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第127話 あなたを殺すくらいなら
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おもむろに目を開ける。霞んだ視界が、徐々に色づいてくる。同時に、朧気な記憶も鮮明になる。
〝愛の聖人〟の幹部クライドに接触するため、パラディカジノに向かったが、クライドの側近であるエリクと対峙した。結果、アリアリーナはなんとか勝利を収め、城に戻ってきた。焦りから、解呪のためにアンゼルムを手にかけようとしたが、結局殺すことはできなかった。呪術使用による疲労と脇腹の傷、さらには精神的な苦痛の影響により、かなりの時間眠っていた気がする。
愛する人、ヴィルヘルムを殺害できないアリアリーナは、解呪することを諦めた。そして愛する人を守るためには、黒幕を白日の下に晒さなければならない。そのためにはまず、クライドと接触する必要がある。
たった数日で一気に覆ってしまった状況と、全てを受け入れなければならないという心境。心が上手く追いつかないと思いながら、アリアリーナは上体を起こした。
「あら……ゼル……」
ベッド脇に置かれた椅子に座りながら眠っているアンゼルムを発見する。まだ疲労が残る体を無理やり引きずり、彼に近寄る。ふわふわの猫毛を撫でて、そっと頭にキスを落とす。
「やっぱり、あなたには生きていてほしいわ」
アリアリーナはそう呟くと、ベッドから下りる。レイを呼び出そうかと思案した時、ソファーに見慣れない人物が寝転がっていることに気がつく。
「グリエンド公爵?」
ソファーで横たわり規則正しい息を立てて眠っていたのはヴィルヘルムだった。本来、ここにいるはずのない彼を前に、大きく溜息を吐いた。アリアリーナが目を覚まさないという情報を聞きつけて、見舞いのため宮までやって来たのだろう。
アリアリーナはソファーに歩み寄る。絨毯の上に座り込み、ヴィルヘルムの寝顔を注視する。
「ヴィルヘルム」
名を呼んでみる。返事は、ない。
ヴィルヘルムの相貌は、とても美しい。整えられた眉毛に、バターブロンドの髪と同色の長い睫毛。スッと通った鼻筋と……淡く色づいた唇。薄く開いたそこから、寝息が聞こえる。吸い寄せられたアリアリーナは、瞳を閉じて緩慢に唇を近づける。そして、そっと、重ねた。キスと呼ぶには、あまりにも味気ない。それでも、確かに唇は触れ合っていた。ヴィルヘルムに降りかかる災いを、エナヴェリーナからの執着までも、この唇から全て吸い取ってしまいたい。解呪を諦め、死を享受しなければならない今、呪いや殺意、災いがひとつやふたつ増えたところで変わらないから。
アリアリーナは唇を離しながら、目を開ける。
「っ……!」
ブルーダイヤモンド色の瞳と視線がかち合う。
「皇女殿下……」
起きていたのだ、ヴィルヘルムが――。キスをしたことがバレてしまったアリアリーナは、茫然自失となる。ヴィルヘルムは自身の唇に触れたあと、状況を察したのか、顔を真っ赤に染め上げた。
「こ、故意じゃないわ。これは事故みたいなものであって、思わずしてしまったというか、吸い寄せられたというか……抗えなかった、の」
苦しまぎれの言い訳を並べた最後、意気消沈したアリアリーナは俯く。必死に白い寝間着を握りしめた。
「目覚められてよかったです、皇女殿下。いくつか報告があるのですが、今からお伝えしてもよろしいですか?」
キスや言い訳を無視されたと解釈したアリアリーナは、勢いよく顔を上げる。次の瞬間、唇に感じる温もりに目を見張った。眼前に迫るヴィルヘルムの美貌と唇と唇が触れ合う熱に圧倒されてしまう。
「……その前に、キスをしてもいいですか?」
「もう、してるじゃない」
そう言うと、ヴィルヘルムは口角を上げた。頬に添えられる大きな手。その上から自身の手を重ね、三度目のキスを仕掛ける。触れ合うだけではない。深く重なるキスだ。角度を変えながら、互いの唇の味わいを堪能する。熱に浮かされたアリアリーナの目から涙が溢れ落ちた。
どうしようもなく、ヴィルヘルムを愛している。この気持ちを抑え込むことはできないし、完全に捨てることもできない。もう、後戻りはできないところまで来てしまっている。いいや、最初から、後戻りする選択肢など用意されていなかった。彼を愛し尽くす道しか、残されていなかった。
二度目の人生でも、呪いに翻弄されて死にたくはない。もっと、生きてみたい。でもヴィルヘルムを殺したくはない。
(答えは出ていたけど、キスをしてますます分かった……。あなたをこの手で殺すくらいなら、私が死ぬわ)
