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第173話 ずっと

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「ヴィルヘルム!」

 愛する人の名を呼び、駆け出す。瞠目するヴィルヘルムに必死に手を伸ばし、彼の腕の中に飛び込んだ。身を守るための結界と、悲劇の呪術師が放った呪術がぶつかり合う音が反響する。次の瞬間、アリアリーナの背中から腹部にかけて、何かが貫通した。
 衝撃が、走る。
 全身に激痛が広がる。
 アリアリーナはヴィルヘルムに寄りかかった。

「アリア、リーナ……」

 ヴィルヘルムが名を呼びながら、アリアリーナを支える。彼女の腹部から大量の血が流れていることに気がついたヴィルヘルムは、彼女をそっとその場に横たえた。

「どうして……」

 ヴィルヘルムは未だ、目の前で起こっている現実が受け入れられないのか、呆然としている。アリアリーナは、そんな彼の手をなけなしの力で握った。全身が冷えていく感覚がして、命の灯火が薄れていくのを感じる。

(こんな形で、死ぬことに、なるなんて……)

 自分の命があと数分もないことを理解した。
 死とは、突然訪れるものである。いつ死んでもおかしくないと分かっていても、その瞬間が来るまで、死を最も間近に感じることはない。

「愛する人を殺さなければ自らが死ぬ。あなたにその呪いをかけたのは私だけど……愛する人に抱かれて死ねるなんて、羨ましいわね」

 悲劇の呪術師は、髪を掻き毟りながら冷たく吐き捨てた。

「どういう、ことだ……」
「あら? 愛する人には言ってなかったの? 私はアリアリーナにね、愛する人を殺さなければ自分が死ぬという呪いをかけたのよ。だからアリアリーナは今ここで死ぬの。あなたを殺せなかったから」

 狂ったように笑う悲劇の呪術師に、ヴィルヘルムが殺気をあらわにする。今すぐにでも彼女に襲いかかろうとするヴィルヘルムの手をさらに強く握った。

「ヴィル、ヘルム……。これは私が、選んだ道よ。だから、あなたは……気にしないで……」

 か細い声でヴィルヘルムに伝える。ブルーダイヤモンド色の眼から、雨のように降り注ぐ涙。アリアリーナは、彼の涙を拭うことができないもどかしさを覚える。彼の頬に手を伸ばしたいのに、その力がもう残されてはいないみたいだ。
 愛する人を殺さなければ自らが死ぬ。その呪いが生み出す結末を享受したのは、アリアリーナ自身。ヴィルヘルムを殺すくらいなら自分が死んだほうがいい。本気でそう思ったし、今でもその思いは変わらない。
 最悪の一生を歩んだ一回目の人生と比べれば、二回目の人生は幸せだった。平穏な日常を感じるには短すぎたがその中でも、ヴィルヘルムに愛され、そして彼を再び愛することを決めた。彼との一生を歩むことはできないが、それはまた、次の機会に取っておこうか。

『ツィンクラウン帝国を出て、どこか遠い地に逃げましょう。一から全てを築いて、平凡な暮らしをしましょう』
『アリアリーナが不幸になった分、俺が幸せにして見せます。全てのしがらみから逃れられた暁には……取ってください。迷いなく。俺の手を』

 これまでの出来事が走馬灯のように蘇る。その中で、ヴィルヘルムの言葉を思い出した。
 しがらみから逃れられないが故、もう間もなく呼吸を止めるが、最期の瞬間はヴィルヘルムの手を握っていたい――。

「どうして、どうして……そんな大事なことっ……!」

 打ち明けていたら、アンゼルムと同じように、自分を殺せと言ったはずだから。アリアリーナはヴィルヘルムを殺してまで、生きたくはないと思ってしまった。
 死が徐々に近づいてくる。ヴィルヘルムの手をギュッと握り、その恐怖に堪える。あとは命の灯火が消えたと同時に、悲劇の呪術師にかけた呪術が正常に発動することを祈るだけ。こめかみを撃ち抜かれて死ぬかは不明だが、致命傷を与えることはできる、もしくは一瞬の隙を生むことができるはずだ。そのうちに、捕らえれば問題ない。

「アリアリーナ……!」

 シルヴィリーナが駆け寄ってくる。彼女の後ろには皇帝とアデリンの姿も。アリアリーナは霞みゆく視界の中で、いつの間に自分が惜しまれて死ぬような人間になったのかと思案した。

「逝かないで、ください……アリアリーナ……」

 ヴィルヘルムに縋られる。死なないでほしいという彼の願いとは裏腹に、アリアリーナの命の灯火は小さくなっていく。

(ごめんね、ヴィルヘルム……)


「愛してる」


 一度目の人生から、ずっと。
 あなただけを想っている。
 溢れんばかりの愛を告げたアリアリーナは、そっと目を瞑る。そして、漆黒に染まる世界に、自ら進んでいったのであった。
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