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本編

第59話 歪で脆く、危ういからこそ

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 王座の間にて、黒幕と裏切り者を吊るし終わったロゼとユークリッドは、共に渡り廊下を歩いていた。外を見ると、空は既に焼けている。冬空の夕焼けは、なんとも言いがたい美しさがあった。哀愁じみた感情に陥ったロゼは、寂しい夜をひとりで乗り切る自信をなくす。
 彼女が住まう宮と、ユークリッドが住まう宮への分かれ道に到着する。

「……姉上、宮まで送ります」
「結構です」
「黒幕を殺し、裏切った人間を捕らえたとはいえ、まだ危険です。ですから」
「今夜は」

 ユークリッドの申し出を断るだけでなく、言葉をも遮断する。ロゼは振り返り、ユークリッドと対峙した。形だけの姉ではあるが、弟に言っていいのか悪いのか分からない感情を打ち明けた。


「あなたと一緒に、過ごしたいのです」


 ロゼの直球な気持ちを耳にしたユークリッドは、愕然とする。驚いているのは分かるが、どういった感情が芽生えたのか分からない。狂喜か、絶望か。彼の返事を待つ時間は、体感にしてあまりにも長く感じた。ロゼは、頬が熱くなっていることを自覚し、胸中にて祈りを捧げる。夕焼けに照らされて赤く見えるだけだと勘違いしてくれるように。

「意味を、お分かりですか?」

 地底を這う低い声が響く。黒い睫毛のカーテンが上がり、ブラッドレッドの瞳子が出現。太陽が眠りを遂げる寸前の煌めきを一心に受けているというのに、その目に光が宿ることはなかった。

「分からないとでも?」

 なんと答えるのが正解か分からないが、ロゼは軽く挑発をした。すると突然ユークリッドに手首を掴まれる。ロゼの了承を得ずして、ユークリッドは歩を進めた。彼の宮への道、互いの間に言葉はない。わざわざ声に出さずとも、ロゼはユークリッドの気持ちを、ユークリッドはロゼの気持ちを理解したのだから。
 静寂がまとわりつくまま、ユークリッドの宮に着く。出迎える人々の挨拶を無視して、彼の寝室に向かった。騎士たちが敬礼をして、寝室の扉を開ける。ロゼは部屋へ引きずり込まれると、だだっ広いベッドの上に押し倒された。久方ぶりの感覚の余韻よいんに浸ることもできぬまま、ユークリッドに唇を奪われた。唐突であったものの、口づけは恐ろしく優しい。キスを終えると、ユークリッドはロゼの肩口に頭を埋めた。随分と大きな赤子だとロゼは彼の後頭部を撫でた。

「たまに、おかしくなるのです。あなたにああいったことを言われてしまうと、俺は自分を制御できなくなる」
「ユークリッドにも、人間らしいところがあるのですね」
「……俺は血も涙もない怪物だと思われていますが、生物学上は列記とした人間。あなたを唯一だと慕う、ただの人間です」

 脈が速くなる。ロゼの心臓は、激しく悲鳴を上げた。それを落ち着かせるため、ロゼは平常心を意識しながら開口する。

「体内に流れる血液こそが最大の縛りであり、繋がりだと言うのなら、私たちの間にそんなものはありません。ですが、まったく別の血が流れる赤の他人だからこそ、惹かれるものがあるというものですね」

 ユークリッドは、緩慢に顔を上げる。いつもは表情を形成する筋肉や細胞が死滅してしまっているロゼであるが、珍しく緩やかな笑顔を浮かべていた。彼女の笑みを目の当たりにして、ユークリッドが喉を鳴らす。
 ユークリッドとロゼの間にある関係は、歪そのもの。さらに、両側から引っ張ってみればすぐにちぎれてしまうし、はさみで切ってしまえば修復は不可能。それほど、脆い関係でもある。ユークリッドはドルトディチェ大公家の当主となる。ロゼはジンクスを叶えて大公家を救い、生き残る。それぞれの目的は違う。目的は違えど、途中の道のりの方向を違えたのであれば、ロゼはユークリッドに殺される可能性も十分にある。キスをした仲だから、共に夜を過ごした仲だから、ユークリッドは慈悲をかけるのか。答えは、否。彼は、合理的であり非道な人間。約六年、同じ方向を向いて突っ走った協力者だとしても、ユークリッドは躊躇せず剣を振り下ろすことができる。ドルトディチェ大公よりも恐ろしい人間かもしれないが、ロゼは彼を気に入っている。それに、歪で脆い関係も――。言葉では上手く表現できない、崖の前に立っているような、危ういこの関係こそ、心地いいと感じるのだ。

「歪、ですね」

 ロゼが呟く。ユークリッドは彼女の顎に指を滑らせ、もう一度キスを落とした。これは親愛のキス。姉弟とも、恋人とも言えない、ふたりの歪んだ関係を表す、最大の行為。ロゼはそう思いながら、ユークリッドの首に手を這わせ、キスを強請ねだる。窓から射し込む夕日に照らされる中、ふたりは暫し、熱いキスをし続けた。
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