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第113話 約束は必ず守ること
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後日、アリアリーナとヴィルヘルムは、皇帝に謁見を申し込んだ。
「ふむ……」
目の前に座る皇帝は、瞳を閉じて思案する。
アリアリーナとヴィルヘルムは、皇后からエナヴェリーナとの婚約の話を申し込まれたこと、断った際アリアリーナをダゼロラ公爵であるユーリに嫁がせると脅されたことを報告したのだ。
「グリエンド公爵。皇后とエナヴェリーナが無礼を働いたようだな。すまなかった」
皇帝は椅子から立ち上がり、ヴィルヘルムに頭を下げた。一国の、それも大国と称されるツィンクラウン帝国の主が頭を下げて謝罪するという異常な光景は、アリアリーナの度肝を抜いた。皇帝は恥を忍んで頭を下げてまで、ヴィルヘルムの忠誠心を得たいのだ。皇族に捧げられてきたグリエンド公爵家の忠誠心。それを利用することはあっても、簡単に捨てるほどヴィルヘルムも愚かではない。それは皇帝も分かっている。しかしたとえそうだとしても、皇帝はグリエンド公爵家の、ヴィルヘルムからの心から忠誠心が欲しいのだ。帝国の将来のためにも、少しの蟠りも残しておきたくないのかもしれない。
「頭をお上げください、皇帝陛下」
ヴィルヘルムに催促され、皇帝は面を上げる。彼の面様は、申し訳ないという気持ちに染まっていた。
「公爵が望むのなら、もう二度と、エナヴェリーナとの婚約の話を出さないと誓おう」
皇帝の言葉に、アリアリーナは驚愕する。
皇帝にとってエナヴェリーナは可愛い娘だ。純粋無垢。春に咲く可憐な花のように美しい、言うなれば皇帝の癒しなのだ。そんな彼女が望むのは、ヴィルヘルムとの結婚。愛する娘の望みを、幸せを叶えてあげることは、皇帝の生涯の役目とも言えるだろう。それなのに皇帝は、エナヴェリーナの望みを叶えてあげることよりも、ヴィルヘルムの気持ちを優先したのだ。彼にとっては、苦渋の決断だったはず。背に腹はかえられなかったのだろう。
「陛下。俺は、第三皇女殿下との婚約を望んでいません。今後一切、第三皇女殿下との婚約の話を出さないというお言葉、信じてもよろしいでしょうか?」
「……あぁ、もちろんだ」
皇帝は、有無を言わさないヴィルヘルムのオーラに気圧されながらも首肯した。
どうせヴィルヘルムはエナヴェリーナと結ばれるのだからと思っていたが、そんな未来はたった今、皇帝との約束によって消え去ったのだ。
「皇后とエナヴェリーナに一ヶ月間の謹慎を命じ、グリエンド公爵への接近を禁じよう」
「ありがとうございます」
ヴィルヘルムは一礼する。皇帝の視線は彼からアリアリーナへと移った。
「ダゼロラ公爵に熱烈なプロポーズを受けていることは噂に聞いている。一年もの間、お前がそれを受け入れていないこともな」
「……ご存じでしたか」
アリアリーナは微笑する。その笑みに皇帝が目を見張った。彼の瞳の奥には別の女性が映っている気がしたが、アリアリーナはあえてそれに触れなかった。
しばらくして、皇帝が我に返る。
「一年間、ダゼロラ公爵からの好意を断り続けているということは、今も気持ちは変わっていないな? 我が娘、アリアリーナよ」
アリアリーナは酷く驚いた。父である皇帝に「我が娘」と言われたことに。
