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本編
第19話 拷問部屋
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森深くから夜行性の鳥の鳴き声が聞こえてくる。闇に包まれた森は、神秘的な美しさと共に不気味な空気感があった。悠然と佇むドルトディチェ大公城の一際巨大な宮の地下には、拷問部屋と牢屋が立ち並んでいた。何部屋かは使用中らしく、ぴたりと扉が閉まっているが、その隙間からは呻き声や叫び声が聞こえてくる。牢屋の中で項垂れる罪人たちは、次は自分の番かもしれないと終わりのない恐怖に震えていた。
拷問部屋の一室。先程まで聞こえていた女性の叫び声は、ピタリと止んでいた。ほかの拷問部屋と比べ閑散としたその部屋の中には、両手と両足を縛られ、吐血している女性の姿が。ロゼの宮に勤めていた諜報者あるいは暗殺者と思わしき侍女であった。指の先も動かさない、体を揺らすこともしない。完璧に、命を刈り取られてしまっていた。目立った外傷はないが、口から流れる血液は尋常ではない量だ。それも、自ら舌を噛みきったかのように。ドルトディチェ大公一族の人間は、血に触れさせることで自死させることができる特殊な力を持っている。ユークリッドが己の血を分け与え、狂わせたのだろうか。真相は定かではないが。
「ユークリッド様。どう処分いたしましょう」
そう言った男の名は、ノエル・ルフィナ。20歳。幼き頃よりユークリッドの右腕として彼と共に成長してきた側近だ。生まれつき、莫大な魔力を誇り、魔法面に長けている。柔らかく癖のないシルバーホワイトの髪に、スモークブルーの瞳を持つ美青年。人のよさが滲み出る美貌は、老若男女問わず好かれそうだ。その服に付着する少量の血さえ除けば。
そんなノエルの視線の先には、ユークリッドがいた。
「火葬はしておけ。あとは任す」
「かしこまりました」
ユークリッドは、血で薄汚れた白色の手袋を口で剥ぎ取り、絶命した侍女に視線を落とす。怪しげに揺れる蝋燭の炎に照らされた血色の双眸がスッと細められた。
「大した情報は得られなかったな」
「そうですね。ですが雇い主は判明したので、あとはその者を殺すだけではないのですか?」
天使の顔をした悪魔が「殺す」という言葉を口にする。ユークリッドは圧倒的違和感を抱きつつも、それを胸の内に秘める。指摘したら指摘したで「僕に世間の理想を押しつけないでいただきたい」と反論されるだけなのだから。ユークリッドは可愛い顔で恐ろしい言葉を口にするノエルから目を逸らし、溜息を吐く。
「……そうであってほしいと願うばかりだ」
意味深長な主人の言葉に、ノエルは控えめに頷く。
ユークリッドは、拷問部屋の端に申し訳程度に置かれている椅子に深く腰掛ける。
「直系の誰かがついに姉上に手を出したかと思ったが、違ったな。父上の寵愛を独り占めする姉上の母親に嫉妬したというところか。阿呆な女だ」
侍女を雇い、ロゼが住まう宮に侵入させたのは、顔も名も朧気の女。ドルトディチェ大公の数多くいる愛人のうちのひとりだ。ドルトディチェ大公から一心に寵愛を受けている愛人に嫉妬をして、その連れ子であるロゼを標的に定めたのだろう。ロゼに手を出そうとしたことが運の尽きである。蝶の如く美しい女性を狙ったが最後、その蝶を追いかけていた猛獣が牙を剥いたのだから。
ノエルは絶命した侍女に近寄り、手足の拘束を解く。
「ロゼ様に手を出すとは驚きですね。これがよからぬ引き金を引かなければいいですが……」
「十中八九、引くだろうな」
ユークリッドは、目元にかかる前髪を乱暴に掻き上げる。傷も吹き出物もない白い額が現れた。まったくセットしていない髪型でも、年齢相応の可愛さと人外の美麗さを漂わせる。
長年、ロゼには手を出してはならないという暗黙の了解が流れていた。しかしその縛りを破った者が現れたということは、長年保たれてきた均衡に風穴が開くことを意味している。もしかしたら、ロゼやその母を標的にし始める者も少なくはないのかもしれにい。
