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第147話 名前を呼ぶのは反則
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秋の匂いが徐々に濃くなってきた頃。ツィンクラウン帝国第三皇女エナヴェリーナ・イレイン・リゼス・ツィンクラウンは、皇族殺害の件に関わった可能性がある人物として、皇帝の命令により手足を拘束された状態で自室に謹慎させられているらしい。
アンゼルムが未だ目覚めない中、アリアリーナは皇帝の許しを得て、ヴィルヘルムと一緒にエナヴェリーナの宮を訪問していた。彼女自身、直接エナヴェリーナに聞きたいことがあるからだ。
宮の入口にて、凶器となりかねない物は全て没収される。
「この先は、第四皇女殿下おひとりで入っていただく形となります」
検問の役割を担っていた騎士の一言に、場が凍る。アリアリーナとヴィルヘルムが同時に殺気を放ったからだ。ふたりの殺気をもろに食らった騎士は、歯を食いしばりなんとか耐える。
「どういうことだ」
「そ、そのままの意味です。第四皇女殿下おひとりしか、お通しすることができませんっ。現在、第三皇女殿下はかなりの人間不信に陥っている様子でして……一度にふたりもの方、それも第四皇女殿下とグリエンド公爵様に会われるとなると、本格的に精神を病まれてしまう可能性があります! 特に、ここだけの話ですが、グリエンド公爵様に対しては並々ならぬ殺意やらを抱いておられるみたいで……夜な夜な公爵様への愛や怒りを叫んでおられるのだとか……」
騎士の説明を受け、アリアリーナとヴィルヘルムは顔を見合わせた。
エナヴェリーナの精神状態が危うく、特にヴィルヘルムに対して恨みや好意を抱いているため、会ってしまったが最後、冷静に話をすることは叶わないというわけか。きっと、アリアリーナに対しても冷静になれないだろうに。
「到底容認できん。第四皇女殿下をおひとりで向かわせるなど、言語道断だ」
ヴィルヘルムは無表情で、刺々しく言い放つ。エナヴェリーナの体調や精神状態は正直どうでもいい、アリアリーナのことだけが心配だと言いたげな彼を横目に、深呼吸する。
「分かったわ。私ひとりで行きましょう」
「皇女殿下、」
「大丈夫よ、話をするだけだもの。何も起こらないわ。あの子が襲ってきたりしない限りはね」
ヴィルヘルムの手首にそっと触れて、彼の心を落ち着かせる。
ヴィルヘルムが心配するのも無理はない。彼にとって、アリアリーナは〝愛する人〟だ。目に入れても痛くないほど可愛く美しい人だと認識しているし、一生を共にしたいという気持ちもある。いずれは一緒に暮らし、平凡な毎日を過ごして、穏やかな家庭を築きたいという願望まであるのだ。そんな彼女を、皇族暗殺の主犯、もしくはそれに関わっていた恐れのあるエナヴェリーナのもとにひとり向かわせるなど、簡単に受け入れられることではなかった。
表情を顔に出さないものの、不機嫌なオーラを醸し出すヴィルヘルム。アリアリーナは花が綻ぶように笑った。
彼女も、万が一ヴィルヘルムをエナヴェリーナのもとにひとりで行かせなければならないとなったら、複雑な心境に陥るはずだ。ヴィルヘルムを、愛しているのだから。
「あなたの気持ちも分かる。私のことが心配で心配で堪らないのでしょう?」
「……分かっていらっしゃるならば、」
「今はその気持ちだけで十分よ」
ヴィルヘルムの頬に手を伸ばし触れ、つるりとした感触を楽しむ。
「ここで待っていてくれる?」
「………………」
「ヴィルヘルム」
名を呼ぶ。
「何かあったら、助けに来てくれればいいから」
頬を撫でると、ヴィルヘルムは生唾を飲み込んだ。そしてアリアリーナの手の甲にそっと手を重ねる。ブルーダイヤモンド色の目は微かに揺れており、長い睫毛も震えている。
「分かり、ました」
どこか不貞腐れた返事に、アリアリーナは口元を緩めた。ヴィルヘルムは彼女よりも年上だが、意外と子供っぽい部分が多くある気がする。またそこが彼女の目には可愛く映ってしまうのだが。
アリアリーナはヴィルヘルムから距離を取ろうとする。しかしなかなか、手を放してくれない。困惑していると、突如手のひらに口付けを落とされた。
「っ……!?」
アリアリーナは愕然とする。何が起こったのかよく分からないまま、手を解放された。
「お気をつけて。……アリアリーナ」
「第四皇女殿下」ではなく、名を直接呼ばれた。アリアリーナの心臓が分かりやすく跳ね上がる。咄嗟に胸元を押さえて、グッと拳を握る。