アリアリーナは薄く口を開き、自ら舌を差し出す。すぐにそれは絡め取られ、深く混じり合う。唾液の甘みと涙の塩っぱさが口の中に広がった。
〝愛の聖人〟の幹部クライドに接触するため、パラディカジノに向かったが、クライドの側近であるエリクと対峙した。結果、アリアリーナはなんとか勝利を収め、城に戻ってきた。焦りから、解呪のためにアンゼルムを手にかけようとしたが、結局殺すことはできなかった。呪術使用による疲労と脇腹の傷、さらには精神的な苦痛の影響により、かなりの時間眠っていた気がする。
愛する人、ヴィルヘルムを殺害できないアリアリーナは、解呪することを諦めた。そして愛する人を守るためには、黒幕を白日の下に晒さなければならない。そのためにはまず、クライドと接触する必要がある。
たった数日で一気に覆ってしまった状況と、全てを受け入れなければならないという心境。心が上手く追いつかないと思いながら、アリアリーナは上体を起こした。
「あら……ゼル……」
ベッド脇に置かれた椅子に座りながら眠っているアンゼルムを発見する。まだ疲労が残る体を無理やり引きずり、彼に近寄る。ふわふわの猫毛を撫でて、そっと頭にキスを落とす。
「やっぱり、あなたには生きていてほしいわ」
アリアリーナはそう呟くと、ベッドから下りる。レイを呼び出そうかと思案した時、ソファーに見慣れない人物が寝転がっていることに気がつく。
「グリエンド公爵?」
ソファーで横たわり規則正しい息を立てて眠っていたのはヴィルヘルムだった。本来、ここにいるはずのない彼を前に、大きく溜息を吐いた。アリアリーナが目を覚まさないという情報を聞きつけて、見舞いのため宮までやって来たのだろう。
アリアリーナはソファーに歩み寄る。絨毯の上に座り込み、ヴィルヘルムの寝顔を注視する。
「ヴィルヘルム」
名を呼んでみる。返事は、ない。
ヴィルヘルムの相貌は、とても美しい。整えられた眉毛に、バターブロンドの髪と同色の長い睫毛。スッと通った鼻筋と……淡く色づいた唇。薄く開いたそこから、寝息が聞こえる。吸い寄せられたアリアリーナは、瞳を閉じて緩慢に唇を近づける。そして、そっと、重ねた。キスと呼ぶには、あまりにも味気ない。それでも、確かに唇は触れ合っていた。ヴィルヘルムに降りかかる災いを、エナヴェリーナからの執着までも、この唇から全て吸い取ってしまいたい。解呪を諦め、死を享受しなければならない今、呪いや殺意、災いがひとつやふたつ増えたところで変わらないから。
アリアリーナは唇を離しながら、目を開ける。
「っ……!」
ブルーダイヤモンド色の瞳と視線がかち合う。
「皇女殿下……」
起きていたのだ、ヴィルヘルムが――。キスをしたことがバレてしまったアリアリーナは、茫然自失となる。ヴィルヘルムは自身の唇に触れたあと、状況を察したのか、顔を真っ赤に染め上げた。
「こ、故意じゃないわ。これは事故みたいなものであって、思わずしてしまったというか、吸い寄せられたというか……抗えなかった、の」
苦しまぎれの言い訳を並べた最後、意気消沈したアリアリーナは俯く。必死に白い寝間着を握りしめた。
「目覚められてよかったです、皇女殿下。いくつか報告があるのですが、今からお伝えしてもよろしいですか?」
キスや言い訳を無視されたと解釈したアリアリーナは、勢いよく顔を上げる。次の瞬間、唇に感じる温もりに目を見張った。眼前に迫るヴィルヘルムの美貌と唇と唇が触れ合う熱に圧倒されてしまう。
「……その前に、キスをしてもいいですか?」
「もう、してるじゃない」
そう言うと、ヴィルヘルムは口角を上げた。頬に添えられる大きな手。その上から自身の手を重ね、三度目のキスを仕掛ける。触れ合うだけではない。深く重なるキスだ。角度を変えながら、互いの唇の味わいを堪能する。熱に浮かされたアリアリーナの目から涙が溢れ落ちた。
どうしようもなく、ヴィルヘルムを愛している。この気持ちを抑え込むことはできないし、完全に捨てることもできない。もう、後戻りはできないところまで来てしまっている。いいや、最初から、後戻りする選択肢など用意されていなかった。彼を愛し尽くす道しか、残されていなかった。
二度目の人生でも、呪いに翻弄されて死にたくはない。もっと、生きてみたい。でもヴィルヘルムを殺したくはない。
(答えは出ていたけど、キスをしてますます分かった……。あなたをこの手で殺すくらいなら、私が死ぬわ)
アリアリーナは薄く口を開き、自ら舌を差し出す。すぐにそれは絡め取られ、深く混じり合う。唾液の甘みと涙の塩っぱさが口の中に広がった。
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