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第42話 衝撃的な一言
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ヴィルヘルムはアリアリーナを背に庇う。広い背中と彼から香る匂いに、頭がおかしくなりそうだ。
「な、何をしていたんだ、ユーリ!」
ユーリの名を呼んだのは、ダゼロラ公爵であった。つい先程までヴィルヘルムと会話していたのだろう。額に滲む汗を高級なハンカチで拭き取りながら、駆け寄ってくる。
「第四皇女殿下の腕を掴んでいました。様子を見る限り、同意ではなさそうですね」
「………………」
ヴィルヘルムが振り向く。何を考えているのかまったく分からないブルーダイヤモンド色の眼。居た堪れなくなったアリアリーナは、ごくごく自然に目を逸らした。
「第四皇女殿下、息子のご無礼をお許しください!」
ダゼロラ公爵はアリアリーナに向かって頭を下げた。彼の突然の謝罪に加え、髪の毛の少ない頭部が眼前に晒されたことにより、アリアリーナは戸惑う。肝心なユーリは、と言うと、頭を垂れる父を観察していた。ダゼロラ公爵がなぜ謝罪しているのか、理解が及ばない様相だった。
「頭をお上げください、ダゼロラ公爵」
「は、はいっ」
「ご令息を私に近づけないとお約束いただけるのであれば、お許しいたしますわ」
アリアリーナが口元に手を添えて言うと、ダゼロラ公爵は彼女を見上げる。整った美貌がまったく笑っていないことに気がつくと、何度も首を縦に振ったのであった。それを見たアリアリーナが満足げに笑む。そして茫然自失と佇むユーリに背を向けた。ヴィルヘルムはダゼロラ公爵に頭を下げると、彼女のあとを追いかけた。
「どうして……あなたは私のものなのに……」
光の灯らない目。息子の見たことのない狂気さを目の当たりしたダゼロラ公爵は、唖然として何も言えなかったのであった。
客人用の宮へと戻り、滞在していた客室に向かう。廊下の曲がり角を曲がる。人の姿は見られない。やけに静かだと思ったのと同時に、体を壁に押し付けられた。行いは横暴なのに、触れる手は酷く紳士的だ。見上げると、思いのほか近いところにヴィルヘルムの美貌があった。
「あの男を好いているのではなかったのですか?」
「………………」
「好いている割には、嫌がっているようにも見えましたが」
図星だ。アリアリーナの目の光が動揺に揺れたのを見逃してはくれなかったヴィルヘルムは、小さく溜息を吐いた。熱い吐息が額を掠る。
「まさか、嘘ですか?」
「嘘ではないわ……嘘では、なかったのよ。ついさっきまで」
そう言うと、ヴィルヘルムは僅かに眉の間に皺を刻んだ。納得のいっていない面貌である。
確かに、自分自身に嘘をついていただけで、もとからユーリのことは好きではなかった。しかしそれを伝えてしまえば、さらなる面倒事を引き起こしかねない。冷静に判断を下したアリアリーナは、嬌笑を浮かべた。ヴィルヘルムの顎に人差し指を添えて、するりと撫でる。突然の距離の詰め方に肝を潰した彼は、グッと歯噛みした。
「あなたもよく知っているでしょう? 私がどんな女なのかを」
潤いをたっぷりと含んだ赤い唇が三日月の形に歪められる。その上には、まともに息をしているのかも不安になってしまうほどの小さな鼻。毛穴のひとつもない陶器のような肌。そして何より、オパールグリーンの瞳子が美しい。乳白色を混ぜた神秘的な緑色に、月の光が射したかのような可憐さ。道端に芽吹く花の生命の如く、美麗であった。アリアリーナを形成する全てに心惹かれたヴィルヘルムは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「あんなに愛していたあなたにもすぐに飽きてしまう薄情な女よ。だからダゼロラ公爵令息にも飽きてしまったの」
艶のある美声で呟く。
アリアリーナがヴィルヘルムに飽きてしまったのと同様に、ユーリにも飽きてしまったのだ。ユーリを名で呼ぶのも憚られるほどに。というのは、体裁だけ。本当は、最初から恋愛感情も愛情も友情すら、微塵も湧かなかったのだが。アリアリーナが言えた立場ではないが、あの難ありの性格では、さすがに好きにはなれないだろう。
「恋多き女は疲れるわね」
アリアリーナがヴィルヘルムの胸板を押す。案外あっさりと彼は離れた。放心状態のままの彼を置き去りにして、ひとり歩を進めた。このままひとりにさせてくれないか、と淡い期待を抱く。しかしすぐ傍に自分以外の足音が聞こえて、期待は無惨に砕かれてしまった。
「第四皇女殿下」
「なに? 恋愛の話はもうしないわよ」
「恋愛の話ではありません。緊急の話です。早急にお伝えしなければならないことを忘れていました」
