40 / 183
本編
第39話 この感情に名を
しおりを挟む
動揺に襲われるロゼを目の当たりにしたユークリッドは、突然ワインボトルとふたつのグラスを置き、その場で跪く。拍子に、さらりと落ちる前髪。瞼の扉に隠れていた臙脂の眸子が現れる。
「我が愛しき姉上。俺はこの命にかえても、あなたを守り抜くことを誓いましょう」
心地のよい声が紡ぐ言詞は、ロゼの胸を深く穿つ。滅多に変容しない面貌が僅かに変化を遂げる。神々しさを放つ女帝が心を許せる側近に人間らしい一面を見せたかのよう。縋る瞳を向けられたユークリッドは、立ち上がり、階段を上る。一段、一段と確実に距離を詰める。最上段まだ上った彼は、もう一度膝をつく。肘掛けに置かれていたロゼの手を取り、その甲に唇を落とす。黒い手袋越し。それなのに、飛び上がるほどの熱が伝わってくる。ロゼは静かに震慴した。視線が、かち合う。熱を孕んだ血色の眼光に貫かれた。
前世でも、今世でも、ユークリッドはロゼの味方であった可能性が高い。たとえそれが、上辺だけのものだったとしても、彼が紡ぐ言の葉の全てが嘘で塗り固められたものだったとしても、ロゼは彼を信じたいと思った。ロゼには、信じる価値があるのかも分からないジンクスを叶える、ドルトディチェ大公が狂人となるのを防ぐ、大公家を存続させるという使命がある。前世の自分が魂に直接刻み込んだ使命を達成するまでは、ドルトディチェ大公家を見放すことはできない。
「ユークリッド。私は、あなたの誓いを信じます」
ロゼは空いた手で、ユークリッドの頬を触る。指先から浸透する頬の熱さと滑らかさに怖くなりながらも、掌全体で彼という存在を感じた。
ユークリッドは、ロゼを守りたくて守っているのではない。ただ、自分が大公の玉座を手に入れたいがために守っているだけ。たとえドルトディチェ大公城にて、大公となったユークリッドの手により最期を迎えることになっても、構わないとまで思ってしまったのだ。愛はまさに、人の心を強くすると共に脆くもする。果たしてロゼの中に眠る感情が愛なのかどうかは、彼女も分からない。だが、その感情に明確な名をつけることはできない。彼女とユークリッドは、血の繋がりは皆無だが、姉弟なのだから。
ロゼは腰を上げたのち、階段を下りる。ユークリッドが置いたワインボトルのふたつのグラスを手に取った。
「ワインを飲みましょう」
「……そうですね」
ユークリッドはロゼの提案に乗り、階段に腰掛けた。ロゼも彼の隣に、上品に座る。赤色のドレスの裾が舞い上がった。ユークリッドはロゼからワインボトルを受け取ると、簡単にコルクを抜く。血よりも深い赤みを持つワインをグラスに注ぎ入れた。
「ユークリッド。改めて、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
キン、とガラスが擦れる高い音が響く。ロゼは上品な香りをさせるワインにそっと唇を浸した。甘美な味わいが彼女の舌を蕩けさせていく。なんとも言えない美味しさに、ロゼは思わず感嘆の息をこぼした。
「……美味しいですね」
「はい。実はこのワイン、父上からのプレゼントなのです。たまには飲んで羽目を外せと言われましたが……あいにく酒には強いほうなので」
ユークリッドはそう言って、ワインを呷る。
かなりの酒豪であるドルトディチェ大公のことだ。一番のお気に入りのユークリッドの誕生日を祝うために、地下のワインの宝庫から一本持ってきたのだろう。ふたりが飲んでいるワインもかなりの年月の間、眠って過ごした年代物だ。それを口にしていることに、ロゼは恐れ多くも喜ばしいと思ったのであった。
ロゼのグラスが透明で埋め尽くされたのを見て、ユークリッドは彼女のグラスにワインを注ぐ。
「最近、図書館に出入りをしているらしいですが、何か面白い本でも見つけたのですか?」
「……はい。魅力的な本ばかりで長時間居座ってしまいます」
ユークリッドは「なるほど」と頷いた。彼は、ロゼが図書館に出入りしていることまでも、護衛から報告を受けているのだ。彼の情報を入手する速さに改めて驚いたロゼは、瞬時に誤魔化すことができてよかったと安堵する。実際、ジンクスに関連する本を探す合間、魅力的な本に夢中になっていることは事実であるが。
「姉上。来年の誕生日も、こうして共に過ごしてくださいますか?」
ロゼはユークリッドの美顔を見上げる。筋の通った鼻の下、濡れそぼった唇が光る。芸術的なそれに惹かれてしまったロゼは、己を律して顔を背けた。
