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第59話 可愛すぎる奴隷

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 春の香りも段々と薄くなり、青嵐が吹く時期に移り変わる。清らかな匂いを運ぶその風を楽しみながら、アリアリーナは手紙をしたためていた。ディオレント王国王妃であり彼女の叔母のアデリン宛の手紙だ。
 まだ皇族が狙われていると決まったわけではない。しかし用心しておくことに超したことはない。皇族の血を引き、なおかつツィンクラウン姓を名乗ったことのある者が狙われていると仮定すると、アデリンも危険だ。直球には書かず、回りくどく注意を促したが、どうにか杞憂きゆうであってほしいものだ。アリアリーナはそう思いながら、封筒に封蝋ふうろうを施したのであった。
 作業を終えたのを見計らったかのように、扉がノックされる。

「姫様、レイです」

 レイの声が聞こえ、すぐに入室の許可を出した。レイを呼びに行こうと思っていたのに、まさか彼のほうから来てくれるなんて。素晴らしい執事を持ったとアリアリーナが感心する。
 レイが扉を開け、そっと閉める。

「アリアにお客様だ」
「お客様……? どなた?」
「行けば分かるよ。勘の鋭いアリアなら分かるだろう?」

 アリアリーナは短い息を吐く。レイの言う通り、「お客様」と聞いて大体予想はついていた。どうせヴィルヘルム辺りが訪ねてきたのだろう。

「客間に通してる」
「今すぐ行くわ。レイ、これをディオレント王妃殿下に届けてくれる?」
「分かった」

 レイは頷いたあと、部屋を出ていった。アリアリーナもヴィルヘルムが待っているであろう客間に向かうべく、自室をあとにした。
 第四皇女の宮にある客間に到着すると、部屋の前にふたりの騎士が立っていた。騎士たちはアリアリーナの姿を視界に入れるなり敬礼する。そして扉をノックしようとした。アリアリーナは彼らの行動を止める。非常識にも訪問の手紙を書かず訪ねてきた男に嫌がらせするため、彼女はあえてノックせず勢い良く扉を開けた。

「っ………………」

 眼前に飛び込んできた光景に、静かに息を呑む。ソファーに座っていたのはヴィルヘルムと、少年だった。
 ヴィルヘルムに比べると随分と小柄な体型。女性のように華奢きゃしゃだ。ビスケット色のふわふわの癖毛に、ロイヤルブルーの純粋な眼が美しい。レイと双璧をなすほどの美少年の登場に、アリアリーナの目は点になる。

「第四皇女殿下」

 ヴィルヘルムが立ち上がり、頭を下げる。それを見た美少年も慌てて腰を上げ、アリアリーナに深々と一礼した。アリアリーナは美少年を嘱目しょくもくする。それなりの歴史ある貴族の出身だと言われても納得できてしまう容姿と格好だ。人一倍警戒心が強く、他人と馴れ合うことは絶対にしないヴィルヘルムが、アリアリーナのもとに美少年を連れてくるとは。一体何が目的なのか。アリアリーナは潜考する。

「この方はお前の主人だ。挨拶しろ」

 ヴィルヘルムに小声で促された美少年は頭を上げ、穢れを知らぬ眼差しをアリアリーナに向ける。

「は、はじめまして、ご主人様。アンゼルムと申します。こ、この度は僕をお買い上げいただき……ありがとうございます!」
「買う……?」
「お忘れですか、皇女殿下。奴隷闘技大会に出席した際、皇女殿下が欲しがった奴隷です」

 ヴィルヘルムの説明を受けたアリアリーナは、驚倒した。彼女の目の前にいるのはアンゼルム。奴隷闘技大会にてヴィルヘルム名義で購入した奴隷だったのだ。奴隷闘技大会で目撃した彼とは、風貌も何もかも異なっている気がする。アリアリーナは疑心暗鬼ぎしんあんきとなった。

「俺の城へ送られてきた時には、とてもではないですが第四皇女殿下に挨拶に伺えるような姿ではなかったため、勝手ながら見た目を整えさせていただきました」
「……整えすぎじゃないの?」
「そうですか? 我ながらに良い出来栄えかと」

 ヴィルヘルムはどことなく誇らしげにアンゼルムを見遣る。アンゼルムは日焼けしていない白い頬を林檎色に染めた。今の彼の姿は、ヴィルヘルムの努力の賜物たまものというわけだ。アリアリーナは目を細める。

(私に忠実な奴隷。容姿も可愛らしい。性格も狂ってはいなさそう……。あぁ、ぴったりじゃない)

 口元を隠す手の下で、口角を上げる。
 そう、ぴったりだった。愛する人を殺さなければ自らが死ぬという呪いの解呪のために、アンゼルムという奴隷を利用するには。彼を奴隷として愛し、殺せばいい。そしたらアリアリーナの命は保証される。
 アリアリーナは何も知らないアンゼルムに近づき、彼の頬を優しく撫でた。

「よろしくね、ゼル」

 莞爾として笑う。美しさの下に隠れた棘に、アンゼルムは気づくことなく頷いたのであった。アリアリーナは彼の頭を撫でながら、ヴィルヘルムに目を向ける。
 
「グリエンド公爵。立て替えてもらっていた代金を払うわ」
「結構です。その代わり、別のものをいただけませんか?」
「別のもの?」

 なんとなくだが嫌な予感がする。だが嫌な予感がしたというだけで身構えてしまうのは、ヴィルヘルムに失礼だ。もしかしたら皇女であるアリアリーナしか手に入らない物が欲しいのかもしれない。一応聞くだけ聞いてみよう。
 ヴィルヘルムは表情を少しも変えずに口を開く。

「あなた様を城に招待させてください」

 真面目に聞こうとした自分が馬鹿だった。アリアリーナは嘆息する。現実逃避するために窓の外へ目を向ける。瞬間、客間の扉が激しく叩かれた。怖がるアンゼルムを背に隠す。

「第四皇女殿下、お話し中失礼いたします! たった今、皇族の方が亡くなられたという報告を受けました!」

 雷に打たれたような衝撃が走る。体は震え、手先の感覚がない。
 やはり神は、残酷だ。いつだってアリアリーナが望んだ方向とは真逆の結果を生み出すのだから。こんな惨憺さんたんたる世界で、どう生きていけばいいのか。忘れていた絶望の感情を、思い出した。
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