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本編
第35話 迎え
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若い執事の報告を受けたロゼは、足早にメルドレール公爵城を歩いていた。やけにボリュームのあるスカートの影響で、走ることもままならないが、それでも出せるだけの力をもって廊下を駆ける。微量の汗を流しながらも、やっとの思いで城の外に出たロゼは、愛馬である黒馬に乗ったユークリッドの姿を発見した。ドルトディチェ大公令息と言えば、ほかにもいるが、わざわざロゼが滞在しているメルドレール公爵城に来てしまう異常な人間は、ユークリッドただひとりだけだ。ユークリッドは愛馬から華麗に降り、ロゼに歩み寄る。
「姉上、ご無事で何よりです」
「ユークリッド、なぜここに……」
「姉上のことが心配で迎えに来たのです。宿泊するとは聞いておりませんでしたので」
ユークリッドは、ロゼよりも数秒遅れて到着したフリードリヒに怨恨のこもった眼差しを向けた。フリードリヒは、彼が口にしたことは事実のため何も弁解できなかった。好機だと言わんばかりに、ユークリッドは畳み掛ける。
「メルドレール公爵。婚約者でもない年頃の女性を城に泊まらせるとは、一体何を考えているのでしょうか?」
「軽率な行為であったことは謝罪いたします。申し訳ございません。しかし、僕とロゼは友人です。何もやましいことはありません」
「当たり前でしょう。ですが姉上の身の安全を考えることこそ、ご友人である公爵の責務では?」
一切の感情も灯らない血色の瞳は、フリードリヒを暗黙に責める。フリードリヒは昨晩、記憶が途切れる寸前のロゼの言葉を思い出す。
『ドルトディチェ大公城は比較的安全よ。確かに危険はあるけれど、ユークリッドが守ってくれるから』
ユークリッドは何かと危険に晒されるロゼを守護している。城外にいる間しかロゼを守ることができないフリードリヒは、自分の無力さを呪った。無言で俯く彼に、ユークリッドはとどめを刺す。
「メルドレール公爵。今後はこういったことはやめていただきたい。姉上も、無断で宿泊することは決してしないと、俺と約束を」
沈黙を貫くフリードリヒの隣で、ロゼは暫し考えたあと、口を切る。
「事前に許可をいただけば宿泊をしていいということですか?」
「……譲歩はします。しかしその際は、俺も共に泊まりましょう」
白雲ひとつない晴れ渡る空。雨の前兆は皆無なのにも関わらず、メルドレール公爵城には巨大な雷が落下した。ロゼとフリードリヒは、仰天する。今後、ロゼが城外にて宿泊をする際には、もれなくユークリッドもついて来るということ。これにはさすがのロゼも愕然とするほかない。
「失礼ですが、ドルトディチェ大公令息。ロゼとあなたは義理とは言え姉弟でしょう。そこまでロゼを束縛するのもおかしな話ではないですか?」
フリードリヒは顰めっ面をして、疑問をぶつける。彼の問いかけに、ロゼは何度も首を縦に振りながら全肯定したい気分となるが、それは心の中だけに留めておくことにした。ユークリッドはフリードリヒの問いかけを鼻で笑い飛ばす。
「束縛? これが束縛だと? ろくに姉上を守れないお方が大口を叩かないでいただきたい」
ユークリッドの煽り散らかす言葉に、フリードリヒは混み上がる激憤を必死に抑え込んだ。一介の騎士であれば、問答無用でユークリッドに斬りかかっていたことだろう。怒りを鎮めるフリードリヒの傍ら、ロゼは溜息をこぼす。
ロゼは、ドルトディチェ大公城にてユークリッドに守られている立場だ。彼女の母親のダリアがドルトディチェ大公のお気に入り。ロゼは毒が効かないという特異体質を持っている。このふたつに加えて、彼女はドルトディチェ大公家の最有力後継者候補のユークリッドに守られているともなれば、ほかの後継者たちはロゼに手を出せないし、なおさらダリアにも安易に手を出すことができなくなる。ユークリッドと、さらにはドルトディチェ大公のおかげで、ロゼとダリアは安全の身でいられるのだ。これまでもそうであったように、ユークリッドの加護なくして、ドルトディチェ大公家においてのロゼの命は保証されないだろう。そのため、ロゼは彼に強く言えない。今はこちら側が最大限の妥協をして、ユークリッドに従うことが懸命だ。考えに考え込んだすえ、結論を出したロゼは堂々と顔を上げる。
「ユークリッド。そこまでです。帰りましょう」
「……はい、姉上」
ユークリッドは頷く。剥き出しになっていた爪と歯をしまい込み、威嚇の姿勢を突然取り止めた彼は、まさしく飼い主に対しては忠実な猛獣のようだ。ロゼはそんな猛獣さながらのユークリッドを連れ、去ろうとする。
