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第110話 アウトなあなたと夢を見る

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 春驟雨はるしゅうう。雨粒に濡れた窓を見つめ、憂鬱ゆううつな気分に浸っていた。ベッドで眠るアンゼルムの天使顔負けの寝顔を横目で見る。薄く開いた唇から漏れる吐息の音は、雨音によって掻き消されていた。
 アリアリーナは嘆息して、外を眺める。曇ってしまっている窓を手で擦り、ふと下を見遣ると――。

「えっ……」

 ここにはいないはずの人物が立っているではないか。アリアリーナは見間違いかと思いながら目を擦り、もう一度下を見る。見間違いではなかった。そこにいるのは、ヴィルヘルムだった。雨の中、呆然と立ち尽くす彼を注視する。なぜ宮の敷地に無断で入ってきているのかも分からなが、ついに越えてはいけない一線、ストーカー行為をし始めたのだろうか。前世の自分、そして過去の自分がやっていた行いを、彼がしているとは。やはり未来は何が起こるか分からない。

「……まったく。健気なわんちゃんみたいに待たれたら、放っておけないでしょ、バカ」

 アリアリーナは悪態を突くと、アンゼルムの額にキスをしてから部屋を出る。いつもの道とは違う近道を使い、最短ルートでヴィルヘルムのもとまで向かった。
 雨が降り注ぐ。濡れることも気にせず、躊躇なく雨の中へと飛び込んだ。

「グリエンド公爵」

 後ろからヴィルヘルムを呼ぶと、彼は緩慢に振り返る。何度か瞬きを繰り返して、アリアリーナの姿を確認した。

「雨に打たれて感傷に浸ってるの?」

 嫌味ったらしく問いかける。先程までアリアリーナも雨を見て憂鬱な気分に陥っていたくせに、これではヴィルヘルムを馬鹿にはできないだろう。

「第四皇女殿下……。どうしてここに……」
「それは私の台詞なんだけど。ここは私の宮よ。勝手に入るなんて、無礼以外の何ものでもないわ」
「……申し訳ございません。どうしても皇女殿下にお会いしたくて宮の周囲を歩いていたら……偶然にも隠し扉を見つけたので……」
「そこから侵入したのね。ストーカーじゃない」
「………………」

 ストーカーだと断言する。ヴィルヘルムは否定できないのか、黙ってしまった。
 会いたいがあまり、雨の中傘もささずに、宮の周囲を徘徊して勝手に侵入したなど。さすがのアリアリーナもやったことがない。……白状するなら、やったことがないだけで、やろうとした記憶はあるが。
 今日の自分はまったく人のことを言えない、と落胆していると、目の前に影がかかる。ジャケットがふわりと頭にかけられた。

「濡れてしまいます」
「……あなたこそ、もうずぶ濡れよ」

 アリアリーナはそう言うと、ヴィルヘルムの腕を引っ張り宮の中へ入る。

「私もあなたも、まずは体を温めることが最優先ね」

 溜息を吐きながら、たまたま通りがかった侍女たちを呼び止めて、湯張りの指示を出したのであった。



 皇女専用の浴室にて、アリアリーナは黄金で彩られた浴槽に浸かっていた。湯加減はちょうど良い。冷えてしまった足先からじんわりと温まっていく感覚は、彼女を夢の世界へと誘う。

「会いたいからって……わざわざ会いに来る? しかもちょっと気まずくなっちゃってるのに? あのグリエンド公爵が? 片思いしてた私もアウトなことしてたけど、公爵も完全アウトよね?」

 独り言を呟く。
 ヴィルヘルムは、良い意味でも悪い意味でも正直すぎる。己の正義、常識に従って行動しているのだ。時に、その正義や常識がアリアリーナからしたら理解できないこともあるが。

『どうしても皇女殿下にお会いしたくて』

 恥ずかしいことをさらっと言ってのけるヴィルヘルムが心底恐ろしい。アリアリーナを慕っていると、愛していると言ったのは、やはり本当なのだろう。
 ヴィルヘルムのために、恋心を諦めなければならないと思っていた。彼と共に在ることができなくても、彼が幸せに生きてくれればいいと考えていた。死んでしまえば元も子もないから、どこかで生きてさえいてくれればいいとも。たとえ、ヴィルヘルムの生き様を見守ることができなくても、彼が「生きている」という証があるだけで、アリアリーナもこの先平穏に過ごせる気がするのだ。
 しかし、ヴィルヘルムに好かれていると知った今、彼の中にある愛の深淵を覗いている気分にある今、せっかくの決意も思いも、揺らいでしまう……。アリアリーナのような悪女には、ヴィルヘルムと共になる未来は用意されていないにも拘わらず、夢見てしまう。

「あなたと結ばれる権利は、私にはないけど……夢見るくらいは、許してほしいものね」

 浴槽にもたれかかりながら、天井を仰いでそう言った。
 決意が揺らぐ前に、アンゼルムを手にかけないとならない。身に降りかかる様々な困難に背を向けて逃げ出したいと、心の底から思った。
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