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本編

第10話 飛び下りた先

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 舞踏会の間を抜け出したロゼは、ユークリッドに引きられる形で歩いていた。ロゼの意志を最大限尊重そんちょうしてくれるのかと思いきや、急に強引な一面を見せる彼に、ロゼは内心戸惑っていた。足取りは速いが、ロゼの腕を掴む手は腫れ物に触れるかのように優しい。ユークリッドのギャップが溢れ出す場面に遭遇そうぐうしたロゼは、少しだけ喜悦を感じていた。
 遠い過去の記憶を取り戻してから、数ヶ月。一回目の人生のロゼが言う「この方」である可能性が高いフリードリヒと出会うことができた。彼と親しくなり、今度こそドルトディチェ大公の蹂躙じゅうりんにより大公家が滅びる未来を阻止して、ドルトディチェ大公を当主の座から退かすことができたらいい。そしてロゼは無事に生き残り、堂々と大公家を出ていくのだ。彼女は、そんな理想の未来を思い描く。
 まずはフリードリヒと親しくならなければならない。そうロゼが結論づけた時、ユークリッドの足が止まる。前方不注意であったロゼは思わず彼の背に顔をぶつけてしまった。

「申し訳ございません。お怪我は?」
「……ないです。こちらこそ、ごめんなさい」
「……到着しました。俺はここで待っています」

 ユークリッドの視線の先には、清楚な花々が描かれた扉があった。お手洗いだ。

「少し長くなるかもしれませんが、お待ちください」

 ロゼはそう言って、個室に入る。ひとり用とは思えない広々とした空間は、微塵みじんも落ち着きを感じさせない。
 ロゼは個室を見渡し、お目当てのものを発見する。彼女が発見したのは、窓だ。白いカーテンを捲り、解錠して、窓をそっと開ける。飛び込んできたのは、穏やかな風。体を乗り出して外を覗くと、地面はかなり遠い位置にある。三階ほどの高さだろうか。一介いっかいの令嬢が飛び下りて無事でいられる高さではない。だがロゼには、怪我を治癒することのできる特殊な力が備わっている。言うなれば、死ななければどうにかなるのだ。
 ロゼは、意を決してヒールを脱ぎ、それを手に持つ。ドレスの影響で動きにくいが、なんとか窓の桟に這い上がった。風が肌を撫でる中、ロゼはあえて下を見ず、前を向く。跳ね上がる心臓を落ち着かせるため、大きく息を吸った。

「……ロゼ嬢っ?」

 卒然そつぜんと、下から聞こえてきた声。驚いたロゼは、誤って足を滑らしてしまった。叫び声すら出すことができず、死を覚悟する。瞳をギュッと瞑り、全身に力を込めたその時、ポスッと可愛らしい音と共に、体が宙に浮いていることに気がついた。いつまで経っても訪れない激痛に、ロゼはゆっくり目を開ける。癖のついたヴァーミリオンの髪がふわりと風に舞い、夜空よりも美しいタンザナイトの宝石がまたたく。

「メルドレール公爵……」

 三階の高さから落ちたロゼを見事に軽々と受け止め、横抱きにした男は、フリードリヒであった。彼は上を見上げ、ロゼが落ちてきた場所を確認する。

「お怪我はございませんか……?」
「……はい」
「一体なぜ、窓から下りようと?」

 質問攻めをするフリードリヒに、ロゼは素直に答えるか迷う。
 フリードリヒと親しくなりたいがために、まずはユークリッドの目から逃れる必要があった。ひとりになれるお手洗いを利用して、そこから飛び下りたというわけなのだが。
 ロゼは迷ったすえ、フリードリヒの首に両腕を回した。突然積極的になった彼女に、フリードリヒは分かりやすく狼狽うろたえる。顔面国宝とも言えるユークリッドと真っ当に争うことのできる美貌を誇っているのに、女性とのあれこれには慣れていないのか。この顔なら遊び放題だろうに、と失礼なことを考えながら、ロゼは一言放った。


「あなたと仲良くなりたいと思ったからです」


 ふたりの間を駆け抜ける風は、フリードリヒの心をも奪い去っていく。懐かしの甘い芳香ほうこうが鼻を刺激する。
 ロゼが放った言葉の矢は、見事にフリードリヒの心臓を貫通する。戦場であれば確実に命を刈り取られていた場面、フリードリヒは呆気に取られてしまっていた。思考が星空を穿ち、宇宙を飛び回っているようだ。ロゼは彼の返事がないことに違和感を覚えて、小首を傾げる。ようやく現実世界に戻ってきたフリードリヒは、頬を緩めた。

奇遇きぐうですね。僕もそう思って、あなたを探していたところです」

 アジュライトのふたつの宝石が輝く。ロゼは己の美顔に喜色を滲ませる。
 邪魔者はひとりもいない。ふたりだけの世界。永遠に続くかと思われたその時間は、あまりの羞恥しゅうちにより突如顔から火を噴いたフリードリヒによって、終焉を迎えることとなった。
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