「考えておきましょう」
肯定とも否定とも取れない返答。随分と愛嬌のない言葉をぶつけてしまったものだと、ロゼは自身への嫌悪に駆られた。だがユークリッドは、なぜか嬉々としていた。
月光が照らす舞台。美しいふたりの男女は、甘酸っぱくも優しい時間を過ごしたのであった。
「我が愛しき姉上。俺はこの命にかえても、あなたを守り抜くことを誓いましょう」
心地のよい声が紡ぐ言詞は、ロゼの胸を深く穿つ。滅多に変容しない面貌が僅かに変化を遂げる。神々しさを放つ女帝が心を許せる側近に人間らしい一面を見せたかのよう。縋る瞳を向けられたユークリッドは、立ち上がり、階段を上る。一段、一段と確実に距離を詰める。最上段まだ上った彼は、もう一度膝をつく。肘掛けに置かれていたロゼの手を取り、その甲に唇を落とす。黒い手袋越し。それなのに、飛び上がるほどの熱が伝わってくる。ロゼは静かに震慴した。視線が、かち合う。熱を孕んだ血色の眼光に貫かれた。
前世でも、今世でも、ユークリッドはロゼの味方であった可能性が高い。たとえそれが、上辺だけのものだったとしても、彼が紡ぐ言の葉の全てが嘘で塗り固められたものだったとしても、ロゼは彼を信じたいと思った。ロゼには、信じる価値があるのかも分からないジンクスを叶える、ドルトディチェ大公が狂人となるのを防ぐ、大公家を存続させるという使命がある。前世の自分が魂に直接刻み込んだ使命を達成するまでは、ドルトディチェ大公家を見放すことはできない。
「ユークリッド。私は、あなたの誓いを信じます」
ロゼは空いた手で、ユークリッドの頬を触る。指先から浸透する頬の熱さと滑らかさに怖くなりながらも、掌全体で彼という存在を感じた。
ユークリッドは、ロゼを守りたくて守っているのではない。ただ、自分が大公の玉座を手に入れたいがために守っているだけ。たとえドルトディチェ大公城にて、大公となったユークリッドの手により最期を迎えることになっても、構わないとまで思ってしまったのだ。愛はまさに、人の心を強くすると共に脆くもする。果たしてロゼの中に眠る感情が愛なのかどうかは、彼女も分からない。だが、その感情に明確な名をつけることはできない。彼女とユークリッドは、血の繋がりは皆無だが、姉弟なのだから。
ロゼは腰を上げたのち、階段を下りる。ユークリッドが置いたワインボトルのふたつのグラスを手に取った。
「ワインを飲みましょう」
「……そうですね」
ユークリッドはロゼの提案に乗り、階段に腰掛けた。ロゼも彼の隣に、上品に座る。赤色のドレスの裾が舞い上がった。ユークリッドはロゼからワインボトルを受け取ると、簡単にコルクを抜く。血よりも深い赤みを持つワインをグラスに注ぎ入れた。
「ユークリッド。改めて、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
キン、とガラスが擦れる高い音が響く。ロゼは上品な香りをさせるワインにそっと唇を浸した。甘美な味わいが彼女の舌を蕩けさせていく。なんとも言えない美味しさに、ロゼは思わず感嘆の息をこぼした。
「……美味しいですね」
「はい。実はこのワイン、父上からのプレゼントなのです。たまには飲んで羽目を外せと言われましたが……あいにく酒には強いほうなので」
ユークリッドはそう言って、ワインを呷る。
かなりの酒豪であるドルトディチェ大公のことだ。一番のお気に入りのユークリッドの誕生日を祝うために、地下のワインの宝庫から一本持ってきたのだろう。ふたりが飲んでいるワインもかなりの年月の間、眠って過ごした年代物だ。それを口にしていることに、ロゼは恐れ多くも喜ばしいと思ったのであった。
ロゼのグラスが透明で埋め尽くされたのを見て、ユークリッドは彼女のグラスにワインを注ぐ。
「最近、図書館に出入りをしているらしいですが、何か面白い本でも見つけたのですか?」
「……はい。魅力的な本ばかりで長時間居座ってしまいます」
ユークリッドは「なるほど」と頷いた。彼は、ロゼが図書館に出入りしていることまでも、護衛から報告を受けているのだ。彼の情報を入手する速さに改めて驚いたロゼは、瞬時に誤魔化すことができてよかったと安堵する。実際、ジンクスに関連する本を探す合間、魅力的な本に夢中になっていることは事実であるが。
「姉上。来年の誕生日も、こうして共に過ごしてくださいますか?」
ロゼはユークリッドの美顔を見上げる。筋の通った鼻の下、濡れそぼった唇が光る。芸術的なそれに惹かれてしまったロゼは、己を律して顔を背けた。
