、全ての生物に朝の目覚めを促す清涼な声色を発する。
「おはようございます、姉上」
釈然とする頭と心。神経、細胞から浄化されていく感覚に身を委ねつつ、ロゼはベッドから足を放り出し、座る。
「早いわね……」
「ノエルに起こされてしまいましたので」
「ノエルに?」
「はい。どうやら今朝方、ミューゼ様が処刑されたようです」
ロゼは、生き肝を抜かれる。
ディモン伯爵令嬢を唆し、裏世界の暗殺組織との仲介をした、ドルトディチェ大公の愛人のミューゼが処刑された。ヴァルトの反対を押し切り、ドルトディチェ大公は処刑に踏み切ったのだ。もちろんロゼもミューゼが処刑されることは覚悟していた。しかし、たった一晩の猶予しか与えてもらえなかったとは。否、猶予とも言えないかもしれない。
ロゼは静かに俯く。
「そう、ですか」
「さて、ここで続いての問題が発生したのですが、どういたしましょうか」
ユークリッドのあっけらかんとした声に、ロゼはパッと顔を上げる。
「次の問題……。まだ何かあるのですか?」
「ヴァルト兄上の件です。彼は、度が行きすぎたマザコンですから、母君が処刑された今、黙ってはいないでしょう」
ユークリッドの説明に、ロゼは納得した様子で深く頷いた。ミューゼは、長男であるヴァルトをそれはもうとても可愛がっていた。ヴァルトも唯一の母であるミューゼを心から慕っていた。そこには親子の関係を越える何かがあったのだが、深淵を覗けば後悔することは目に見えているし、大して興味もないとロゼは知らぬフリを決め込んだ。ユークリッドが危惧するように、最愛の母親を殺されたヴァルトは大人しく黙っているわけもないだろう。
「……もしかして彼は、ミューゼ様を処刑したお父様に勝負を仕掛けるおつもりでしょうか?」
「それはないでしょう。標的となるのは、俺や姉上だと思います。ミューゼ様を売ったのは俺ですし……そんな俺に守られている姉上も同様に危険かと」
ユークリッドは水を飲み干す。コップの底にへばりついていた最後の一滴が、彼の口内に吸い込まれ、喉仏を上下させた。漏れ出す色気に我慢ならず、ロゼは顔を背けた。
「ならば……どうするつもりですか?」
「先手を打ちます」
「先手?」
「父上に許可をいただくつもりですので、何もご心配なさらず」
ユークリッドは腰を上げ、コップをテーブルの上に置いたあと、ベッドに接近しロゼの隣に着座した。ロゼは彼の横顔を見上げる。
「まさか、ミューゼ様の御子を殺すのですか?」
「その通りです。獲物が自ら罠にかかるのを待つ手段も捨てがたいですが、殺られる前に殺るというのもなかなか見物ではありませんか?」
ユークリッドは僅かな笑みを湛える。
前世でも同じタイミングで、ミューゼの実子であるヴァルトやユーラルアは、ユークリッドによって殺されたのだろうか。そもそもの話、前世にてディモン伯爵令嬢が企てた殺害計画があったのか、それに加担したミューゼも処刑されていたのか、定かではない。だが一回目の人生でもロゼがユークリッドによって守護されていたのなら、今回の事件においても同じ結末を辿っている可能性が高い。どの道、前世と今世の答え合わせをする手段は持ち合わせていないため、真相は分からない。まったくもって役に立たない記憶だと、ロゼは心中にて自らを叱責した。
「そこでひとつ、姉上に手伝っていただきたいことがございます」
「……私に?」
ユークリッドはロゼの手を握る。手袋越しではない、直の感触に、ロゼは体を跳ね上がらせた。
「あなたを傷つけることは絶対にさせません」
信念がこもった強い言葉に、ロゼの心は揺れ動く。凪いだ海が強風によって荒波を起こすかのように。
「ユークリッドを信じましょう」
「ありがとうございます」
ユークリッドは頬を緩める。先程よりもずっと、優しい微笑であった。
ロゼがユークリッドベッドの中で目を覚ますのは、二度目。もちろんだが、体の関係は皆無だ。互いの深淵には少しも触れてはいない。