いつだってアリアリーナは、皇帝からしたら皇族の名を穢す私生児の皇女でしかなかったはず。ほかの皇子や皇女に虐められていても我関せずだった。彼の中で大切なのは、跡継ぎのシルヴィリーナと、癒しのエナヴェリーナだけ。それなりに大切に想っていた娼婦の子という以外、アリアリーナを特別には感じなかっただろう。しかし、皇帝はアリアリーナを娘と認めた。一度目の人生も含め、一度も認めてくれなかったのに……。
『最近の陛下のご様子を見る限り、陛下は聡明な皇女殿下に関心と期待を寄せておられます』
ヴィルヘルムの言う通り、皇帝は過去とは違うアリアリーナに期待している。利用価値があるかもしれない、と。決して親子愛ではない、利害関係でしかなかったとしても、皇帝に娘と認められたことに変わりはない。長年己の中にあった劣等感がゆっくりと浄化されていく感覚を覚える。
「はい。ダゼロラ公爵との結婚を望まないという気持ちは、変わっておりません」
「……いいだろう。お前とダゼロラ公爵の結婚は認めない。直々に手紙を書こう。ツィンクラウンの君主からの言葉とあらば、ダゼロラ公爵も諦めるはずだ」
アリアリーナは胸を撫で下ろした。
皇帝の中での優先順位は、ダゼロラ公爵よりもグリエンド公爵なのだう。ツィンクラウン皇族に仕えてきた六家の中で最も権力を握っているのは、グリエンド公爵家だから。やはり、ほかの公爵を敵に回したとしても、グリエンド公爵家だけは敵にしたくないのかもしれない。そこでアリアリーナはとある違和感を覚えた。その違和感と同時に、隣のヴィルヘルムが一歩前に出る。
「皇帝陛下。もうひとつだけ、お願いがございます」
「言ってみよ」
「第四皇女殿下との婚や、んぐっ」
アリアリーナはすかさずヴィルヘルムの口を両手で塞いだ。彼の恐ろしい願いが語られずに済んだこと、そして外堀から埋められずに済んだことに心から安堵する。
「皇帝陛下。私たちはこれで失礼しますが……約束は必ず守ってくださいね」
念には念を入れて釘を刺し、ヴィルヘルムを引き摺る形で執務室をあとにした。
「ふむ……」
目の前に座る皇帝は、瞳を閉じて思案する。
アリアリーナとヴィルヘルムは、皇后からエナヴェリーナとの婚約の話を申し込まれたこと、断った際アリアリーナをダゼロラ公爵であるユーリに嫁がせると脅されたことを報告したのだ。
「グリエンド公爵。皇后とエナヴェリーナが無礼を働いたようだな。すまなかった」
皇帝は椅子から立ち上がり、ヴィルヘルムに頭を下げた。一国の、それも大国と称されるツィンクラウン帝国の主が頭を下げて謝罪するという異常な光景は、アリアリーナの度肝を抜いた。皇帝は恥を忍んで頭を下げてまで、ヴィルヘルムの忠誠心を得たいのだ。皇族に捧げられてきたグリエンド公爵家の忠誠心。それを利用することはあっても、簡単に捨てるほどヴィルヘルムも愚かではない。それは皇帝も分かっている。しかしたとえそうだとしても、皇帝はグリエンド公爵家の、ヴィルヘルムからの心から忠誠心が欲しいのだ。帝国の将来のためにも、少しの蟠りも残しておきたくないのかもしれない。
「頭をお上げください、皇帝陛下」
ヴィルヘルムに催促され、皇帝は面を上げる。彼の面様は、申し訳ないという気持ちに染まっていた。
「公爵が望むのなら、もう二度と、エナヴェリーナとの婚約の話を出さないと誓おう」
皇帝の言葉に、アリアリーナは驚愕する。
皇帝にとってエナヴェリーナは可愛い娘だ。純粋無垢。春に咲く可憐な花のように美しい、言うなれば皇帝の癒しなのだ。そんな彼女が望むのは、ヴィルヘルムとの結婚。愛する娘の望みを、幸せを叶えてあげることは、皇帝の生涯の役目とも言えるだろう。それなのに皇帝は、エナヴェリーナの望みを叶えてあげることよりも、ヴィルヘルムの気持ちを優先したのだ。彼にとっては、苦渋の決断だったはず。背に腹はかえられなかったのだろう。
