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本編

第15話 城の前

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 空は、晴れ渡る。青を彩る白は姿を見せていない。薄群青うすぐんじょう一色に染め尽くされた空は、壮大であった。ロゼは、そんな美しい空色のドレスを纏っていた。スカートの裾に向かうにつれ、橙色だいだいいろのグラデーションとなっている。まるで昼と夜の狭間、逢魔時おうまがときを表す色味であった。パフスリーブのおかげで腕は露出していないが、白い胸元があらわとなっている。ストロベリーブロンドの長髪は、毛先をふわりと巻き、ハーフアップに纏める。花々で彩られたそれは、まさしく美の庭園だった。
 騎士のエスコートで、あらかじめ用意されていた馬車に乗り込もうとする。しかしそれは、思いもよらぬ人物たちの登場により、阻まれることとなった。疾駆しっくする黒毛の大きな馬に乗って颯爽さっそうと現れたのは、なんとドルトディチェ大公とユークリッドであった。

「朝から皇帝の顔を見る羽目になって気分が下がっていたが、可愛い娘に会えたことは嬉しく思う。なぁ? ユークリッド」
「はい」

 ドルトディチェ大公の問いかけに、ユークリッドは忠実に頷く。可愛い娘とは、ほかでもないロゼのことを言っているのであろう。ロゼは、ドルトディチェ大公が愛する女性と名も顔も知らぬほかの男との間に生まれた子だ。ドルトディチェ大公からすれば、その男を喰いちぎってやりたいと思っていることだ。だがしかし、彼はロゼのことを可愛い娘と口にした。幸い、ロゼと彼が愛する女性、ロゼの母親は、比較的似ている。それも考慮こうりょしての言葉なのだろうか。

「珍しいな。お前が出かけるなんて」
「そうでしょうか」
「……男か?」
「はい」
「ハハッ、お前が男に会いに行くとはな」

(あなたを止めるため。必要とあらば、殺すため、ですが)

 高らかに笑うドルトディチェ大公に、ロゼは心の中で銀の刃を向ける。まさか義理の娘、それも序列最下位の弱小娘に敵意を向けられているとも知らず、ドルトディチェ大公はユークリッドに視線を送る。

「ユークリッド。ぼさっとしてるとほかの男に取られるぞ?」
「……ご冗談を。姉上も馬鹿ではないのですから、いずれは分かるでしょう。どちらが、自分にふさわしい男か」

 ユークリッドの血色の目と視線が交わる。光のない、血で染色された海のような瞳は、ロゼを恐怖の沼に陥れる。
 ただの冗談だろう。ユークリッドとて、本気にしてはいないはず。ドルトディチェ大公の機嫌を損なわないよう、彼に合わせているだけのこと。確かにロゼとユークリッドは実の姉弟ではないし、なんなら婚姻関係を結ぶことは可能だ。だがユークリッドは、ロゼを恋愛対象として見ているわけではない。己が大公の座に座るために必要な糧として見ているだけ。ふたりの間に、育まれる美しい愛は存在しないのだ。それを自覚した途端、ロゼの心が激しく軋む。ロゼは自分の胸を押さえ、眉を顰めた。

「オレも早くダリアに会いてぇな……。ユークリッド、先戻ってるぜ」
「はい、父上」

 ドルトディチェ大公の口から母の名が飛び出たことに動揺したロゼは、高鳴る心臓を落ち着かせる。ドルトディチェ大公は馬を走らせ、去っていった。彼がいなくなるだけで、その場には平和が訪れる。まだユークリッドという強敵が残ってはいるが、ドルトディチェ大公よりかはずっとマシである。
 ユークリッドは華麗かれいに馬から降り、ロゼに近づいた。馬に乗っていた時もそうだが、威圧感が物凄い。彼の全身から滲み出るオーラは、明らかに只者ではなかった。ユークリッドは、ロゼの肩にそっと手を添える。手袋越しにじんわりと浸透しんとうしていく冷たさに、ロゼは若干、萎縮いしゅくする。

「ついこの間、友人となったばかりの男の城に行くなど、一体姉上は何を考えているのでしょうか」
「ユークリッドには関係な、」
「姉上は何も分かっておられない」

 ユークリッドはロゼの肩から手を放す。冷却から開放されたロゼが胸を撫で下ろしたのもつかの間のこと。血を舐めたかのように赤みを帯びた唇が開かれる。吹き荒れる強い風は、ユークリッドの黒髪をもてあそんだ。

「関係ないと突き放されるほど、俺はあなたを知り尽くしたくなる」

 真っ向から放たれた言葉の矢は、物の見事にロゼの心を貫通する。顔にこそ動揺の色は見えていないものの、先程とは別の意味で心臓が激しく動いていた。ロゼは自分の体に起こる不調に無視を決め込み、顔を背ける。しかしユークリッドの表情が気になって、横目で見る。ブラッドレッドの瞳には確かな光が宿っており、いつも死んでいる面様おもようはどこか柔らかい。人間味を感じる彼の顔に、ロゼは生唾を飲み込んだ。

「ご帰還をお待ちしています」

 ユークリッドはそう言ってロゼに頭を下げると、愛馬である黒毛の馬を連れて厩舎きゅうしゃに向かっていった。
 ロゼは気を取り直して、フリードリヒの元に向かおうと馬車に乗り込む。ただ、今日は当初の予定よりも少しだけ早く帰ってあげようと思うのであった。
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