「考えておきましょう」
肯定とも否定とも取れない返答。随分と愛嬌のない言葉をぶつけてしまったものだと、ロゼは自身への嫌悪に駆られた。だがユークリッドは、なぜか嬉々としていた。
月光が照らす舞台。美しいふたりの男女は、甘酸っぱくも優しい時間を過ごしたのであった。
21
お気に入りに追加
354
あなたにおすすめの小説
姉弟遊戯
笹椰かな
恋愛
※男性向け作品です。女性が読むと気分が悪くなる可能性があります。
良(りょう)は、同居している三歳年上の義姉・茉莉(まつり)に恋をしていた。美しく優しい茉莉は手の届かない相手。片想いで終わる恋かと思われたが、幸運にもその恋は成就したのだった。
◆巨乳で美人な大学生の義姉と、その義弟のシリーズです。
※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様
※使用画像/アンティーク パブリックドメイン 画像素材様
【完結】金で買ったお飾りの妻 〜名前はツヴァイ 自称詐欺師〜
hazuki.mikado
恋愛
彼女の名前はマリア。
実の父と継母に邪険にされ、売られるように年上の公爵家の当主に嫁ぐことになった伯爵家の嫡女だ。
婿養子だった父親が後妻の連れ子に伯爵家を継がせるために考え出したのが、格上の公爵家に嫡女であるマリアを嫁がせ追い出す事だったのだが・・・
完結後、マリア視点のお話しを10話アップします(_ _)8/21 12時完結予定
甘い誘惑
さつらぎ結雛
恋愛
幼馴染だった3人がある日突然イケナイ関係に…
どんどん深まっていく。
こんなにも身近に甘い罠があったなんて
あの日まで思いもしなかった。
3人の関係にライバルも続出。
どんどん甘い誘惑の罠にハマっていく胡桃。
一体この罠から抜け出せる事は出来るのか。
※だいぶ性描写、R18、R15要素入ります。
自己責任でお願い致します。
R18 ハードデイズ・ハードラックナイト<ワケあり刑事の散々な日の不運な夜>
薊野ざわり
恋愛
勤めていた会社があえなく倒産し、警察官に転職した三小田。物覚えはいまいち、諸事情から専門スキルも見劣りする、アラサー女子である。
そんな彼女の指導を担当するのは、別の道を極めてそうな神前という強面の男だった。聞くだけならハイスペックな技能と経歴を持つ彼は、同僚を殴って怪我をさせたため懲罰人事で異動してきた、係の問題児らしい。
なんとか神前に殴られず、穏便に研修期間を終えたいと願う三小田に、捜査の応援要請がかかる。
怖い先輩や事件に脅かされ、わりと散々な日々を送るちょっとわけあり転職組捜査官が、ラッキーで事件を解決したり、悩んだり、いちゃいちゃするお話。
性描写ありには■をつけます。
※残酷描写多め、鬱展開あり。各章始めに前書きで注意をいれてます。
※ヒロインが怪我したり怖い思いをします。ヒーローがやらかしてる系かつ精神的に子供です。
※サスペンス要素はおまけです。実際の組織の仕組みや技術とはあらゆるところが乖離していますので、ファンタジーとしてお読みください。近未来設定ですが、がっちりしたSFやサイバーパンクではありません。
このお話はムーンライトノベルズにも完結まで掲載しています。
よろしければ、小話詰め合わせ「フラグメンツ」もどうぞ。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
【完結】 悪役令嬢は『壁』になりたい
tea
恋愛
愛読していた小説の推しが死んだ事にショックを受けていたら、おそらくなんやかんやあって、その小説で推しを殺した悪役令嬢に転生しました。
本来悪役令嬢が恋してヒロインに横恋慕していたヒーローである王太子には興味ないので、壁として推しを殺さぬよう陰から愛でたいと思っていたのですが……。
人を傷つける事に臆病で、『壁になりたい』と引いてしまう主人公と、彼女に助けられたことで強くなり主人公と共に生きたいと願う推しのお話☆
本編ヒロイン視点は全8話でサクッと終わるハッピーエンド+番外編
第三章のイライアス編には、
『愛が重め故断罪された無罪の悪役令嬢は、助けてくれた元騎士の貧乏子爵様に勝手に楽しく尽くします』
のキャラクター、リュシアンも出てきます☆
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる