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第62話 可愛いあなたにはふさわしくない
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美しい温室には鮮やかな花々が咲き誇る。人工的に作られた川のせせらぎが聞こえてくる。ツィンクラウン皇族お抱えの庭師も脱帽してしまうほどの風光明媚な光景に、アリアリーナは椅子に座り感嘆の息を吐いた。正面に座るヴィルヘルムは、花々の、ではなく、彼女の佳麗さに見惚れていた。
白銀色の長髪は丁寧に巻かれている。左右のこめかみ部分には職人が丹精込めて作り上げた髪飾りが。憂いに満ちたオパールグリーンの目が瞬く。白銀の睫毛が震える。高い鼻にぷっくりとした艶のある唇が美しい。美麗な横顔の彼女は、肩や胸元が開いた大胆なドレスを纏っていた。いくつものレースが折り重なった雪のように白いエンパイアラインのドレスは、上品な雰囲気を漂わせていた。
ヴィルヘルムはアリアリーナが自身の城に滞在していることに底知れぬ愉悦を覚えた。そんな彼とは反対に、アリアリーナは不愉快であった。
彼女がいる場所は、グリエンド公爵城。奴隷のアンゼルムを購入した際、ヴィルヘルムに立て替えてもらった代金を支払う代わりに、城に招待させてくれと言われてしまったのだ。できるだけ関わりたくないと思うのに、そう思えばそう思うほど、関わりができてしまうのだ。人生は上手くいかない。
景色を眺めるのを止めたアリアリーナは癒しを求めるべく、隣に座るアンゼルムを見る。貴族の作法も知らない彼はどうしたらいいのか分からず、ソワソワと落ち着きのない様子で辺りを見渡していた。
「ゼル。食べたい物があったら食べていいのよ」
「え?」
「ほら」
一口で食べることができるケーキをフォークで刺し、アンゼルムの口元まで運ぶ。アンゼルムは頬を林檎色に染め上げ、ギュッと目を瞑る。緩慢に口を開き、ケーキを招き入れた。あまりにも愛嬌のある表情に庇護欲が掻き立てられる。ケーキを咀嚼する彼は目を見開き口元を押さえ、美味しさに驚愕した。アンゼルムのふわふわの癖毛を撫で回したい衝動に支配されそうになるが、なんとか堪える。
「お、美味しいです! ありがとうございます!」
「お礼は私ではなく、グリエンド公爵に」
「はいっ、こうしゃ、く……さ、ま……」
アンゼルムはヴィルヘルムに謝罪しようとしたが、氷のように固まってしまった。今は夏。冬ではないし極寒の地でもないため、氷のように固まることなどありえないはずだが。アリアリーナはヴィルヘルムに視線を向ける。アンゼルムが固まった理由を一瞬で理解した。ヴィルヘルムは顰めっ面をしていた。お世辞にも表情が豊かだとは言えない彼が、感じる感情のまま顔を歪めていたのだ。アリアリーナは唖然とする。
「第四皇女殿下」
「………………」
「俺も、これが食べたいです」
ヴィルヘルムは先程アンゼルムが食べた一口ケーキを指さしてそう言った。
「皇女殿下、聞いていますか? 俺もこれが食べたいんです」
「……自分で食べればいいでしょう?」
「奴隷には食べさせていましたよね」
「あなたは奴隷じゃないわ」
「差別です」
「………………」
口をあんぐりと開けるアリアリーナ。拗ねたヴィルヘルムは、口をへの字に曲げてしまった。彼はこう見えて、結構根に持つタイプだ。恐らくケーキを食べさせてやるまで機嫌は直らないだろう。
社交界のトップに君臨する公爵家当主と一介の奴隷では、立場に天と地ほどの差がある。公爵家当主であるヴィルヘルム本人が「差別」だと抗議した。アリアリーナの奴隷に対する扱いを、自らにもすべきだと。信じられないが、これは現実だ。アリアリーナはズキンズキンと痛む頭を押さえた。
今さらだ。今さらすぎる。どうして今になって執着なんてするのか。本気で分からない。アリアリーナのことを知りたいからだと言っても、納得できない。以前は、知ろうともしなかったくせに――。
「面倒な男は嫌いよ」
アリアリーナの一言に、ヴィルヘルムは胸を衝かれる。
(面倒だったあの頃の自分を棚に上げてこんなこと言うなんて、やっぱり私、あなたにふさわしくない)
胸に込み上げる感情。体全体が熱くなる。目元が涙で濡れそうになった時、アリアリーナは立ち上がり背を向けた。「ご主人様!」と叫ぶアンゼルムの制止を振り切り、駆け出す。半ば逃げる形でその場を離れた。迷路のように曲がりくねった道を進む。どこまで温室が続いているのかも、出口がどこにあったかも分からない。ただ、今だけは、ヴィルヘルムからとにかく離れたかった。
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
心中で謝罪するのは、今のヴィルヘルムに対してか。それとも、一度目の人生の彼に対してか。きっと両方だ。呪いを解くためとはいえ、彼の大切な人を奪って、平穏な暮らしを奪って、彼にトラウマを植え付けて自殺したのだから。そして今世の彼にも、本音とは裏腹な言葉を、酷い言葉の数々をぶつけてしまっている。ヴィルヘルムに気にかけてもらえることが、嬉しいと思ってしまっている。そんな感情を抱いてしまって、ごめんなさい……。
アリアリーナは立ち止まる。強烈な甘い匂いの中、涙の味が余計に苦く感じた。
白銀色の長髪は丁寧に巻かれている。左右のこめかみ部分には職人が丹精込めて作り上げた髪飾りが。憂いに満ちたオパールグリーンの目が瞬く。白銀の睫毛が震える。高い鼻にぷっくりとした艶のある唇が美しい。美麗な横顔の彼女は、肩や胸元が開いた大胆なドレスを纏っていた。いくつものレースが折り重なった雪のように白いエンパイアラインのドレスは、上品な雰囲気を漂わせていた。
ヴィルヘルムはアリアリーナが自身の城に滞在していることに底知れぬ愉悦を覚えた。そんな彼とは反対に、アリアリーナは不愉快であった。
彼女がいる場所は、グリエンド公爵城。奴隷のアンゼルムを購入した際、ヴィルヘルムに立て替えてもらった代金を支払う代わりに、城に招待させてくれと言われてしまったのだ。できるだけ関わりたくないと思うのに、そう思えばそう思うほど、関わりができてしまうのだ。人生は上手くいかない。
景色を眺めるのを止めたアリアリーナは癒しを求めるべく、隣に座るアンゼルムを見る。貴族の作法も知らない彼はどうしたらいいのか分からず、ソワソワと落ち着きのない様子で辺りを見渡していた。
「ゼル。食べたい物があったら食べていいのよ」
「え?」
「ほら」
一口で食べることができるケーキをフォークで刺し、アンゼルムの口元まで運ぶ。アンゼルムは頬を林檎色に染め上げ、ギュッと目を瞑る。緩慢に口を開き、ケーキを招き入れた。あまりにも愛嬌のある表情に庇護欲が掻き立てられる。ケーキを咀嚼する彼は目を見開き口元を押さえ、美味しさに驚愕した。アンゼルムのふわふわの癖毛を撫で回したい衝動に支配されそうになるが、なんとか堪える。
「お、美味しいです! ありがとうございます!」
「お礼は私ではなく、グリエンド公爵に」
「はいっ、こうしゃ、く……さ、ま……」
アンゼルムはヴィルヘルムに謝罪しようとしたが、氷のように固まってしまった。今は夏。冬ではないし極寒の地でもないため、氷のように固まることなどありえないはずだが。アリアリーナはヴィルヘルムに視線を向ける。アンゼルムが固まった理由を一瞬で理解した。ヴィルヘルムは顰めっ面をしていた。お世辞にも表情が豊かだとは言えない彼が、感じる感情のまま顔を歪めていたのだ。アリアリーナは唖然とする。
「第四皇女殿下」
「………………」
「俺も、これが食べたいです」
ヴィルヘルムは先程アンゼルムが食べた一口ケーキを指さしてそう言った。
「皇女殿下、聞いていますか? 俺もこれが食べたいんです」
「……自分で食べればいいでしょう?」
「奴隷には食べさせていましたよね」
「あなたは奴隷じゃないわ」
「差別です」
「………………」
口をあんぐりと開けるアリアリーナ。拗ねたヴィルヘルムは、口をへの字に曲げてしまった。彼はこう見えて、結構根に持つタイプだ。恐らくケーキを食べさせてやるまで機嫌は直らないだろう。
社交界のトップに君臨する公爵家当主と一介の奴隷では、立場に天と地ほどの差がある。公爵家当主であるヴィルヘルム本人が「差別」だと抗議した。アリアリーナの奴隷に対する扱いを、自らにもすべきだと。信じられないが、これは現実だ。アリアリーナはズキンズキンと痛む頭を押さえた。
今さらだ。今さらすぎる。どうして今になって執着なんてするのか。本気で分からない。アリアリーナのことを知りたいからだと言っても、納得できない。以前は、知ろうともしなかったくせに――。
「面倒な男は嫌いよ」
アリアリーナの一言に、ヴィルヘルムは胸を衝かれる。
(面倒だったあの頃の自分を棚に上げてこんなこと言うなんて、やっぱり私、あなたにふさわしくない)
胸に込み上げる感情。体全体が熱くなる。目元が涙で濡れそうになった時、アリアリーナは立ち上がり背を向けた。「ご主人様!」と叫ぶアンゼルムの制止を振り切り、駆け出す。半ば逃げる形でその場を離れた。迷路のように曲がりくねった道を進む。どこまで温室が続いているのかも、出口がどこにあったかも分からない。ただ、今だけは、ヴィルヘルムからとにかく離れたかった。
(ごめんなさい、ごめんなさい……)
心中で謝罪するのは、今のヴィルヘルムに対してか。それとも、一度目の人生の彼に対してか。きっと両方だ。呪いを解くためとはいえ、彼の大切な人を奪って、平穏な暮らしを奪って、彼にトラウマを植え付けて自殺したのだから。そして今世の彼にも、本音とは裏腹な言葉を、酷い言葉の数々をぶつけてしまっている。ヴィルヘルムに気にかけてもらえることが、嬉しいと思ってしまっている。そんな感情を抱いてしまって、ごめんなさい……。
アリアリーナは立ち止まる。強烈な甘い匂いの中、涙の味が余計に苦く感じた。
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