「ここで姉上を死なせてしまえば……俺の人生は無駄となる」
ユークリッドは独りでに呟く。ドルトディチェ大公の座を手に入れるための言葉だとは思うが、少しの不可解さが残る。主人を横目に、ノエルはそんなことを考えたのであった。
拷問部屋の一室。先程まで聞こえていた女性の叫び声は、ピタリと止んでいた。ほかの拷問部屋と比べ閑散としたその部屋の中には、両手と両足を縛られ、吐血している女性の姿が。ロゼの宮に勤めていた諜報者あるいは暗殺者と思わしき侍女であった。指の先も動かさない、体を揺らすこともしない。完璧に、命を刈り取られてしまっていた。目立った外傷はないが、口から流れる血液は尋常ではない量だ。それも、自ら舌を噛みきったかのように。ドルトディチェ大公一族の人間は、血に触れさせることで自死させることができる特殊な力を持っている。ユークリッドが己の血を分け与え、狂わせたのだろうか。真相は定かではないが。
「ユークリッド様。どう処分いたしましょう」
そう言った男の名は、ノエル・ルフィナ。20歳。幼き頃よりユークリッドの右腕として彼と共に成長してきた側近だ。生まれつき、莫大な魔力を誇り、魔法面に長けている。柔らかく癖のないシルバーホワイトの髪に、スモークブルーの瞳を持つ美青年。人のよさが滲み出る美貌は、老若男女問わず好かれそうだ。その服に付着する少量の血さえ除けば。
そんなノエルの視線の先には、ユークリッドがいた。
「火葬はしておけ。あとは任す」
「かしこまりました」
ユークリッドは、血で薄汚れた白色の手袋を口で剥ぎ取り、絶命した侍女に視線を落とす。怪しげに揺れる蝋燭の炎に照らされた血色の双眸がスッと細められた。
「大した情報は得られなかったな」
「そうですね。ですが雇い主は判明したので、あとはその者を殺すだけではないのですか?」
天使の顔をした悪魔が「殺す」という言葉を口にする。ユークリッドは圧倒的違和感を抱きつつも、それを胸の内に秘める。指摘したら指摘したで「僕に世間の理想を押しつけないでいただきたい」と反論されるだけなのだから。ユークリッドは可愛い顔で恐ろしい言葉を口にするノエルから目を逸らし、溜息を吐く。
「……そうであってほしいと願うばかりだ」
意味深長な主人の言葉に、ノエルは控えめに頷く。
ユークリッドは、拷問部屋の端に申し訳程度に置かれている椅子に深く腰掛ける。
「直系の誰かがついに姉上に手を出したかと思ったが、違ったな。父上の寵愛を独り占めする姉上の母親に嫉妬したというところか。阿呆な女だ」
侍女を雇い、ロゼが住まう宮に侵入させたのは、顔も名も朧気の女。ドルトディチェ大公の数多くいる愛人のうちのひとりだ。ドルトディチェ大公から一心に寵愛を受けている愛人に嫉妬をして、その連れ子であるロゼを標的に定めたのだろう。ロゼに手を出そうとしたことが運の尽きである。蝶の如く美しい女性を狙ったが最後、その蝶を追いかけていた猛獣が牙を剥いたのだから。
ノエルは絶命した侍女に近寄り、手足の拘束を解く。
「ロゼ様に手を出すとは驚きですね。これがよからぬ引き金を引かなければいいですが……」
「十中八九、引くだろうな」
ユークリッドは、目元にかかる前髪を乱暴に掻き上げる。傷も吹き出物もない白い額が現れた。まったくセットしていない髪型でも、年齢相応の可愛さと人外の美麗さを漂わせる。
長年、ロゼには手を出してはならないという暗黙の了解が流れていた。しかしその縛りを破った者が現れたということは、長年保たれてきた均衡に風穴が開くことを意味している。もしかしたら、ロゼやその母を標的にし始める者も少なくはないのかもしれにい。
「ここで姉上を死なせてしまえば……俺の人生は無駄となる」
ユークリッドは独りでに呟く。ドルトディチェ大公の座を手に入れるための言葉だとは思うが、少しの不可解さが残る。主人を横目に、ノエルはそんなことを考えたのであった。
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