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本編

第30話 夕食

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 西に沈みゆく太陽が世界を照らす。秋空を彩るのは、燃え滾るように赤い雲。爽やかな風が吹く中、ロゼはメルドレール公爵城を訪れていた。夕食に誘われた日付がちょうどユークリッドの誕生日の前日であるが、仕方がない。太陽が沈み深い夜が訪れたとしても、明日の朝までに帰還すれば何も問題はないであろう。
 紅白で統一された食卓の間は、絶句してしまうほどに美しい。広い食卓は一体何人の人間が腰掛けることができるだろうか。そんな食卓の上座にはフリードリヒが、その傍にはロゼが座っている。夜空色に染められたドレスの上に散りばめられるのは、無数の銀色のドット。まさしく夜空を彩る星々であった。今日も今日とて美しいロゼは、無心で食事を口に運ぶ。

「口に合うかな?」
「とても美味しいわ、ありがとう、フリードリヒ」
「っ………………」

 フリードリヒは、あからさまに照れる。頬をほんのりと紅潮こうちょうさせる彼をロゼは可愛いと思うのであった。
 メルドレール公爵城の食事は、とてつもなく美味である。味付けも濃すぎず薄すぎずちょうどよく、ロゼの舌をうならせる。平和な城、一族であるため、わざわざ毒味をする必要もない。なんて平穏な時間なのだろうか。ロゼは微小に口角を上げる。フリードリヒは彼女の小さな笑顔に胸を打たれて、盛大に水をこぼしてしまった。

「ご、ごめんっ!」
「気になさらないで」

 ロゼは食べる手を止めず、そう答えた。フリードリヒがこぼした水を拭きにきたのは、長身の初老の執事であった。白髪と白髭がここまで似合う老人もそういないのではないか、と思わせるほど整った顔立ちだ。パンジー色の瞳がどこかなまめかしく美しい。執事は綺麗にテーブルを拭く。

「旦那様。しっかりしてください」
「わ、分かってるよ……」

 恥辱ちじょくを感じたフリードリヒは、すっかりと縮こまってしまった。そんな彼の傍らで、ロゼはちょうど食事を終え、黄金のフォークとナイフを置く。執事はタイミングを見計らって、ロゼに向き直った。

「ドルトディチェ大公令嬢。この場をお借りして、ご挨拶をさせていただきたく存じます。私の名は、ルーク・レティク。メルドレール公爵家ご当主様の専属執事並びに執事長を務めております。以後、お見知り置きを。そして、ご挨拶が遅くなってしまったこと、心よりお詫び申し上げます」

 ルーク・レティクと名乗った執事は、完璧な作法で一礼をする。さすがはフリードリヒの専属執事である。ロゼは感心した様子を見せ、頷く。

「よろしくお願いいたします。お近づきの印に、そうですね……。私のことは大公令嬢ではなく、名で呼んでくださいな」
「そんな、恐れ多いです」
「………………」

 ロゼは無表情を貫く。彼女の顔色を窺ったルークはすぐに返事を訂正した。

「大公令嬢のお望みとあらば、このルーク・レティク、喜んで叶えさせていただきましょう。ロゼ様、これからも何卒、旦那様のことをよろしくお願い申し上げます」

 再び頭を下げる。伊達だてに何年もメルドレール公爵家に仕えていないわけだ。ルークは、主人の客人を名で呼ぶことが失礼にあたると分かっていても、客人の意志を尊重する素晴らしい執事。ロゼが見た目の割に頑固であることを一瞬のうちに見抜いたのだ。素直に名で呼んでくれたルークに対して満足したロゼは、首を縦に振る。

「えぇ、フリードリヒとは長く付き合っていきたいと思っていますので、こちらこそよろしくお願いいたしますね、ルーク」

 ルークは満面の笑みを浮かべた。一方フリードリヒはというと、ロゼの言葉に感極まり、ものも言えない様子だ。ロゼに「長く付き合っていきたい」と言ってもらえたことがそれほど嬉しかったのだろう。ロゼは本音を言ったまでであるが。ルークは惚けた面様をし、呆然とし続ける主人に、泣く子も黙る鋭い視線を送った。顔に突き刺さる視線を感じ取ったフリードリヒは我に返り、咳払いをする。こぼしてしまったせいで中身が減ったグラスを持ち上げ、残った水を飲み込む。

「ロゼ。ワインは好きかい?」
「………………?」

 その問いにロゼはこてんと首を傾ける。表情に色味がないのは変わらないのにも関わらず、純粋な感情を漂わせるその顔に、フリードリヒはまたも心を打たれたのであった。
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