「陛下。俺は、第三皇女殿下との婚約を望んでいません。今後一切、第三皇女殿下との婚約の話を出さないというお言葉、信じてもよろしいでしょうか?」
「……あぁ、もちろんだ」
皇帝は、有無を言わさないヴィルヘルムのオーラに気圧されながらも首肯した。
どうせヴィルヘルムはエナヴェリーナと結ばれるのだからと思っていたが、そんな未来はたった今、皇帝との約束によって消え去ったのだ。
「皇后とエナヴェリーナに一ヶ月間の謹慎を命じ、グリエンド公爵への接近を禁じよう」
「ありがとうございます」
ヴィルヘルムは一礼する。皇帝の視線は彼からアリアリーナへと移った。
「ダゼロラ公爵に熱烈なプロポーズを受けていることは噂に聞いている。一年もの間、お前がそれを受け入れていないこともな」
「……ご存じでしたか」
アリアリーナは微笑する。その笑みに皇帝が目を見張った。彼の瞳の奥には別の女性が映っている気がしたが、アリアリーナはあえてそれに触れなかった。
しばらくして、皇帝が我に返る。
「一年間、ダゼロラ公爵からの好意を断り続けているということは、今も気持ちは変わっていないな? 我が娘、アリアリーナよ」
アリアリーナは酷く驚いた。父である皇帝に「我が娘」と言われたことに。
いつだってアリアリーナは、皇帝からしたら皇族の名を穢す私生児の皇女でしかなかったはず。ほかの皇子や皇女に虐められていても我関せずだった。彼の中で大切なのは、跡継ぎのシルヴィリーナと、癒しのエナヴェリーナだけ。それなりに大切に想っていた娼婦の子という以外、アリアリーナを特別には感じなかっただろう。しかし、皇帝はアリアリーナを娘と認めた。一度目の人生も含め、一度も認めてくれなかったのに……。
『最近の陛下のご様子を見る限り、陛下は聡明な皇女殿下に関心と期待を寄せておられます』
ヴィルヘルムの言う通り、皇帝は過去とは違うアリアリーナに期待している。利用価値があるかもしれない、と。決して親子愛ではない、利害関係でしかなかったとしても、皇帝に娘と認められたことに変わりはない。長年己の中にあった劣等感がゆっくりと浄化されていく感覚を覚える。
「はい。ダゼロラ公爵との結婚を望まないという気持ちは、変わっておりません」
「……いいだろう。お前とダゼロラ公爵の結婚は認めない。直々に手紙を書こう。ツィンクラウンの君主からの言葉とあらば、ダゼロラ公爵も諦めるはずだ」
アリアリーナは胸を撫で下ろした。
皇帝の中での優先順位は、ダゼロラ公爵よりもグリエンド公爵なのだう。ツィンクラウン皇族に仕えてきた六家の中で最も権力を握っているのは、グリエンド公爵家だから。やはり、ほかの公爵を敵に回したとしても、グリエンド公爵家だけは敵にしたくないのかもしれない。そこでアリアリーナはとある違和感を覚えた。その違和感と同時に、隣のヴィルヘルムが一歩前に出る。
「皇帝陛下。もうひとつだけ、お願いがございます」
「言ってみよ」
「第四皇女殿下との婚や、んぐっ」
アリアリーナはすかさずヴィルヘルムの口を両手で塞いだ。彼の恐ろしい願いが語られずに済んだこと、そして外堀から埋められずに済んだことに心から安堵する。
「皇帝陛下。私たちはこれで失礼しますが……約束は必ず守ってくださいね」
念には念を入れて釘を刺し、ヴィルヘルムを引き摺る形で執務室をあとにした。
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