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第98話 残る未練
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底冷えする寒さ。皇城の大図書館の窓から外を眺めると雪が降っていた。霧雪だろうか。
アリアリーナはアンゼルムと共に、大図書館へとやって来た。今日は空き時間を見つけて、アンゼルムに文字を教えているのだ。
「あら、飲み込みが早いわね……。さすがは私のゼル」
アンゼルムの頭を優しく撫でると、彼は破顔した。上司と部下、主人と奴隷の距離感にしては、やけに近い。アリアリーナとアンゼルムにとってはそれが普通なのだが、周囲の人々からしたら異常であった。やはり、特別な関係性にあるのかと勘ぐる者も中にはいた。
(視線が痛いわね。さすがに見すぎじゃない?)
アリアリーナは本から顔を上げる。直後、あまりの衝撃に肩を跳ね上げてしまった。目の前に信じられない人がいたからだ。
「……公共の場で、何をしているんですか?」
「グリエンド公爵……なぜここに……」
声をかけてきたのは、なんとヴィルヘルムだった。
「手紙をお送りしてもまったく返事が来ないので、直接訪問いたしました。ご無礼をお許しください」
「無礼だなんて思ってもいないくせに。上辺だけの謝罪はやめてちょうだい」
アリアリーナは頬杖をついて、文句を垂れた。ヴィルヘルムは何も答えない。彼の視線はアンゼルムに向けられていたからだ。ブルーダイヤモンド色の瞳は、氷雪のように冷たかった。一方的に睨まれているアンゼルムは、視線を泳がせている。捕食者に虎視眈々と狙われている小動物みたいだ。
「さっさとどこかへ行ってくれる?」
アンゼルムを可哀想に思ったアリアリーナは、ヴィルヘルムにそう言った。しかし去るどころか、アンゼルムとアリアリーナの目の前に腰掛ける。
「文字を学んでいるのか。良い心がけだ」
「あ、ああありがとうございます……」
「俺が教えよう」
ヴィルヘルムがアンゼルムが見ていた本に手を伸ばす。アリアリーナは彼の手を掴む。魔の手を阻止することに成功した。
「私が教えるから結構よ。それに……何か用事があったからここまでわざわざ訪ねてきたんじゃないの?」
帰れと言っても無視するため、さっさと本来の目的を達成させて帰らせようと目論む。
ヴィルヘルムは辺りを見渡した。
「……ここでは、少し……。人目がないところへ移動したいのですが」
表情の変化が乏しいが、なんとなく気まずく感じているということは見て取れた。人がいる場所では打ち明けられないのか。極秘情報か何かか? と思案するが、アンゼルムとの時間を邪魔されたくはない。今は彼と交流を深め、愛情を育むべきなのだから。
「今はゼルとの時間を楽しんでるの。急用でないならまた今度でもいいでしょう」
「確かに急用ではないですが……」
「今度時間を作るわ。その時に話しましょう」
「……しかし、」
「分からない?」
往生際が悪いヴィルヘルムの言葉を遮る。
「邪魔しないでって言ってるの」
強めの一言を放つ。良い意味でも悪い意味でも鈍感なヴィルヘルムに自覚させるためには、回りくどいのは通用しない。ズキンと響く胸の痛みに気づかないフリをした。
「……申し訳ございません」
ヴィルヘルムは謝罪すると席を立つ。大きな本棚が並ぶ通路へと入っていってしまった。てっきり扉から出ていくものとばかり思っていたが、そうではない様子だ。アリアリーナは彼の後ろ姿を名残惜しく見つめ、溜息を吐いた。
「ご主人様、追いかけないのですか?」
「……私が? 追いかけないわよ」
「……ご主人様がグリエンド公爵様にご興味がなくなったと噂されております。ですがそれは……嘘ですよね?」
「………………」
アンゼルムの鋭い指摘に、アリアリーナは黙り込んでしまう。
「ご主人様は、グリエンド公爵様のことが、」
アンゼルムの唇に人差し指を押し当てる。アンゼルムは目を見張り、頬を赤色に染めた。
「それ以上は、言ってはダメよ」
優しく忠告する。アンゼルムは口を噤み、コクンと頷いた。
「本を変えてくるわ……」
アリアリーナは本を手に取り、腰を上げながらそう言った。どこか反省する様相のアンゼルムを置いて、本棚に向かう。
彼の言う通りだ。何も反論できない。ヴィルヘルムを好きな気持ちは、まだ残っている。なんなら以前よりも惚れ込んでしまっている。彼を自力で諦めなければならないと理解しているのに、それとは裏腹に彼を想ってしまう自分に嫌気が差す。
ヴィルヘルムだけを想って生きてきたのだ。そう簡単に諦めやしないと思っていたが、もしかしたらこの先一生、不可能かもしれない。
長い人生の道のりを考え、アリアリーナは深い深い溜息をつく。と、その瞬間、突如腕を引っ張られ、連れ込まれる。とんでもない力で肩を押されて本棚に押しつけられた。
アリアリーナはアンゼルムと共に、大図書館へとやって来た。今日は空き時間を見つけて、アンゼルムに文字を教えているのだ。
「あら、飲み込みが早いわね……。さすがは私のゼル」
アンゼルムの頭を優しく撫でると、彼は破顔した。上司と部下、主人と奴隷の距離感にしては、やけに近い。アリアリーナとアンゼルムにとってはそれが普通なのだが、周囲の人々からしたら異常であった。やはり、特別な関係性にあるのかと勘ぐる者も中にはいた。
(視線が痛いわね。さすがに見すぎじゃない?)