「ロゼ!」
フリードリヒに呼び止められたロゼは、立ち止まり、振り返る。
「また、近いうちに会おう」
「……えぇ、楽しみにしているわ」
ロゼが死んだ表情筋をなんとか蘇生させて、薄らと笑みを浮かべる。ユークリッドは、フリードリヒを見つめ続ける。ドルトディチェ大公家の証であるブラッドレッドの瞳が忌々しく輝いていた。
「姉上、ご無事で何よりです」
「ユークリッド、なぜここに……」
「姉上のことが心配で迎えに来たのです。宿泊するとは聞いておりませんでしたので」
ユークリッドは、ロゼよりも数秒遅れて到着したフリードリヒに怨恨のこもった眼差しを向けた。フリードリヒは、彼が口にしたことは事実のため何も弁解できなかった。好機だと言わんばかりに、ユークリッドは畳み掛ける。
「メルドレール公爵。婚約者でもない年頃の女性を城に泊まらせるとは、一体何を考えているのでしょうか?」
「軽率な行為であったことは謝罪いたします。申し訳ございません。しかし、僕とロゼは友人です。何もやましいことはありません」
「当たり前でしょう。ですが姉上の身の安全を考えることこそ、ご友人である公爵の責務では?」
一切の感情も灯らない血色の瞳は、フリードリヒを暗黙に責める。フリードリヒは昨晩、記憶が途切れる寸前のロゼの言葉を思い出す。
『ドルトディチェ大公城は比較的安全よ。確かに危険はあるけれど、ユークリッドが守ってくれるから』
ユークリッドは何かと危険に晒されるロゼを守護している。城外にいる間しかロゼを守ることができないフリードリヒは、自分の無力さを呪った。無言で俯く彼に、ユークリッドはとどめを刺す。
「メルドレール公爵。今後はこういったことはやめていただきたい。姉上も、無断で宿泊することは決してしないと、俺と約束を」
沈黙を貫くフリードリヒの隣で、ロゼは暫し考えたあと、口を切る。
「事前に許可をいただけば宿泊をしていいということですか?」
「……譲歩はします。しかしその際は、俺も共に泊まりましょう」
白雲ひとつない晴れ渡る空。雨の前兆は皆無なのにも関わらず、メルドレール公爵城には巨大な雷が落下した。ロゼとフリードリヒは、仰天する。今後、ロゼが城外にて宿泊をする際には、もれなくユークリッドもついて来るということ。これにはさすがのロゼも愕然とするほかない。
「失礼ですが、ドルトディチェ大公令息。ロゼとあなたは義理とは言え姉弟でしょう。そこまでロゼを束縛するのもおかしな話ではないですか?」
フリードリヒは顰めっ面をして、疑問をぶつける。彼の問いかけに、ロゼは何度も首を縦に振りながら全肯定したい気分となるが、それは心の中だけに留めておくことにした。ユークリッドはフリードリヒの問いかけを鼻で笑い飛ばす。
「束縛? これが束縛だと? ろくに姉上を守れないお方が大口を叩かないでいただきたい」
ユークリッドの煽り散らかす言葉に、フリードリヒは混み上がる激憤を必死に抑え込んだ。一介の騎士であれば、問答無用でユークリッドに斬りかかっていたことだろう。怒りを鎮めるフリードリヒの傍ら、ロゼは溜息をこぼす。
ロゼは、ドルトディチェ大公城にてユークリッドに守られている立場だ。彼女の母親のダリアがドルトディチェ大公のお気に入り。ロゼは毒が効かないという特異体質を持っている。このふたつに加えて、彼女はドルトディチェ大公家の最有力後継者候補のユークリッドに守られているともなれば、ほかの後継者たちはロゼに手を出せないし、なおさらダリアにも安易に手を出すことができなくなる。ユークリッドと、さらにはドルトディチェ大公のおかげで、ロゼとダリアは安全の身でいられるのだ。これまでもそうであったように、ユークリッドの加護なくして、ドルトディチェ大公家においてのロゼの命は保証されないだろう。そのため、ロゼは彼に強く言えない。今はこちら側が最大限の妥協をして、ユークリッドに従うことが懸命だ。考えに考え込んだすえ、結論を出したロゼは堂々と顔を上げる。
「ユークリッド。そこまでです。帰りましょう」
「……はい、姉上」
ユークリッドは頷く。剥き出しになっていた爪と歯をしまい込み、威嚇の姿勢を突然取り止めた彼は、まさしく飼い主に対しては忠実な猛獣のようだ。ロゼはそんな猛獣さながらのユークリッドを連れ、去ろうとする。
「ロゼ!」
フリードリヒに呼び止められたロゼは、立ち止まり、振り返る。
「また、近いうちに会おう」
「……えぇ、楽しみにしているわ」
ロゼが死んだ表情筋をなんとか蘇生させて、薄らと笑みを浮かべる。ユークリッドは、フリードリヒを見つめ続ける。ドルトディチェ大公家の証であるブラッドレッドの瞳が忌々しく輝いていた。
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