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第125話 全部上手くいくと信じること
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ツィンクラウン皇城の真上には、美しい夜空が広がる。東の空から僅かに太陽の光が顔を覗かせていることから、夜明けも近い。
ツィンクラウン帝国第三皇女エナヴェリーナは、夜と朝の境界線を一心に見つめていた。目の下には色濃い隈がこびりついている。彼女はこうして、一睡もすることなく、空を眺め続けていたのだ。酷い眠気に襲われるのに、まったく眠りにつけない。体は怠く、頭痛も激しい。日に日に、自分が自分でなくなっていくような感覚。否、もうずっと前から、エナヴェリーナは自分というものを見失っていた。
皇族を代表して公務に向かっても、些細なことで苛立って暴れてしまう。帝国の美姫としての名は、既に地に落ち、公務の依頼も舞踏会への招待も何ひとつとして来なくなった。自分を遠ざけようとする人々にも、エナヴェリーナの人が変わったと噂する人々にも、怒りが積もり積もって仕方がないのだ。
清純な心、柔和な雰囲気を感じさせる整った風貌に相まった優しい性格は、どこにいってしまったのだろうか。自分自身が違うナニかに塗り替えられている、そんな感覚に襲われる。過去のアリアリーナ、あらゆる場所、あらゆることに怒り散らかしていた彼女を彷彿とさせる。帝国民からの人気を着実に集め、エナヴェリーナと結婚するはずだったヴィルヘルムからも想われているアリアリーナが、許せない――。
醜い嫉妬心に苛まれたエナヴェリーナは、レースのカーテンを握りしめる。
「お嬢様」
「………………」
「エナヴェリーナお嬢様」
「何? 何回も呼ばないでくれる?」
エナヴェリーナは鬼の形相をして振り返る。
「申し訳ございません……。ただ、お嬢様があまりにも痛々しく見えてしまって、放ってはおけないと思ったのです。少しでも良いですから、眠りましょう」
「眠たいのに眠れないの」
側近の侍女、ハンナにも強く当たってしまう。
そんな感情を抱いては駄目だ、思うまま剥き出しにしては駄目だと、もうひとりのエナヴェリーナが訴えかけてくる。それなのに衝動を抑えられない。
「ねぇ、ハンナ。わたし、幸せになれるよね。ヴィルヘルム様と結ばれる、素敵な未来が待ってるよね?」
空を眺めたまま、問いかける。ハンナから返事はない。エナヴェリーナは瞑目して、頭の中で夢を描いた。想い人であるヴィルヘルムと彼の城で平穏に暮らす夢を。
不器用で無口、なかなか表情を顔に出してくれないが、誰よりも優しくて愛情豊かなヴィルヘルム。そんな彼に愛される、美しいエナヴェリーナ。ふたりの穏やかな結婚生活を包み込んでくれる温かな城の雰囲気。そしてふたりの間に宿る命。そう、エナヴェリーナはヴィルヘルムと共に、世界一幸せな家庭を築くのだ。これこそ、予知夢に違いない。
幸せな夢に浸るエナヴェリーナは、その場に座り込んだ。
「お嬢様は、何も心配しなくて大丈夫ですよ」
ハンナが背後から近寄ってくる。エナヴェリーナのブロンズグレイの長い髪をゆっくりと梳かしてくれる。その手つきが、とてもつもなく優しい。自分の味方はハンナしかいない、と思い込んでしまうほどに。
「ありがとう、ハンナ。ハンナが、解決してくれるの?」
「……もちろんです。私はお嬢様の侍女、お嬢様が最も信頼を寄せる人間ですから」
そっと抱きしめられると、体の怠さが和らいでいく。ハンナの温もりは感じられないが、抱擁の心地良さに酔いしれる。
「早く、ヴィルヘルム様と一緒になりたい。アリアではなく、わたしを選んでほしい。いいえ、きっと彼は、選ぶことになる。お母様も言っていた通り、ヴィルヘルム様は、わたしのもの、だから」
「仰る通りです、お嬢様。全部、全部上手くいきますよ」
ハンナが耳元で囁く。薄らと目を開けると、暁光が入り込んできた。窓に反射するハンナの可愛らしい顔に、不安が緩和されていく。フクシャピンクの目が、美しい赤色に染まった。燦々と光り輝く赤色の瞳を見て、エナヴェリーナは微笑んだ。
「そうね、全部、全部、ぜんぶ……うまく、いく。けいかくどおり、だもの」
「間違っていますよ、お嬢様」
ハンナの手のひらに視界を覆われる。