「え、えぇ。行ってくるわ」
なんとか笑顔を作り、歩き出す。なんとなく歩き方がぎこちないが、ヴィルヘルムにも門番の騎士にもバレませんようにと祈りながら、宮に足を踏み入れたのであった。
アンゼルムが未だ目覚めない中、アリアリーナは皇帝の許しを得て、ヴィルヘルムと一緒にエナヴェリーナの宮を訪問していた。彼女自身、直接エナヴェリーナに聞きたいことがあるからだ。
宮の入口にて、凶器となりかねない物は全て没収される。
「この先は、第四皇女殿下おひとりで入っていただく形となります」
検問の役割を担っていた騎士の一言に、場が凍る。アリアリーナとヴィルヘルムが同時に殺気を放ったからだ。ふたりの殺気をもろに食らった騎士は、歯を食いしばりなんとか耐える。
「どういうことだ」
「そ、そのままの意味です。第四皇女殿下おひとりしか、お通しすることができませんっ。現在、第三皇女殿下はかなりの人間不信に陥っている様子でして……一度にふたりもの方、それも第四皇女殿下とグリエンド公爵様に会われるとなると、本格的に精神を病まれてしまう可能性があります! 特に、ここだけの話ですが、グリエンド公爵様に対しては並々ならぬ殺意やらを抱いておられるみたいで……夜な夜な公爵様への愛や怒りを叫んでおられるのだとか……」
騎士の説明を受け、アリアリーナとヴィルヘルムは顔を見合わせた。
エナヴェリーナの精神状態が危うく、特にヴィルヘルムに対して恨みや好意を抱いているため、会ってしまったが最後、冷静に話をすることは叶わないというわけか。きっと、アリアリーナに対しても冷静になれないだろうに。
「到底容認できん。第四皇女殿下をおひとりで向かわせるなど、言語道断だ」
ヴィルヘルムは無表情で、刺々しく言い放つ。エナヴェリーナの体調や精神状態は正直どうでもいい、アリアリーナのことだけが心配だと言いたげな彼を横目に、深呼吸する。
「分かったわ。私ひとりで行きましょう」
「皇女殿下、」
「大丈夫よ、話をするだけだもの。何も起こらないわ。あの子が襲ってきたりしない限りはね」
ヴィルヘルムの手首にそっと触れて、彼の心を落ち着かせる。
ヴィルヘルムが心配するのも無理はない。彼にとって、アリアリーナは〝愛する人〟だ。目に入れても痛くないほど可愛く美しい人だと認識しているし、一生を共にしたいという気持ちもある。いずれは一緒に暮らし、平凡な毎日を過ごして、穏やかな家庭を築きたいという願望まであるのだ。そんな彼女を、皇族暗殺の主犯、もしくはそれに関わっていた恐れのあるエナヴェリーナのもとにひとり向かわせるなど、簡単に受け入れられることではなかった。
表情を顔に出さないものの、不機嫌なオーラを醸し出すヴィルヘルム。アリアリーナは花が綻ぶように笑った。
彼女も、万が一ヴィルヘルムをエナヴェリーナのもとにひとりで行かせなければならないとなったら、複雑な心境に陥るはずだ。ヴィルヘルムを、愛しているのだから。
「あなたの気持ちも分かる。私のことが心配で心配で堪らないのでしょう?」
「……分かっていらっしゃるならば、」
「今はその気持ちだけで十分よ」
ヴィルヘルムの頬に手を伸ばし触れ、つるりとした感触を楽しむ。
「ここで待っていてくれる?」
「………………」
「ヴィルヘルム」
名を呼ぶ。
「何かあったら、助けに来てくれればいいから」
頬を撫でると、ヴィルヘルムは生唾を飲み込んだ。そしてアリアリーナの手の甲にそっと手を重ねる。ブルーダイヤモンド色の目は微かに揺れており、長い睫毛も震えている。
「分かり、ました」
どこか不貞腐れた返事に、アリアリーナは口元を緩めた。ヴィルヘルムは彼女よりも年上だが、意外と子供っぽい部分が多くある気がする。またそこが彼女の目には可愛く映ってしまうのだが。
アリアリーナはヴィルヘルムから距離を取ろうとする。しかしなかなか、手を放してくれない。困惑していると、突如手のひらに口付けを落とされた。
「っ……!?」
アリアリーナは愕然とする。何が起こったのかよく分からないまま、手を解放された。
「お気をつけて。……アリアリーナ」
「第四皇女殿下」ではなく、名を直接呼ばれた。アリアリーナの心臓が分かりやすく跳ね上がる。咄嗟に胸元を押さえて、グッと拳を握る。
「え、えぇ。行ってくるわ」
なんとか笑顔を作り、歩き出す。なんとなく歩き方がぎこちないが、ヴィルヘルムにも門番の騎士にもバレませんようにと祈りながら、宮に足を踏み入れたのであった。
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