ロゼはのそのそと這い、ベッドのカーテンを開けた。すると、窓辺に腰掛けコップ一杯の水を飲むユークリッドを発見する。ユークリッドはロゼが起床したことに気づき、全ての生物に朝の目覚めを促す清涼な声色を発する。
「おはようございます、姉上」
釈然とする頭と心。神経、細胞から浄化されていく感覚に身を委ねつつ、ロゼはベッドから足を放り出し、座る。
「早いわね……」
「ノエルに起こされてしまいましたので」
「ノエルに?」
「はい。どうやら今朝方、ミューゼ様が処刑されたようです」
ロゼは、生き肝を抜かれる。
ディモン伯爵令嬢を唆し、裏世界の暗殺組織との仲介をした、ドルトディチェ大公の愛人のミューゼが処刑された。ヴァルトの反対を押し切り、ドルトディチェ大公は処刑に踏み切ったのだ。もちろんロゼもミューゼが処刑されることは覚悟していた。しかし、たった一晩の猶予しか与えてもらえなかったとは。否、猶予とも言えないかもしれない。
ロゼは静かに俯く。
「そう、ですか」
「さて、ここで続いての問題が発生したのですが、どういたしましょうか」
ユークリッドのあっけらかんとした声に、ロゼはパッと顔を上げる。
「次の問題……。まだ何かあるのですか?」
「ヴァルト兄上の件です。彼は、度が行きすぎたマザコンですから、母君が処刑された今、黙ってはいないでしょう」
ユークリッドの説明に、ロゼは納得した様子で深く頷いた。ミューゼは、長男であるヴァルトをそれはもうとても可愛がっていた。ヴァルトも唯一の母であるミューゼを心から慕っていた。そこには親子の関係を越える何かがあったのだが、深淵を覗けば後悔することは目に見えているし、大して興味もないとロゼは知らぬフリを決め込んだ。ユークリッドが危惧するように、最愛の母親を殺されたヴァルトは大人しく黙っているわけもないだろう。
「……もしかして彼は、ミューゼ様を処刑したお父様に勝負を仕掛けるおつもりでしょうか?」
「それはないでしょう。標的となるのは、俺や姉上だと思います。ミューゼ様を売ったのは俺ですし……そんな俺に守られている姉上も同様に危険かと」
ユークリッドは水を飲み干す。コップの底にへばりついていた最後の一滴が、彼の口内に吸い込まれ、喉仏を上下させた。漏れ出す色気に我慢ならず、ロゼは顔を背けた。
「ならば……どうするつもりですか?」
「先手を打ちます」
「先手?」
「父上に許可をいただくつもりですので、何もご心配なさらず」
ユークリッドは腰を上げ、コップをテーブルの上に置いたあと、ベッドに接近しロゼの隣に着座した。ロゼは彼の横顔を見上げる。
「まさか、ミューゼ様の御子を殺すのですか?」
「その通りです。獲物が自ら罠にかかるのを待つ手段も捨てがたいですが、殺られる前に殺るというのもなかなか見物ではありませんか?」
ユークリッドは僅かな笑みを湛える。
前世でも同じタイミングで、ミューゼの実子であるヴァルトやユーラルアは、ユークリッドによって殺されたのだろうか。そもそもの話、前世にてディモン伯爵令嬢が企てた殺害計画があったのか、それに加担したミューゼも処刑されていたのか、定かではない。だが一回目の人生でもロゼがユークリッドによって守護されていたのなら、今回の事件においても同じ結末を辿っている可能性が高い。どの道、前世と今世の答え合わせをする手段は持ち合わせていないため、真相は分からない。まったくもって役に立たない記憶だと、ロゼは心中にて自らを叱責した。
「そこでひとつ、姉上に手伝っていただきたいことがございます」
「……私に?」
ユークリッドはロゼの手を握る。手袋越しではない、直の感触に、ロゼは体を跳ね上がらせた。
「あなたを傷つけることは絶対にさせません」
信念がこもった強い言葉に、ロゼの心は揺れ動く。凪いだ海が強風によって荒波を起こすかのように。
「ユークリッドを信じましょう」
「ありがとうございます」
ユークリッドは頬を緩める。先程よりもずっと、優しい微笑であった。
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