110 / 185
第110話 アウトなあなたと夢を見る
しおりを挟む
春驟雨。雨粒に濡れた窓を見つめ、憂鬱な気分に浸っていた。ベッドで眠るアンゼルムの天使顔負けの寝顔を横目で見る。薄く開いた唇から漏れる吐息の音は、雨音によって掻き消されていた。
アリアリーナは嘆息して、外を眺める。曇ってしまっている窓を手で擦り、ふと下を見遣ると――。
「えっ……」
ここにはいないはずの人物が立っているではないか。アリアリーナは見間違いかと思いながら目を擦り、もう一度下を見る。見間違いではなかった。そこにいるのは、ヴィルヘルムだった。雨の中、呆然と立ち尽くす彼を注視する。なぜ宮の敷地に無断で入ってきているのかも分からなが、ついに越えてはいけない一線、ストーカー行為をし始めたのだろうか。前世の自分、そして過去の自分がやっていた行いを、彼がしているとは。やはり未来は何が起こるか分からない。
「……まったく。健気なわんちゃんみたいに待たれたら、放っておけないでしょ、バカ」
アリアリーナは悪態を突くと、アンゼルムの額にキスをしてから部屋を出る。いつもの道とは違う近道を使い、最短ルートでヴィルヘルムのもとまで向かった。
雨が降り注ぐ。濡れることも気にせず、躊躇なく雨の中へと飛び込んだ。
「グリエンド公爵」
後ろからヴィルヘルムを呼ぶと、彼は緩慢に振り返る。何度か瞬きを繰り返して、アリアリーナの姿を確認した。
「雨に打たれて感傷に浸ってるの?」
嫌味ったらしく問いかける。先程までアリアリーナも雨を見て憂鬱な気分に陥っていたくせに、これではヴィルヘルムを馬鹿にはできないだろう。
「第四皇女殿下……。どうしてここに……」
「それは私の台詞なんだけど。ここは私の宮よ。勝手に入るなんて、無礼以外の何ものでもないわ」
「……申し訳ございません。どうしても皇女殿下にお会いしたくて宮の周囲を歩いていたら……偶然にも隠し扉を見つけたので……」
「そこから侵入したのね。ストーカーじゃない」
「………………」
ストーカーだと断言する。ヴィルヘルムは否定できないのか、黙ってしまった。
会いたいがあまり、雨の中傘もささずに、宮の周囲を徘徊して勝手に侵入したなど。さすがのアリアリーナもやったことがない。……白状するなら、やったことがないだけで、やろうとした記憶はあるが。
今日の自分はまったく人のことを言えない、と落胆していると、目の前に影がかかる。ジャケットがふわりと頭にかけられた。
「濡れてしまいます」
「……あなたこそ、もうずぶ濡れよ」
アリアリーナはそう言うと、ヴィルヘルムの腕を引っ張り宮の中へ入る。
「私もあなたも、まずは体を温めることが最優先ね」
溜息を吐きながら、たまたま通りがかった侍女たちを呼び止めて、湯張りの指示を出したのであった。
皇女専用の浴室にて、アリアリーナは黄金で彩られた浴槽に浸かっていた。湯加減はちょうど良い。冷えてしまった足先からじんわりと温まっていく感覚は、彼女を夢の世界へと誘う。
「会いたいからって……わざわざ会いに来る? しかもちょっと気まずくなっちゃってるのに? あのグリエンド公爵が? 片思いしてた私もアウトなことしてたけど、公爵も完全アウトよね?」
独り言を呟く。
ヴィルヘルムは、良い意味でも悪い意味でも正直すぎる。己の正義、常識に従って行動しているのだ。時に、その正義や常識がアリアリーナからしたら理解できないこともあるが。
『どうしても皇女殿下にお会いしたくて』
恥ずかしいことをさらっと言ってのけるヴィルヘルムが心底恐ろしい。アリアリーナを慕っていると、愛していると言ったのは、やはり本当なのだろう。
ヴィルヘルムのために、恋心を諦めなければならないと思っていた。彼と共に在ることができなくても、彼が幸せに生きてくれればいいと考えていた。死んでしまえば元も子もないから、どこかで生きてさえいてくれればいいとも。たとえ、ヴィルヘルムの生き様を見守ることができなくても、彼が「生きている」という証があるだけで、アリアリーナもこの先平穏に過ごせる気がするのだ。
しかし、ヴィルヘルムに好かれていると知った今、彼の中にある愛の深淵を覗いている気分にある今、せっかくの決意も思いも、揺らいでしまう……。アリアリーナのような悪女には、ヴィルヘルムと共になる未来は用意されていないにも拘わらず、夢見てしまう。
「あなたと結ばれる権利は、私にはないけど……夢見るくらいは、許してほしいものね」
浴槽にもたれかかりながら、天井を仰いでそう言った。
決意が揺らぐ前に、アンゼルムを手にかけないとならない。身に降りかかる様々な困難に背を向けて逃げ出したいと、心の底から思った。
アリアリーナは嘆息して、外を眺める。曇ってしまっている窓を手で擦り、ふと下を見遣ると――。
「えっ……」
ここにはいないはずの人物が立っているではないか。アリアリーナは見間違いかと思いながら目を擦り、もう一度下を見る。見間違いではなかった。そこにいるのは、ヴィルヘルムだった。雨の中、呆然と立ち尽くす彼を注視する。なぜ宮の敷地に無断で入ってきているのかも分からなが、ついに越えてはいけない一線、ストーカー行為をし始めたのだろうか。前世の自分、そして過去の自分がやっていた行いを、彼がしているとは。やはり未来は何が起こるか分からない。
「……まったく。健気なわんちゃんみたいに待たれたら、放っておけないでしょ、バカ」
アリアリーナは悪態を突くと、アンゼルムの額にキスをしてから部屋を出る。いつもの道とは違う近道を使い、最短ルートでヴィルヘルムのもとまで向かった。
