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第150話 屑な自分を殺したい

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 夢から意識が浮上する。重たい瞼を押し上げ、霞む視界を徐々に鮮明にしていく。瞬きを繰り返しながら体を起こした。カーテンの隙間から入り込む光の眩さから、謎の眠りについてまだそんなに時間は経っていない。
 ズキンズキン、と痛む頭に手を添えて、窓際にいたはずのエナヴェリーナを視界に入れる。

「エナヴェリーナ、お姉様?」

 震える声でエナヴェリーナを呼んだ。彼女は胸元から大量の血を流して、倒れていた。惨憺たる光景を目の当たりにしたアリアリーナは、立ち上がり駆け出す。途中、足が縺れて派手に転んでしまった。

「お姉様……」

 アリアリーナは再び立ち上がり、窓際で横たわるエナヴェリーナのもとに向かう。ヒューヒューと聞こえる呼吸音。まだ若干だが、息はある。

「アリ、ア……」
「お姉様、」
「ごめん、ね」

 か細い声で謝る。血を吐いたのか、口元は血で濡れてしまっている。アリアリーナはエナヴェリーナの頬にそっと手を添えた。皇帝譲りのファイアーオパール色の瞳は、美しく澄んでいた。

「おかしい、な。あなたに酷いことを言うつもりなんて、なかったのに……。いつの間にか、自分で自分を制御できなくなって……それで、あなたと、ヴィルヘルム様に迷惑を、かけてしまったわ……」

 ルイドの言う通り、エナヴェリーナは黒幕に傀儡として操られていたのか。単純に騙されていただけなのか、それとも黒幕に他者を操る力があるのかは分からない。しかし確かに最近のエナヴェリーナは、アリアリーナが知っている彼女とは酷くかけ離れていた。傀儡だった、これまでの愚行は彼女の本意ではなかった、と言われても納得できてしまうくらいに。

「わたしが、わたしでなくなっていたの。こんな、こと、聞いても……あなたからしたら、何を言っているんだって思われるかも、しれない。それでも、本当、なの。わたしは、わたしは……」

 エナヴェリーナの手が伸びてくる。小刻みに震える手を取り、強い力で握った。澄み渡った瞳が煌めき、大粒の涙をこぼした。


「あなたを、大切な、妹だと、思っているわ」


 時間が、停止する。時計の音も、風の音も、人の声も、聞こえない。無音の空間で、アリアリーナは置き去りにされた。
 エナヴェリーナは、花のように美しく優しい人だった。前世でも今世でも、エナヴェリーナはどうしようもない悪女のアリアリーナをひとりの大切な妹として見てくれているほど。前世でヴィルヘルムに愛されたのは、彼と結婚できたのは、必然のことだった。それなのにアリアリーナは、なんの罪もない彼女を恨み、ヴィルヘルムの心や人生までも手に入れた彼女に嫉妬していた。呪いの影響もあったため、負の感情に苛まれるのは致し方ないかもしれないが、それだけでは済ますことができない。

「ごめん、なさい。ごめんなさい……」

 紅涙を絞る。透明の涙は、エナヴェリーナの顔に滴り落ちた。
 皇族を殺さなければ、一族が滅びる。つまりは自らが死ぬという呪いを果たすため、努力し続けた。生き残るためなら仕方ない、呪いをかけられているのだから皇族を手にかけるのも仕方ないのだと、自分に言い聞かせて。
 今世では、アリアリーナは呪いを解くのではなく、放置することを選択した。限られた時間の中で、自分にできることを探して奮闘している。なぜなのか。それは、自身の未来を捨てても、守りたい人ができたから――。
 それが、一度目の自分と二度目の自分の大きな違い。何かを選択することにより、犠牲が払われるのは自然の摂理だ。何を選ぶのか、なんの犠牲を払うのか、そこに意味がある。

 自分が生きる道を選び、解呪するため努力すること、ヴィルヘルムとの未来を夢描いたのと引き換えに、エナヴェリーナを殺した。
 そんな一度目の自分とは反対に、今の自分は愛する人たちを守る道を選択し、自分の将来を諦めた。

 何が正しいのか、一概には言えない。
 前世の自分には、他者を思いやる心、愛する人のために命を懸ける覚悟、人間の芯の強さがなかった。
 今世の自分には、他者を殺してでも生き残るという野生の本能がなかった。
 ただ、それだけのこと。

「それだけのことなのに……頭では分かっているのに……今さら後悔したって仕方ないのに……! 前世でお姉様を殺してしまったことが、許せないの……」

 アリアリーナは後悔していた。前世の自分の行いは大罪であったとしても、彼女自身も呪いに翻弄された身。仕方ないとも思っていたし、重たい後悔はしていなかったはず。しかし今ではどうだろうか。
 彼女は死に行くエナヴェリーナの姿を見て、懺悔ざんげしている。
 今、自分の命を捨てて他者を助けるという選択をしている最中だからこそ、前世でそれができなかった自分を恨んでいるのだ。その恨みもほかの人間や過去の自分から見たら、ただの「綺麗事」で終わってしまうのに。
 行き場がなく、どう昇華していいかも分からない感情が胸を埋め尽くしていく。
 その時、エナヴェリーナは莞爾として笑った。
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