上 下
35 / 183
本編

第34話 悲劇の朝

しおりを挟む
 朝の爽快な風が髪を揺らす。睫毛が震え、目元を擽る。ストロベリーブロンドの髪色と同色の睫毛が緩慢に上がり、夜空をそのまま埋め込んだアジュライト色の瞳が姿を現した。何度か瞬きをして、現状を確認する。霞む視界は徐々に鮮明となっていく。ヴァーミリオンの猫毛が目に飛び込んできて、気まずげに開かれるタンザナイト色の瞳と視線が交わる。ロゼの眼前には、眠気も一気に吹き飛ぶ美しい顔があった。

「お、おはよう、ロゼ」

 フリードリヒは、戸惑いの声を発しながらなんとか朝の挨拶をする。ロゼは動揺を見せず、上体を起こした。体の関節を鳴らしたあと、ベッドから下りて、窓辺まで歩く。閉じきったカーテンを開け放つ。無限の光が飛び込んできて、ロゼは思わず目を瞑った。フリードリヒは「わぷ……」と可愛らしい声を上げて目元を覆う。極限の無を表すロゼの顔に、薄らと冷や汗が流れた。どうやら既に、朝になってしまったらしい。昨晩、フリードリヒの寝室にやって来たところで記憶が途切れてしまっている。ロゼはあのまま深い眠りについてしまったのか、と昨夜の自分を投げ飛ばしたい衝動に駆られた。

「ごめん、ロゼ。僕、昨晩の記憶がまったくないんだけど、失礼なことをしていないかな……?」

 フリードリヒは白シャツ一枚に包まれた体を起こし、人差し指で頬を掻く。現在の彼からはまったく想像もできない昨晩の彼。色気は漏れ、フリードリヒ特有の甘美な香りが漂う。そして分厚めの唇が紡いだのは――。

『ロゼ、目を逸らすな』

 甘く低い声。フリードリヒに恋焦がれる女性ならば、絶対に耐えられない。間違いなく失神してしまうだろう。脳内によみがえる魅惑的なフリードリヒを思い出して、ロゼは扉に向かって一直線に歩みを進める。緩やかなウェーブを描く長髪を揺らしながら、振り返った。その仕草に、フリードリヒはドキリとする。

「さぁ、どうでしょう?」
「そ、それはどっち!?」

 フリードリヒが激しく焦るのを背後に、ロゼは扉を開く。朝番の見張りの騎士たちは、彼女に敬礼をする。

「おはようございます、ロゼ様」

 ちょうどそこに現れたのは、ルークであった。ロゼは罪悪感にさいなまれながらも、上品に頭を下げる。

「そろそろ起床の時刻かと思い訪ねましたが……昨晩はよくお休みになられたようで」

 朝日よりも眩い笑顔に浄化される気分に陥ったロゼは静かに目を逸らし、現実逃避を試みる。
 恐らくロゼは、ルーク特性のハーブティーの効果もあってか、ぐっすり眠ってしまったのだろう。しかし彼は、あえてロゼを起こさなかったのだ。無理にでも起こしてくれればよかったものを、地味に恥をかいてしまったとロゼは苦悩をする。

「ルーク、ご迷惑をおかけいたしました」
「いいえ、旦那様のほうが何かとロゼ様にご迷惑をおかけしておりますし……」

 ルークの視線が僅かに外れる。彼の瞳が捉えたのは、ロゼの後ろからバツが悪そうに顔を出したフリードリヒであった。

「おはよう……ルーク……」
「おはようございます、旦那様。昨晩はロゼ様とは何も、なかったですよね?」

 恐怖すら感じさせる笑顔で念押しするルークに、フリードリヒは静かに震撼しんかんする。

「あ、当たり前じゃないか! 騎士たる者、紳士でなくてどうする!」
「それはお酒に強くなってから言いましょう」
「……え」
「さぁロゼ様。朝食の準備ができております。お着替えをしてから食卓の間に参りましょう」

 ロゼが頷き、フリードリヒの顔を盗み見る。フリードリヒは、肉体から魂が抜けたかのように、何もない宙を見上げ続けていたのだった。


 衣装室と化粧室にて着替えと化粧を済ませたロゼは、食卓の間に行きついた。昨日と同じ席に座ると、先程のだらしない格好はどこへやら、騎士服を完璧に着こなしたフリードリヒと目が合った。

「ドレス、よく似合っているね」
「……貸してくれたこと、感謝するわ」
「あぁ、返さなくてもいいから。妹が置いていったドレスなんだ。ロゼが着てくれていたなら、妹も喜ぶよ」

 ロゼは自身がまとうドレスを見下ろす。ピンク色を基調としたドレスは、やたらとフリルとリボンが施されている。彼女の好みのドレスではないのだが、似合ってはいた。二度目の着用機会はないかもしれないが。
 ロゼとフリードリヒは食前の挨拶をして、朝食を食べ始める。程よく焼かれたパンやまろやかなコーンスープ、色とりどりのサラダをはじめとした豪勢な朝食が並んでいた。自分の宮で食べるのとはひと味違う味に感動しながら食していると、突如として扉が激しく開かれる音がした。入室したのはひとりの若い執事。ルークはその無礼を咎めようとするが、執事の剣幕けんまくを目の当たりにして口をつぐむ。

「メルドレール公爵様! ドルトディチェ大公令嬢! ドルトディチェ大公家のご令息がお見えでございます!」

 衝撃的な言葉の矢は、ロゼの脳天を突き抜けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

姉弟遊戯

笹椰かな
恋愛
※男性向け作品です。女性が読むと気分が悪くなる可能性があります。 良(りょう)は、同居している三歳年上の義姉・茉莉(まつり)に恋をしていた。美しく優しい茉莉は手の届かない相手。片想いで終わる恋かと思われたが、幸運にもその恋は成就したのだった。 ◆巨乳で美人な大学生の義姉と、その義弟のシリーズです。 ※表紙の作成/かんたん表紙メーカー様 ※使用画像/アンティーク パブリックドメイン 画像素材様

【完結】金で買ったお飾りの妻 〜名前はツヴァイ 自称詐欺師〜

hazuki.mikado
恋愛
彼女の名前はマリア。 実の父と継母に邪険にされ、売られるように年上の公爵家の当主に嫁ぐことになった伯爵家の嫡女だ。 婿養子だった父親が後妻の連れ子に伯爵家を継がせるために考え出したのが、格上の公爵家に嫡女であるマリアを嫁がせ追い出す事だったのだが・・・ 完結後、マリア視点のお話しを10話アップします(_ _)8/21 12時完結予定

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

夜の帝王の一途な愛

ラヴ KAZU
恋愛
彼氏ナシ・子供ナシ・仕事ナシ……、ないない尽くしで人生に焦りを感じているアラフォー女性の前に、ある日突然、白馬の王子様が現れた! ピュアな主人公が待ちに待った〝白馬の王子様"の正体は、若くしてホストクラブを経営するカリスマNO.1ホスト。「俺と一緒に暮らさないか」突然のプロポーズと思いきや、契約結婚の申し出だった。 ところが、イケメンホスト麻生凌はたっぷりの愛情を濯ぐ。 翻弄される結城あゆみ。 そんな凌には誰にも言えない秘密があった。 あゆみの運命は……

ざまぁされる姉をやめようと頑張った結果、なぜか勇者(義弟)に愛されています

risashy
恋愛
元孤児の義理の弟キリアンを虐げて、最終的にざまぁされちゃう姉に転生したことに気付いたレイラ。 キリアンはやがて勇者になり、世界を救う。 その未来は変えずに、ざまぁだけは避けたいとレイラは奮闘するが…… この作品は小説家になろうにも掲載しています。

転生幼女具現化スキルでハードな異世界生活

高梨
ファンタジー
ストレス社会、労働社会、希薄な社会、それに揉まれ石化した心で唯一の親友を守って私は死んだ……のだけれども、死後に閻魔に下されたのは願ってもない異世界転生の判決だった。 黒髪ロングのアメジストの眼をもつ美少女転生して、 接客業後遺症の無表情と接客業の武器営業スマイルと、勝手に進んで行く周りにゲンナリしながら彼女は異世界でくらします。考えてるのに最終的にめんどくさくなって突拍子もないことをしでかして周りに振り回されると同じくらい周りを振り回します。  中性パッツン氷帝と黒の『ナンでも?』できる少女の恋愛ファンタジー。平穏は遙か彼方の代物……この物語をどうぞ見届けてくださいませ。  無表情中性おかっぱ王子?、純粋培養王女、オカマ、下働き大好き系国王、考え過ぎて首を落としたまま過ごす医者、女装メイド男の娘。 猫耳獣人なんでもござれ……。  ほの暗い恋愛ありファンタジーの始まります。 R15タグのように15に収まる範囲の描写がありますご注意ください。 そして『ほの暗いです』

どうやら私(オタク)は乙女ゲームの主人公の親友令嬢に転生したらしい

海亜
恋愛
大交通事故が起きその犠牲者の1人となった私(オタク)。 その後、私は赤ちゃんー璃杏ーに転生する。 赤ちゃんライフを満喫する私だが生まれた場所は公爵家。 だから、礼儀作法・音楽レッスン・ダンスレッスン・勉強・魔法講座!?と様々な習い事がもっさりある。 私のHPは限界です!! なのになのに!!5歳の誕生日パーティの日あることがきっかけで、大人気乙女ゲーム『恋は泡のように』通称『恋泡』の主人公の親友令嬢に転生したことが判明する。 しかも、親友令嬢には小さい頃からいろんな悲劇にあっているなんとも言えないキャラなのだ! でも、そんな未来私(オタクでかなりの人見知りと口下手)が変えてみせる!! そして、あわよくば最後までできなかった乙女ゲームを鑑賞したい!!・・・・うへへ だけど・・・・・・主人公・悪役令嬢・攻略対象の性格が少し違うような? ♔♕♖♗♘♙♚♛♜♝♞♟ 皆さんに楽しんでいただけるように頑張りたいと思います! この作品をよろしくお願いします!m(_ _)m

貴方を愛することできますか?

詩織
恋愛
中学生の時にある出来事がおき、そのことで心に傷がある結乃。 大人になっても、そのことが忘れられず今も考えてしまいながら、日々生活を送る

処理中です...