雨が降り注ぐ。濡れることも気にせず、躊躇なく雨の中へと飛び込んだ。
「グリエンド公爵」
後ろからヴィルヘルムを呼ぶと、彼は緩慢に振り返る。何度か瞬きを繰り返して、アリアリーナの姿を確認した。
「雨に打たれて感傷に浸ってるの?」
嫌味ったらしく問いかける。先程までアリアリーナも雨を見て憂鬱な気分に陥っていたくせに、これではヴィルヘルムを馬鹿にはできないだろう。
「第四皇女殿下……。どうしてここに……」
「それは私の台詞なんだけど。ここは私の宮よ。勝手に入るなんて、無礼以外の何ものでもないわ」
「……申し訳ございません。どうしても皇女殿下にお会いしたくて宮の周囲を歩いていたら……偶然にも隠し扉を見つけたので……」
「そこから侵入したのね。ストーカーじゃない」
「………………」
ストーカーだと断言する。ヴィルヘルムは否定できないのか、黙ってしまった。
会いたいがあまり、雨の中傘もささずに、宮の周囲を徘徊して勝手に侵入したなど。さすがのアリアリーナもやったことがない。……白状するなら、やったことがないだけで、やろうとした記憶はあるが。
今日の自分はまったく人のことを言えない、と落胆していると、目の前に影がかかる。ジャケットがふわりと頭にかけられた。
「濡れてしまいます」
「……あなたこそ、もうずぶ濡れよ」
アリアリーナはそう言うと、ヴィルヘルムの腕を引っ張り宮の中へ入る。
「私もあなたも、まずは体を温めることが最優先ね」
溜息を吐きながら、たまたま通りがかった侍女たちを呼び止めて、湯張りの指示を出したのであった。
皇女専用の浴室にて、アリアリーナは黄金で彩られた浴槽に浸かっていた。湯加減はちょうど良い。冷えてしまった足先からじんわりと温まっていく感覚は、彼女を夢の世界へと誘う。
「会いたいからって……わざわざ会いに来る? しかもちょっと気まずくなっちゃってるのに? あのグリエンド公爵が? 片思いしてた私もアウトなことしてたけど、公爵も完全アウトよね?」
独り言を呟く。
ヴィルヘルムは、良い意味でも悪い意味でも正直すぎる。己の正義、常識に従って行動しているのだ。時に、その正義や常識がアリアリーナからしたら理解できないこともあるが。
『どうしても皇女殿下にお会いしたくて』
恥ずかしいことをさらっと言ってのけるヴィルヘルムが心底恐ろしい。アリアリーナを慕っていると、愛していると言ったのは、やはり本当なのだろう。
ヴィルヘルムのために、恋心を諦めなければならないと思っていた。彼と共に在ることができなくても、彼が幸せに生きてくれればいいと考えていた。死んでしまえば元も子もないから、どこかで生きてさえいてくれればいいとも。たとえ、ヴィルヘルムの生き様を見守ることができなくても、彼が「生きている」という証があるだけで、アリアリーナもこの先平穏に過ごせる気がするのだ。
しかし、ヴィルヘルムに好かれていると知った今、彼の中にある愛の深淵を覗いている気分にある今、せっかくの決意も思いも、揺らいでしまう……。アリアリーナのような悪女には、ヴィルヘルムと共になる未来は用意されていないにも拘わらず、夢見てしまう。
「あなたと結ばれる権利は、私にはないけど……夢見るくらいは、許してほしいものね」
浴槽にもたれかかりながら、天井を仰いでそう言った。
決意が揺らぐ前に、アンゼルムを手にかけないとならない。身に降りかかる様々な困難に背を向けて逃げ出したいと、心の底から思った。
21
お気に入りに追加
304
あなたにおすすめの小説
忘却令嬢〜そう言われましても記憶にございません〜【完】
雪乃
恋愛
ほんの一瞬、躊躇ってしまった手。
誰よりも愛していた彼女なのに傷付けてしまった。
ずっと傷付けていると理解っていたのに、振り払ってしまった。
彼女は深い碧色に絶望を映しながら微笑んだ。
※読んでくださりありがとうございます。
ゆるふわ設定です。タグをころころ変えてます。何でも許せる方向け。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
ある公爵令嬢の生涯
ユウ
恋愛
伯爵令嬢のエステルには妹がいた。
妖精姫と呼ばれ両親からも愛され周りからも無条件に愛される。
婚約者までも妹に奪われ婚約者を譲るように言われてしまう。
そして最後には妹を陥れようとした罪で断罪されてしまうが…
気づくとエステルに転生していた。
再び前世繰り返すことになると思いきや。
エステルは家族を見限り自立を決意するのだが…
***
タイトルを変更しました!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!
gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ?
王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。
国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから!
12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。
三度目の嘘つき
豆狸
恋愛
「……本当に良かったのかい、エカテリナ。こんな嘘をついて……」
「……いいのよ。私に新しい相手が出来れば、周囲も殿下と男爵令嬢の仲を認めずにはいられなくなるわ」
なろう様でも公開中ですが、少し構成が違います。内容は同じです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる