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第142話 共に生きたい
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柔らかな息が額にかかる。擽ったさに眉間を動かしたあと、緩慢に目を開けた。眼前に飛び込んできたのは、飛び退くほどの暴力的な美貌。金糸が重力に従ってサラリと落ちる。寝顔を惜しげもなく晒すヴィルヘルムに、アリアリーナは何度か瞬きをしてこれが夢ではないことを確認した。
「いつの間にか、眠ってしまっていたのね……」
アリアリーナは身を起こそうとする。しかし体が少しも動かないことに気がついた。激しく身動ぎしてみるが、ビクともしない。自身の体がどうなっているのか確認すると、なんとヴィルヘルムに抱きしめられているではないか。彼の腕の力は凄まじく、簡単に抜け出すことはできなさそうだ。
ユーリに殺されそうになっていたアンゼルムを助け出し、彼が無事に目覚めるよう祈っていたはず。その最中に眠ってしまったのだろうが、なぜヴィルヘルムの腕の中にいるのか。
「グリエンド公爵、起きて」
ヴィルヘルムの胸板をバシバシと叩いてみるが、たくましい胸筋に跳ね返されてしまった。効果はないらしい。寝息を立てる彼の頬を優しく抓ったり、憎たらしいくらいにサラサラな髪の毛をいじってみたり、耳を引っ張ってみたり、脇の下を擽ってみたり……様々なことを試したが、一向に起きる気配はない。痺れを切らしたアリアリーナは、ヴィルヘルムの両頬を両手で包み込んだ。柔い頬を引き伸ばしたり押し潰したり、変形させて遊ぶ。
「ふふっ……」
思わず笑いをこぼす。
クライドが亡くなり、アンゼルムも危篤の状態。気が休まらず、泣いている暇や立ち止まっている暇もない。刻一刻と迫る危険の中、ヴィルヘルムだけがいつもと変わらずここにいる。その事実が、奈落の底に落ちたアリアリーナを天へと引き上げてくれるのだ。ヴィルヘルムの存在だけが、道標なのだ。
彼を愛してはいけないと思っていた。解呪のために彼の命を奪うことはできないからほかの人を愛すとのだと、ヴィルヘルムは結局エナヴェリーナと結ばれるのだから好きになっても無駄なだけだと、そう思い込んでいた。しかし、それは違った。結局、アリアリーナはほかの誰にも恋愛感情を抱くことはできなかったし、解呪も諦めた。またヴィルヘルムの中では、エナヴェリーナと結ばれる未来は存在していない。当初思い描いていた未来と真逆の現実が、今ここに存在している。
「不思議なものね。何ひとつ、思い通りにいかないわ」
思い通りにいかないからこそ、人生なのだと思い知らされる。人の一生は計り知れないからこそ、儚く尊いものなのだと――。
二度目の人生を与えられたアリアリーナも、ヴィルヘルムやアンゼルム、レイのために、真の黒幕を白日の下に晒した結果、なんらかの形で儚く散る。老衰であればいいのに、と思うが、アリアリーナの身に鬼畜な呪いをかけた術者がそんな慈悲をかけるとは到底思えない。
(もしかしたら、あなたに殺されるのかしら。そんな最期も、悪くないわね……。私は前世であなたの大事な人、エナヴェリーナお姉様の命を奪ったもの。それこそ、前世のあなたの復讐じゃない)
ヴィルヘルムの頬から手を放し、彼の胸元に顔を埋めそっと呟く。
「ヴィルヘルム。どうせ死ぬなら、あなたの手で死にたい」
これは、本音だ。ヴィルヘルムの手で死ぬことができるなら、どんな最期でも許してしまいそうだ。
「死なせませんが」
唐突に頭上から声が聞こえ、顔を上げる。あまりの距離の近さに、アリアリーナは息を呑む。何かを言う前に口を塞がれ、息ごと食べられてしまった。
「ん、ふ……」
触れ合う唇は熱くて、甘くて、堪らない。もっと、と欲してしまう。
歯列を割られ、舌を差し込まれる。逃げ腰になると、腰を引き寄せられ、退路を塞がれた。舌を絡め取られると、唾液が混じり合う音が脳内に反響する。痺れるくらいに、熱い。
「はっ……んッ、ヴィルヘルム……」
息継ぎの合間にヴィルヘルムの名を呼ぶと、ようやく唇が離れる。ふたりを繋ぐ銀糸がやけにいやらしく見えた。ヴィルヘルムは口元を親指の腹で拭う。
「俺に、最も愛する人を殺せと? そんなこと、絶対にできません。あなたを殺すくらいなら、俺が死にます」
正面から強く抱きしめられる。アリアリーナは大人しくヴィルヘルムの腕の中に収まった。
彼女も、ヴィルヘルムと同じ考えだ。愛するヴィルヘルムを殺すくらいなら、自分が死ぬ。その決意は、何があっても揺らがないだろう。
「ですが、俺は……あなたと一緒に生きたい」
ヴィルヘルムの声は、珍しく震えていた。
「皇族を狙う不届き者を消したあとは……皇女殿下と、一緒に生きたいのです」
その言葉に、アリアリーナは泣きそうになった。
叶うはずのない恋が実る未来を想像する。ヴィルヘルムをいくら愛しても無駄だと思っていたが、決して無駄ではなかったと実感できる未来が果たして来るのだろうか。穢れた呪いを抱える身では無理な話だと分かっている。しかし、アリアリーナも人間だ。奇跡が起こるかもしれないと希望を抱いてしまうのも、無理はないだろう。
