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本編

第33話 フリードリヒの寝顔

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 ルークの申し出に甘え、メルドレール公爵城にて一晩を過ごすことになったロゼは、客室に備えつけられた豪華なバスルームにて入浴を終えた。ロゼの裸体を見てやけに落ち着きのない侍女たちの助けを借りながら、ロゼは清楚な寝間着に身を包んだ。肌の露出が少ない寝間着は、彼女の好みにぴたりと当てはまっている。そんな寝間着の上から薄桃色の羽織をまとう。

「もう下がっていいですよ。手伝ってくださりありがとうございました」

 ロゼの命令に、侍女たちは深く頭を下げて客室を出ていく。この直後侍女たちは、体も顔も尋常ではない神々しさであったとかあの恐ろしいドルトディチェ大公家の方とは思えないほどに優しかったとか、様々な話で盛り上がるのだが、そうとも知らないロゼはひとりソファーに座っていた。脳内に浮かぶのは、泥酔したフリードリヒのこと。なんとなく彼の身が心配になったロゼは、腰を上げ扉の方向に向かう。美しい曲線を描くドアノブに触れそっと力を込めて開けると、ちょうどそこにはルークが立っていた。透明のティーポットを彩る鮮やかな色味の紅茶とひとつのカップを乗せたバーカートを持っている。ティーポットから嗅いだだけで幸せになれる香りが漂う。

「おっと、これは失礼いたしました。ロゼ様に睡眠前のハーブティーを、と思いましてお持ちしたのですが……どこかへ向かわれるご予定でも?」
「フリードリヒの様子を見に行こうかと。あれだけ悪酔いをしていたので、少し心配になって……」

 ルークは目を見開いたあと、すぐに真剣な表情となる。

「夜遅く、入浴を終えた淑女しゅくじょが男性の部屋に向かう。その意味を分からぬほど、ロゼ様は幼くはないでしょう」

 どこか責める口調に、ロゼは考え込む。夜半、女性が男性を訪ねる、もしくは男性が女性を訪ねる行為は、相手と熱い一夜を過ごしたいという意思表示ともなる。「この方」であるフリードリヒは、ドルトディチェ大公を止める最後のとりでだ。あくまで己の野望を果たすがために、ロゼは彼を心配しただけにすぎない。しかし、世間的には違う意味で捉えられてしまうのだ。曲がりなりにもドルトディチェ大公家の令嬢として、ふさわしい行動ではなかったと思ったロゼは、謝罪をする。

「申し訳ございません。今のは忘れてください」
「……そうは言いましたが、旦那様はぐっすりと眠っておられます。少し様子を窺うくらいは問題ないかと。ロゼ様がお望みであれば、旦那様のお部屋までご案内いたしましょう」

 厳しいようで甘さもあるルークは、柔和にゅうわな笑顔を湛えた。ロゼはどうしようかと迷った挙句、「お願いいたします」と返答をしたのであった。


 ルークの丁寧な案内により、フリードリヒの寝室までやって来たロゼ。重厚な扉の両端で見張りをする騎士たちの許可を得つつ、ロゼとルークは物音を立てないよう配慮をしながら入室した。寝室の天井から吊るされたシャンデリアに光は灯されていない。フリードリヒが眠るベッドの脇に設置された、淡い橙色の灯りが揺れている。ルークはベッドサイドの椅子を引いて、ロゼに座るよう促す。そしてティーポットのハーブティーをカップに注ぎ入れ、ロゼに差し出した。

「では私は寝室の外におりますので、またお声がけください」
「はい、ありがとうございます、ルーク」

 ルークは頭を下げ、寝室をあとにした。密閉の空間。眠るフリードリヒとふたりきりの状態。間違いなど起こりやしないが、もしこれがユークリッドであったのならどうなっていたことだろう。また何かしらからかわれていたかもしれない。
 ロゼはハーブティーを口に含む。爽やかな香りが鼻を抜けていき、体全体が温まっていく。ベッドの上で横たわり、無防備な寝顔を晒しているフリードリヒを見つめた。眠り姫ならぬ眠り王子の爆誕である。タンザナイト色の双眸は瞼の裏に隠れてしまっているが、それはそれでレアだ。ぷるっと潤った唇からは、熱い息がこぼれている。幼さが倍増しているが、妙な色気も漏れていた。それを見てロゼは、ユークリッドはどのように眠るのだろうか、と考える。きっと寝癖や寝相の悪さとは縁のない男なのだろう。起きている間も抜け目がないため、寝ている間も常に気を張っていそうだ。隈こそ見られないものの、穏やかに安眠できているとは考えにくい。ユークリッドは、大丈夫なのだろうか。目の前にいるのはフリードリヒなのに、ロゼの思考と心を埋め尽くすのはユークリッドという矛盾むじゅんに、ロゼは葛藤かっとうしながら、目を閉じた。

「あなたは今、何をしているのかしら」

 夏の空気が包み込む中、ロゼは思いを馳せたのだった。
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