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第139話 彼の存在が尊くて
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オークション会場で起こった事件は、遅れて到着したレイと皇帝の部下たちに任せ、アリアリーナはヴィルヘルムと一緒に皇城に帰還した。
「皇女殿下、大丈夫ですか?」
「何が?」
「顔色が、優れないので……」
馬から降りると、ヴィルヘルムに顔色の悪さを指摘される。アリアリーナは自身の頬に手を当てる。どんな顔色をしているか分からないが、頬は酷く冷えていた。
昔馴染みの友人を亡くした。死は、彼の選択であったとはいえ、選択させてしまったのはアリアリーナという存在だ……。
一度目の人生で、クライドとは一切顔を合わせることはなかった。〝愛の聖人〟が前世でも皇族を殺害しようとしていたかは定かではないが、もし前世で彼と会う機会があったなら、今世での彼の結末は何か変わっていたのだろうか。
(全部、後悔しても遅いわね)
アリアリーナは小さく溜息を吐いて、顔を上げる。
「心配させてごめんなさい。でも、私は大丈夫よ」
無理に笑顔を貼り付けて、強がって見せる。演技もずっと上手くなった。きっとヴィルヘルムも騙されてくれるはずだ。そう思いながら彼の顔を見た瞬間、そんな幻想は打ち砕かれる。眉尻を下げ、唇は薄く開き震えている。何より、ブルーダイヤモンド色の双眸は、悲哀に濡れていた。彼を欺くことはできないらしい。
ふたりの間に、風が吹く。雨上がりの匂いに促されるまま、アリアリーナは口を開いた。
「ヴィルヘルム」
気づいたら、愛しい人の名を呼んでいた。
どうせ、ヴィルヘルムを手にかけることは、アリアリーナにはできないし、愛する人を殺さなければ自らが死ぬという呪いは一生解けない。そう、彼女は近いうちに訪れるであろう死を受け入れなければならないのだ。ならばそれまで……死ぬまで、愛しい人に、少しくらい素直になってもいいだろうか。
アリアリーナは一歩、ヴィルヘルムに近寄る。
「たくさん嘘をついて、ごめんなさい。本当は、今にも崩れ落ちそうなくらい、辛いの」
本音を打ち明ける。
今にも転げ落ちてしまいそうなほど、危うい場所に立っているのだ。クライドの死と引き換えに得た有力な情報と黒幕に繋がる組織の滅亡は、アリアリーナにとっては確かに大きな前進だ。しかし、前進するための対価があまりにも大きすぎた。
枯れたはずの涙がまたもこぼれ落ちそうになる。
「私はあと、何を、犠牲にしなきゃいけないのかしら」
そう口にした途端、ヴィルヘルムに抱きしめられる。全身を包み込む温もりが、アリアリーナの冷えた体も心も温めていく。
一度目の人生でほかの皇族から奪った分、二度目の人生で全てを犠牲にしなければならないのだろうか。目の前にいる、アリアリーナを想ってくれているヴィルヘルムも、いずれは犠牲になってしまうのか。
アリアリーナは彼の背中に腕を回し、ギュッと服を掴む。
「ねぇ、ヴィルヘルム。あなたは……いなくならないで」
今にも消え入りそうなか細い声でそう言った。
「俺は、皇女殿下のお傍にいます。絶対に、いなくなったりはしません」
ヴィルヘルムの強い意志が感じられる言葉に、アリアリーナは安堵した。なんの保証もない約束だとしても、壊れかけの心を癒すには十分だった。
「ありがとう」
一言礼を告げて、ヴィルヘルムから離れようとする。しかし彼は、まったく離してくれない。逃れようと藻掻いても逆効果だ。
「あの、グリエンド公爵……?」
「なんでしょうか?」
「もう、離してくれても大丈夫なのだけど……」
「あと、もう少しだけ、このままでもいいですか?」
ヴィルヘルムの切ない声色に、アリアリーナは抵抗を止め再び彼の背中に腕を回した。
ヴィルヘルムに抱きしめられるだけで、挫けそうで辛い心も幾分か和らぐ。彼という存在が、自分の中でどれほど大きいのか。それが身に染みて分かった気がする。前世から今世にかけて、アリアリーナの世界は、ヴィルヘルム一色に染められている。必死に心を偽っても、結局は執着することを止められないし、想うことも止められない。
アリアリーナが呪いによって死に、また生まれ変わったとしても、きっと彼女の中にはヴィルヘルムがいるのだろう。たとえ生まれ変わった世界でヴィルヘルムに再会できなかったとしても、彼と共に生きることが叶わなかったとしても、それでもアリアリーナは彼を想う。魂に、彼の記憶を刻むだろう。
「ヴィルヘルム」
名を呼ぶと、ようやくヴィルヘルムが離れる。視線がかち合い、どちらからともなく顔を近づける。そっと、唇が重なった。
