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本編

第38話 リディロン公爵との交渉

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「………………」
「………………」
「………………」

 客間には、沈黙が流れる。
 ベネデッタとアトラス、ふたりの正面に座る男性は、この邸宅の主である。
 アルセーヌ・リーズ・リディロン。エルウッド第一皇子の陣営の筆頭、リディロン公爵家の当主。
 ホワイトシルバーの髪は生まれつきなのか、強い癖がついている。キリッとした眉の下では、ラピスラズリ色の瞳が煌めく。とてつもない美丈夫だ。
 ディシュタルト公爵が彼を「蛇のような男」と称していたが、その異名にぴったりだ。性格だけでなく、見た目まで蛇属性とは。ベネデッタは絞め殺されたり丸呑みされないよう、神経を尖らせた。

「先程、執事長から聞きました。ディシュタルト小公爵がこの最高級の客間を貶していた、と」
「あら、嫌ですわ。貶したなんて。私は素敵な部屋とお伝えしたかったのです」

 ベネデッタは紅茶を一口飲む。蛇の強力な毒は含まれていないようだ。
 彼女とリディロン公爵の間に、火花が散る。

「まぁ、良いでしょう。そろそろ本題に入りたいのですが、そちらの男性はいつ出ていってくださるのでしょうか?」

 リディロン公爵はアトラスに問う。露骨ろこつな態度に、アトラスは眉間に皺を寄せた。
 アトラスの生家であるマティルダ公爵家は、ビクトリア第一皇女を支持していた。彼女が亡くなったことにより、マティルダ公爵家はリアス第二皇子を支持する決断を下した。そのため、リディロン公爵家とは依然として敵対関係にあるわけだ。ビクトリア第一皇女が亡くなった機会に、あわよくばマティルダ公爵家を味方につけようと目論んでいたリディロン公爵家が出る幕はなかったわけである。
 敵意を隠そうともしないリディロン公爵に、アトラスが反論しようと口を開きかける。が、それはベネデッタに遮られた。

「そちらの男性とは、一体どなたのことを申し上げているのですか? ここにいるのは我が夫、アトラス・フォン・ディシュタルト小公爵夫君です。いくらリディロン公爵といえど、そちらの男性などと呼んでいいお方ではございません。それに我が夫も立派な招待客。おもてなししてくださいな」

 ベネデッタの静かなる猛攻もうこうに、リディロン公爵は額に汗を滲ませた。ベネデッタに、あのディシュタルト公爵の姿が重なったからだ。

「……失礼いたしました。何卒お許しを、」
「許しましょう」
「………………」

 ベネデッタの上から目線な言葉に、リディロン公爵は怒りを覚える。爆発させまい、と怒りを鎮め、本題に入る。

「この度、ディシュタルト公爵家に招待状を出したのには、理由がございます。先日、我が娘セレスティーヌの誕生パーティーにて、ディシュタルト公爵家のご令嬢であらせられるクローディア嬢にセレスティーヌが暴力を振るわれるという悲惨ひさんな事件が発生いたしました」

 リディロン公爵がディシュタルト公爵家に招待状を送った理由。彼の愛娘であるセレスティーヌが、クローディアに怪我を負わされたからだ。

「パーティーに参加していた貴族たちへの口封じは済んでおります。社交界に広まることはないでしょう。今のところは」

 含みがある言い方だ。
 ディシュタルト公爵家の名誉を揺るがすスキャンダルは、今のところは世に出回らない。だがリディロン公爵は、一歩間違えればすぐにでも広まると脅してきたのだ。やはり、蛇みたいな男である。

「クローディア・フォン・ディシュタルトに代わり、そしてディシュタルト公爵家を代表いたしまして、心からお詫び申し上げます」

 ベネデッタは大人しく頭を下げる。彼女のその姿を見たアトラスは「似合わない」と率直に思った。

「リディロン公爵令嬢に対するクローディア・フォン・ディシュタルトの愚行は、決して許されていい罪ではございません。よって、ディシュタルト公爵より北部スフォルへの無期限の派遣が命じられました」

 リディロン公爵は瞠目する。まさかそこまで重い処罰を与えるとは、思っていなかったのかもしれない。

「リディロン公爵令嬢を脅かす存在は、数日後には皇都から離れますので、ご安心いただければと思いますわ。我がディシュタルト公爵家は、たとえ身内であったとしても、容赦はしない家門ですから」

 ベネデッタは美貌に笑みを湛える。

「なるほど……。さすがはディシュタルト公爵だ。今も昔も情けがない……」

 リディロン公爵は紅茶を飲む。

「ほかにも我々の謝罪の気持ちを示すために、様々な物をご用意しております」

 ベネデッタの合図で、アトラスが書類を差し出す。リディロン公爵はその書類に記された多くのプレゼントを見て、瞳孔どうこうを開きニヤリと笑った。

「あくまでお気持ちですので、受け取っていただけると光栄です」
「もちろんです。謝罪のお気持ち、受け取りましょう」

 リディロン公爵はそう言いながら、書類をテーブルに置く。しかし次の瞬間、彼の纏う空気が変わった。彼は客人の前であるにも拘わらず、堂々と足を組む。

「しかしながら、これだけではまだ不十分ですね」

 リディロン公爵は顎を撫でながら鼻で笑う。図々《ずうずう》しい彼の態度に、ベネデッタではなく、アトラスが苛立ちを覚えた。
 愛娘であるセレスティーヌを傷つけられたのは事実だが、相手はあのディシュタルト公爵家の令嬢クローディアである。個人的に罰することは不可能だ。だが今回、クローディアはディシュタルト公爵家の意向により、北部に派遣され仕事を強制される。しかも無期限だ。それだけでも十二分に重い罪なのに、リディロン公爵は「足りない」と口にしたのだ。その言葉の重みを、果たして彼は理解しているだろうか。
 ベネデッタは、ほくそ笑む。

「春に行われる闘技大会。我々に勝利を与えてください」

 思いのほか大胆だいたんに出た、と感心するベネデッタとは反対に、アトラスは怒りに震える。ベネデッタは今にも立ち上がりそうな彼の手を優しく掴む。

「いいでしょう」

 シレッと了承したベネデッタに、リディロン公爵は得体えたいの知れない恐怖を覚え、念のためと契約書の準備を提示したのであった。
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