「計画なんてありません。あるのは、気まぐれと怨みの感情だけですから」
ハンナの高い声が紡ぐ子守唄。エナヴェリーナはようやく眠りに落ちたのであった。
ツィンクラウン帝国第三皇女エナヴェリーナは、夜と朝の境界線を一心に見つめていた。目の下には色濃い隈がこびりついている。彼女はこうして、一睡もすることなく、空を眺め続けていたのだ。酷い眠気に襲われるのに、まったく眠りにつけない。体は怠く、頭痛も激しい。日に日に、自分が自分でなくなっていくような感覚。否、もうずっと前から、エナヴェリーナは自分というものを見失っていた。
皇族を代表して公務に向かっても、些細なことで苛立って暴れてしまう。帝国の美姫としての名は、既に地に落ち、公務の依頼も舞踏会への招待も何ひとつとして来なくなった。自分を遠ざけようとする人々にも、エナヴェリーナの人が変わったと噂する人々にも、怒りが積もり積もって仕方がないのだ。
清純な心、柔和な雰囲気を感じさせる整った風貌に相まった優しい性格は、どこにいってしまったのだろうか。自分自身が違うナニかに塗り替えられている、そんな感覚に襲われる。過去のアリアリーナ、あらゆる場所、あらゆることに怒り散らかしていた彼女を彷彿とさせる。帝国民からの人気を着実に集め、エナヴェリーナと結婚するはずだったヴィルヘルムからも想われているアリアリーナが、許せない――。
醜い嫉妬心に苛まれたエナヴェリーナは、レースのカーテンを握りしめる。
「お嬢様」
「………………」
「エナヴェリーナお嬢様」
「何? 何回も呼ばないでくれる?」
エナヴェリーナは鬼の形相をして振り返る。
「申し訳ございません……。ただ、お嬢様があまりにも痛々しく見えてしまって、放ってはおけないと思ったのです。少しでも良いですから、眠りましょう」
「眠たいのに眠れないの」
側近の侍女、ハンナにも強く当たってしまう。
そんな感情を抱いては駄目だ、思うまま剥き出しにしては駄目だと、もうひとりのエナヴェリーナが訴えかけてくる。それなのに衝動を抑えられない。
「ねぇ、ハンナ。わたし、幸せになれるよね。ヴィルヘルム様と結ばれる、素敵な未来が待ってるよね?」
空を眺めたまま、問いかける。ハンナから返事はない。エナヴェリーナは瞑目して、頭の中で夢を描いた。想い人であるヴィルヘルムと彼の城で平穏に暮らす夢を。
不器用で無口、なかなか表情を顔に出してくれないが、誰よりも優しくて愛情豊かなヴィルヘルム。そんな彼に愛される、美しいエナヴェリーナ。ふたりの穏やかな結婚生活を包み込んでくれる温かな城の雰囲気。そしてふたりの間に宿る命。そう、エナヴェリーナはヴィルヘルムと共に、世界一幸せな家庭を築くのだ。これこそ、予知夢に違いない。
幸せな夢に浸るエナヴェリーナは、その場に座り込んだ。
「お嬢様は、何も心配しなくて大丈夫ですよ」
ハンナが背後から近寄ってくる。エナヴェリーナのブロンズグレイの長い髪をゆっくりと梳かしてくれる。その手つきが、とてもつもなく優しい。自分の味方はハンナしかいない、と思い込んでしまうほどに。
「ありがとう、ハンナ。ハンナが、解決してくれるの?」
「……もちろんです。私はお嬢様の侍女、お嬢様が最も信頼を寄せる人間ですから」
そっと抱きしめられると、体の怠さが和らいでいく。ハンナの温もりは感じられないが、抱擁の心地良さに酔いしれる。
「早く、ヴィルヘルム様と一緒になりたい。アリアではなく、わたしを選んでほしい。いいえ、きっと彼は、選ぶことになる。お母様も言っていた通り、ヴィルヘルム様は、わたしのもの、だから」
「仰る通りです、お嬢様。全部、全部上手くいきますよ」
ハンナが耳元で囁く。薄らと目を開けると、暁光が入り込んできた。窓に反射するハンナの可愛らしい顔に、不安が緩和されていく。フクシャピンクの目が、美しい赤色に染まった。燦々と光り輝く赤色の瞳を見て、エナヴェリーナは微笑んだ。
「そうね、全部、全部、ぜんぶ……うまく、いく。けいかくどおり、だもの」
「間違っていますよ、お嬢様」
ハンナの手のひらに視界を覆われる。
「計画なんてありません。あるのは、気まぐれと怨みの感情だけですから」
ハンナの高い声が紡ぐ子守唄。エナヴェリーナはようやく眠りに落ちたのであった。
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