(私も、あなたと一緒に生きてみたい)
叶わない未来に思いを馳せ、ひたすらに涙を堪えた。
「いつの間にか、眠ってしまっていたのね……」
アリアリーナは身を起こそうとする。しかし体が少しも動かないことに気がついた。激しく身動ぎしてみるが、ビクともしない。自身の体がどうなっているのか確認すると、なんとヴィルヘルムに抱きしめられているではないか。彼の腕の力は凄まじく、簡単に抜け出すことはできなさそうだ。
ユーリに殺されそうになっていたアンゼルムを助け出し、彼が無事に目覚めるよう祈っていたはず。その最中に眠ってしまったのだろうが、なぜヴィルヘルムの腕の中にいるのか。
「グリエンド公爵、起きて」
ヴィルヘルムの胸板をバシバシと叩いてみるが、たくましい胸筋に跳ね返されてしまった。効果はないらしい。寝息を立てる彼の頬を優しく抓ったり、憎たらしいくらいにサラサラな髪の毛をいじってみたり、耳を引っ張ってみたり、脇の下を擽ってみたり……様々なことを試したが、一向に起きる気配はない。痺れを切らしたアリアリーナは、ヴィルヘルムの両頬を両手で包み込んだ。柔い頬を引き伸ばしたり押し潰したり、変形させて遊ぶ。
「ふふっ……」
思わず笑いをこぼす。
クライドが亡くなり、アンゼルムも危篤の状態。気が休まらず、泣いている暇や立ち止まっている暇もない。刻一刻と迫る危険の中、ヴィルヘルムだけがいつもと変わらずここにいる。その事実が、奈落の底に落ちたアリアリーナを天へと引き上げてくれるのだ。ヴィルヘルムの存在だけが、道標なのだ。
彼を愛してはいけないと思っていた。解呪のために彼の命を奪うことはできないからほかの人を愛すとのだと、ヴィルヘルムは結局エナヴェリーナと結ばれるのだから好きになっても無駄なだけだと、そう思い込んでいた。しかし、それは違った。結局、アリアリーナはほかの誰にも恋愛感情を抱くことはできなかったし、解呪も諦めた。またヴィルヘルムの中では、エナヴェリーナと結ばれる未来は存在していない。当初思い描いていた未来と真逆の現実が、今ここに存在している。
「不思議なものね。何ひとつ、思い通りにいかないわ」
思い通りにいかないからこそ、人生なのだと思い知らされる。人の一生は計り知れないからこそ、儚く尊いものなのだと――。
二度目の人生を与えられたアリアリーナも、ヴィルヘルムやアンゼルム、レイのために、真の黒幕を白日の下に晒した結果、なんらかの形で儚く散る。老衰であればいいのに、と思うが、アリアリーナの身に鬼畜な呪いをかけた術者がそんな慈悲をかけるとは到底思えない。
(もしかしたら、あなたに殺されるのかしら。そんな最期も、悪くないわね……。私は前世であなたの大事な人、エナヴェリーナお姉様の命を奪ったもの。それこそ、前世のあなたの復讐じゃない)
ヴィルヘルムの頬から手を放し、彼の胸元に顔を埋めそっと呟く。
「ヴィルヘルム。どうせ死ぬなら、あなたの手で死にたい」
これは、本音だ。ヴィルヘルムの手で死ぬことができるなら、どんな最期でも許してしまいそうだ。
「死なせませんが」
唐突に頭上から声が聞こえ、顔を上げる。あまりの距離の近さに、アリアリーナは息を呑む。何かを言う前に口を塞がれ、息ごと食べられてしまった。
「ん、ふ……」
触れ合う唇は熱くて、甘くて、堪らない。もっと、と欲してしまう。
歯列を割られ、舌を差し込まれる。逃げ腰になると、腰を引き寄せられ、退路を塞がれた。舌を絡め取られると、唾液が混じり合う音が脳内に反響する。痺れるくらいに、熱い。
「はっ……んッ、ヴィルヘルム……」
息継ぎの合間にヴィルヘルムの名を呼ぶと、ようやく唇が離れる。ふたりを繋ぐ銀糸がやけにいやらしく見えた。ヴィルヘルムは口元を親指の腹で拭う。
「俺に、最も愛する人を殺せと? そんなこと、絶対にできません。あなたを殺すくらいなら、俺が死にます」
正面から強く抱きしめられる。アリアリーナは大人しくヴィルヘルムの腕の中に収まった。
彼女も、ヴィルヘルムと同じ考えだ。愛するヴィルヘルムを殺すくらいなら、自分が死ぬ。その決意は、何があっても揺らがないだろう。
「ですが、俺は……あなたと一緒に生きたい」
ヴィルヘルムの声は、珍しく震えていた。
「皇族を狙う不届き者を消したあとは……皇女殿下と、一緒に生きたいのです」
その言葉に、アリアリーナは泣きそうになった。
叶うはずのない恋が実る未来を想像する。ヴィルヘルムをいくら愛しても無駄だと思っていたが、決して無駄ではなかったと実感できる未来が果たして来るのだろうか。穢れた呪いを抱える身では無理な話だと分かっている。しかし、アリアリーナも人間だ。奇跡が起こるかもしれないと希望を抱いてしまうのも、無理はないだろう。
(私も、あなたと一緒に生きてみたい)
叶わない未来に思いを馳せ、ひたすらに涙を堪えた。
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