アリアリーナは本から顔を上げる。直後、あまりの衝撃に肩を跳ね上げてしまった。目の前に信じられない人がいたからだ。
「……公共の場で、何をしているんですか?」
「グリエンド公爵……なぜここに……」
声をかけてきたのは、なんとヴィルヘルムだった。
「手紙をお送りしてもまったく返事が来ないので、直接訪問いたしました。ご無礼をお許しください」
「無礼だなんて思ってもいないくせに。上辺だけの謝罪はやめてちょうだい」
アリアリーナは頬杖をついて、文句を垂れた。ヴィルヘルムは何も答えない。彼の視線はアンゼルムに向けられていたからだ。ブルーダイヤモンド色の瞳は、氷雪のように冷たかった。一方的に睨まれているアンゼルムは、視線を泳がせている。捕食者に虎視眈々と狙われている小動物みたいだ。
「さっさとどこかへ行ってくれる?」
アンゼルムを可哀想に思ったアリアリーナは、ヴィルヘルムにそう言った。しかし去るどころか、アンゼルムとアリアリーナの目の前に腰掛ける。
「文字を学んでいるのか。良い心がけだ」
「あ、ああありがとうございます……」
「俺が教えよう」
ヴィルヘルムがアンゼルムが見ていた本に手を伸ばす。アリアリーナは彼の手を掴む。魔の手を阻止することに成功した。
「私が教えるから結構よ。それに……何か用事があったからここまでわざわざ訪ねてきたんじゃないの?」
帰れと言っても無視するため、さっさと本来の目的を達成させて帰らせようと目論む。
ヴィルヘルムは辺りを見渡した。
「……ここでは、少し……。人目がないところへ移動したいのですが」
表情の変化が乏しいが、なんとなく気まずく感じているということは見て取れた。人がいる場所では打ち明けられないのか。極秘情報か何かか? と思案するが、アンゼルムとの時間を邪魔されたくはない。今は彼と交流を深め、愛情を育むべきなのだから。
「今はゼルとの時間を楽しんでるの。急用でないならまた今度でもいいでしょう」
「確かに急用ではないですが……」
「今度時間を作るわ。その時に話しましょう」
「……しかし、」
「分からない?」
往生際が悪いヴィルヘルムの言葉を遮る。
「邪魔しないでって言ってるの」
強めの一言を放つ。良い意味でも悪い意味でも鈍感なヴィルヘルムに自覚させるためには、回りくどいのは通用しない。ズキンと響く胸の痛みに気づかないフリをした。
「……申し訳ございません」
ヴィルヘルムは謝罪すると席を立つ。大きな本棚が並ぶ通路へと入っていってしまった。てっきり扉から出ていくものとばかり思っていたが、そうではない様子だ。アリアリーナは彼の後ろ姿を名残惜しく見つめ、溜息を吐いた。
「ご主人様、追いかけないのですか?」
「……私が? 追いかけないわよ」
「……ご主人様がグリエンド公爵様にご興味がなくなったと噂されております。ですがそれは……嘘ですよね?」
「………………」
アンゼルムの鋭い指摘に、アリアリーナは黙り込んでしまう。
「ご主人様は、グリエンド公爵様のことが、」
アンゼルムの唇に人差し指を押し当てる。アンゼルムは目を見張り、頬を赤色に染めた。
「それ以上は、言ってはダメよ」
優しく忠告する。アンゼルムは口を噤み、コクンと頷いた。
「本を変えてくるわ……」
アリアリーナは本を手に取り、腰を上げながらそう言った。どこか反省する様相のアンゼルムを置いて、本棚に向かう。
彼の言う通りだ。何も反論できない。ヴィルヘルムを好きな気持ちは、まだ残っている。なんなら以前よりも惚れ込んでしまっている。彼を自力で諦めなければならないと理解しているのに、それとは裏腹に彼を想ってしまう自分に嫌気が差す。
ヴィルヘルムだけを想って生きてきたのだ。そう簡単に諦めやしないと思っていたが、もしかしたらこの先一生、不可能かもしれない。
長い人生の道のりを考え、アリアリーナは深い深い溜息をつく。と、その瞬間、突如腕を引っ張られ、連れ込まれる。とんでもない力で肩を押されて本棚に押しつけられた。
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