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本編

第50話 一種の愛

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 ドルトディチェ大公城に無事に帰還したロゼは、メルドレール公爵家の馬車から降りる。背を向けようとした彼女に、フリードリヒは話しかけた。

「今日はいろいろあったけど……僕もまだまだ修行が足りないな……。もっと腕を上げるよ」
「それ以上強くなってどうする気? 天が定めた運命すらじ曲げるつもりかしら」

 ユーモアな冗談を口にしたロゼは、我ながらに天才な返しだと自画自賛じがじさんした。しかしフリードリヒは、彼女の冗談を褒めるどころか、笑うことすらしない。まっすぐに、ロゼの目を見つめていた。ふわふわと揺れるヴァーミリオンの癖毛を愛しく思った時。

「運命を捻じ曲げることができるのなら、君が悲しまなくてもいい世界を、僕が作るよ」

 冬の匂いを漂わせながらもどこか温かく感じる風が通る。真冬の夜の冷え込んだ空気でさえ、優しく包み込んでしまうような、甘い呪文。寒さをしのぐ魔法にうってつけの言葉に、ロゼは頬を赤らめる。辺りは薄暗いため、まさか彼女が照れているなど、フリードリヒは夢にも思わないだろう。

「じゃあ、また。今度は平和な時間を過ごそう」

 フリードリヒはロゼに手を振り、軽やかに馬車に乗車すると、そのまま去っていった。暗闇に呑み込まれる瞬間まで見送ったロゼは、両頬を叩き、より一層表情筋に力を込める。そろそろ宮に戻ろうと決意すると同時に、フリードリヒを乗せた馬車が消えたはずの暗闇から、再び別の馬車が姿を現した。ドルトディチェ大公家の紋章が刻まれたその馬車に、ロゼは身構える。直系の誰かが、もしくはドルトディチェ大公か――。二頭の黒毛の馬が引く漆黒の馬車から降りてきたのは、ユークリッドであった。

「姉上」
「……もう帰って来たのですね」

 ロゼは嫌味ったらしくそう言った。
 ユークリッドはアンナベルに「一緒に行きたいとこらがあるの」と誘われていたはず。てっきり今夜中には帰って来れないとばかり踏んでいたが、そうではなかったみたいだ。

「第六皇女殿下と素敵な場所で穏やか時間を過ごせたでしょうか? よかったですね」

 いつもとさほど変わらぬ声色で冷たく感じる言葉を言い放ったロゼは、踵を返した。このまま何も言わず去ってやろうとやろうと考えたその刹那。

「……あなたは意地悪だ」

 ユークリッドの呟きによって、ロゼは足を止める。

「俺が皇女殿下と穏やかな時間を過ごせないことを分かっていて、そんなことを仰るのだから」

 なんとなく回りくどい言い方に、ロゼは暫し黙考もっこうする。つまり、ユークリッドが望む穏やかな時間を過ごすには、アンナベルでは役不足ということだろうか。ロゼは、ユークリッドがアンナベルとは充実した時間を過ごせないことを分かっていて意地悪を言ったわけではないのだが。訂正するのも面倒に思ったロゼは、あえてそのままにしておこうと内心でほくそ笑み、さらなる意地悪を口にする。

「では、私であれば、あなたの相手が務まりますか? ユークリッド」

 長い髪束をなびかせ、振り返る。ぎこちないながらも優雅な微笑みを浮かべるロゼに、ユークリッドは彼女に気づかれぬよう生唾を飲み込む。心臓ごと鷲掴わしづかみされた感覚は、ユークリッドを快楽の絶頂に連れていく。ユークリッドは胸を押さえ、首肯した。

「はい。この世界において、あなた以外に適任はおりません」

 ユークリッドは僅かな笑みを湛え、一切の羞恥心を感じさせぬまま、甘い言葉を紡いだ。次はロゼが胸を打たれる番であった。素直で頭のいい義弟は困りものだ。いちいち女性の心を擽るようなことを言うのも、全てはユークリッドの計算のうちなのだろう。とは言え、ふたりの間には、既に姉弟の垣根かきねを越える何かが育まれている。家族愛でも友情でもない。いいパートナーかと問われればその答えは否。では、ふたりの関係をなんと表すのが正解なのか。それはロゼも分からない。強いて挙げるとするなら、一種の愛。いびつな形をした、愛だ。無理やり生み出した答えに対して、腑に落ちた気がしたロゼは、クスッと笑いをこぼす。そしてユークリッドに背を向けた。

「早く参りますよ、ユークリッド。今夜は、あなたの宮で過ごすのでしょう?」

 ロゼの問いかけにユークリッドは勢いよく顔を上げ、ブラッドレッドの瞳に喜悦の感情を滲ませたのであった。
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