ヴィルヘルムに「飽きた」と宣言して以降、彼に想いを伝えてはいない。いつか伝えられる日が来たら、その時はきちんと言おう――。
「皇女殿下、大丈夫ですか?」
「何が?」
「顔色が、優れないので……」
馬から降りると、ヴィルヘルムに顔色の悪さを指摘される。アリアリーナは自身の頬に手を当てる。どんな顔色をしているか分からないが、頬は酷く冷えていた。
昔馴染みの友人を亡くした。死は、彼の選択であったとはいえ、選択させてしまったのはアリアリーナという存在だ……。
一度目の人生で、クライドとは一切顔を合わせることはなかった。〝愛の聖人〟が前世でも皇族を殺害しようとしていたかは定かではないが、もし前世で彼と会う機会があったなら、今世での彼の結末は何か変わっていたのだろうか。
(全部、後悔しても遅いわね)
アリアリーナは小さく溜息を吐いて、顔を上げる。
「心配させてごめんなさい。でも、私は大丈夫よ」
無理に笑顔を貼り付けて、強がって見せる。演技もずっと上手くなった。きっとヴィルヘルムも騙されてくれるはずだ。そう思いながら彼の顔を見た瞬間、そんな幻想は打ち砕かれる。眉尻を下げ、唇は薄く開き震えている。何より、ブルーダイヤモンド色の双眸は、悲哀に濡れていた。彼を欺くことはできないらしい。
ふたりの間に、風が吹く。雨上がりの匂いに促されるまま、アリアリーナは口を開いた。
「ヴィルヘルム」
気づいたら、愛しい人の名を呼んでいた。
どうせ、ヴィルヘルムを手にかけることは、アリアリーナにはできないし、愛する人を殺さなければ自らが死ぬという呪いは一生解けない。そう、彼女は近いうちに訪れるであろう死を受け入れなければならないのだ。ならばそれまで……死ぬまで、愛しい人に、少しくらい素直になってもいいだろうか。
アリアリーナは一歩、ヴィルヘルムに近寄る。
「たくさん嘘をついて、ごめんなさい。本当は、今にも崩れ落ちそうなくらい、辛いの」
本音を打ち明ける。
今にも転げ落ちてしまいそうなほど、危うい場所に立っているのだ。クライドの死と引き換えに得た有力な情報と黒幕に繋がる組織の滅亡は、アリアリーナにとっては確かに大きな前進だ。しかし、前進するための対価があまりにも大きすぎた。
枯れたはずの涙がまたもこぼれ落ちそうになる。
「私はあと、何を、犠牲にしなきゃいけないのかしら」
そう口にした途端、ヴィルヘルムに抱きしめられる。全身を包み込む温もりが、アリアリーナの冷えた体も心も温めていく。
一度目の人生でほかの皇族から奪った分、二度目の人生で全てを犠牲にしなければならないのだろうか。目の前にいる、アリアリーナを想ってくれているヴィルヘルムも、いずれは犠牲になってしまうのか。
アリアリーナは彼の背中に腕を回し、ギュッと服を掴む。
「ねぇ、ヴィルヘルム。あなたは……いなくならないで」
今にも消え入りそうなか細い声でそう言った。
「俺は、皇女殿下のお傍にいます。絶対に、いなくなったりはしません」
ヴィルヘルムの強い意志が感じられる言葉に、アリアリーナは安堵した。なんの保証もない約束だとしても、壊れかけの心を癒すには十分だった。
「ありがとう」
一言礼を告げて、ヴィルヘルムから離れようとする。しかし彼は、まったく離してくれない。逃れようと藻掻いても逆効果だ。
「あの、グリエンド公爵……?」
「なんでしょうか?」
「もう、離してくれても大丈夫なのだけど……」
「あと、もう少しだけ、このままでもいいですか?」
ヴィルヘルムの切ない声色に、アリアリーナは抵抗を止め再び彼の背中に腕を回した。
ヴィルヘルムに抱きしめられるだけで、挫けそうで辛い心も幾分か和らぐ。彼という存在が、自分の中でどれほど大きいのか。それが身に染みて分かった気がする。前世から今世にかけて、アリアリーナの世界は、ヴィルヘルム一色に染められている。必死に心を偽っても、結局は執着することを止められないし、想うことも止められない。
アリアリーナが呪いによって死に、また生まれ変わったとしても、きっと彼女の中にはヴィルヘルムがいるのだろう。たとえ生まれ変わった世界でヴィルヘルムに再会できなかったとしても、彼と共に生きることが叶わなかったとしても、それでもアリアリーナは彼を想う。魂に、彼の記憶を刻むだろう。
「ヴィルヘルム」
名を呼ぶと、ようやくヴィルヘルムが離れる。視線がかち合い、どちらからともなく顔を近づける。そっと、唇が重なった。
ヴィルヘルムに「飽きた」と宣言して以降、彼に想いを伝えてはいない。いつか伝えられる日が来たら、その時はきちんと言おう――。
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