「………………」
なんだか弄ばれた気分になったアリアリーナは、苦虫を噛み潰したような面差しとなった。
早急に伝えなければならないのに、彼女がユーリと揉めている様子を目撃して、一瞬で重大な話が記憶から吹っ飛んだというのか。以前のヴィルヘルムならば、絶対にそんなことはなかったはず。アリアリーナがいくら彼を嫉妬させようと、ほかの男と戯れても少しも興味を示さなかったではないか。
沈痛を感じ、胸を押さえる。隙を見せてはいけないと自身に言い聞かせて、振り向く。さっさと話せ、とヴィルヘルムに圧をかけた。
「先代皇帝陛下の弟君が殺害されました」
廊下を照らしていた電球が点滅する。
あぁ、寿命だ。
「な、何をしていたんだ、ユーリ!」
ユーリの名を呼んだのは、ダゼロラ公爵であった。つい先程までヴィルヘルムと会話していたのだろう。額に滲む汗を高級なハンカチで拭き取りながら、駆け寄ってくる。
「第四皇女殿下の腕を掴んでいました。様子を見る限り、同意ではなさそうですね」
「………………」
ヴィルヘルムが振り向く。何を考えているのかまったく分からないブルーダイヤモンド色の眼。居た堪れなくなったアリアリーナは、ごくごく自然に目を逸らした。
「第四皇女殿下、息子のご無礼をお許しください!」
ダゼロラ公爵はアリアリーナに向かって頭を下げた。彼の突然の謝罪に加え、髪の毛の少ない頭部が眼前に晒されたことにより、アリアリーナは戸惑う。肝心なユーリは、と言うと、頭を垂れる父を観察していた。ダゼロラ公爵がなぜ謝罪しているのか、理解が及ばない様相だった。
「頭をお上げください、ダゼロラ公爵」
「は、はいっ」
「ご令息を私に近づけないとお約束いただけるのであれば、お許しいたしますわ」
アリアリーナが口元に手を添えて言うと、ダゼロラ公爵は彼女を見上げる。整った美貌がまったく笑っていないことに気がつくと、何度も首を縦に振ったのであった。それを見たアリアリーナが満足げに笑む。そして茫然自失と佇むユーリに背を向けた。ヴィルヘルムはダゼロラ公爵に頭を下げると、彼女のあとを追いかけた。
「どうして……あなたは私のものなのに……」
光の灯らない目。息子の見たことのない狂気さを目の当たりしたダゼロラ公爵は、唖然として何も言えなかったのであった。
客人用の宮へと戻り、滞在していた客室に向かう。廊下の曲がり角を曲がる。人の姿は見られない。やけに静かだと思ったのと同時に、体を壁に押し付けられた。行いは横暴なのに、触れる手は酷く紳士的だ。見上げると、思いのほか近いところにヴィルヘルムの美貌があった。
「あの男を好いているのではなかったのですか?」
「………………」
「好いている割には、嫌がっているようにも見えましたが」
図星だ。アリアリーナの目の光が動揺に揺れたのを見逃してはくれなかったヴィルヘルムは、小さく溜息を吐いた。熱い吐息が額を掠る。
「まさか、嘘ですか?」
「嘘ではないわ……嘘では、なかったのよ。ついさっきまで」
そう言うと、ヴィルヘルムは僅かに眉の間に皺を刻んだ。納得のいっていない面貌である。
確かに、自分自身に嘘をついていただけで、もとからユーリのことは好きではなかった。しかしそれを伝えてしまえば、さらなる面倒事を引き起こしかねない。冷静に判断を下したアリアリーナは、嬌笑を浮かべた。ヴィルヘルムの顎に人差し指を添えて、するりと撫でる。突然の距離の詰め方に肝を潰した彼は、グッと歯噛みした。
「あなたもよく知っているでしょう? 私がどんな女なのかを」
潤いをたっぷりと含んだ赤い唇が三日月の形に歪められる。その上には、まともに息をしているのかも不安になってしまうほどの小さな鼻。毛穴のひとつもない陶器のような肌。そして何より、オパールグリーンの瞳子が美しい。乳白色を混ぜた神秘的な緑色に、月の光が射したかのような可憐さ。道端に芽吹く花の生命の如く、美麗であった。アリアリーナを形成する全てに心惹かれたヴィルヘルムは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。
「あんなに愛していたあなたにもすぐに飽きてしまう薄情な女よ。だからダゼロラ公爵令息にも飽きてしまったの」
艶のある美声で呟く。
アリアリーナがヴィルヘルムに飽きてしまったのと同様に、ユーリにも飽きてしまったのだ。ユーリを名で呼ぶのも憚られるほどに。というのは、体裁だけ。本当は、最初から恋愛感情も愛情も友情すら、微塵も湧かなかったのだが。アリアリーナが言えた立場ではないが、あの難ありの性格では、さすがに好きにはなれないだろう。
「恋多き女は疲れるわね」
アリアリーナがヴィルヘルムの胸板を押す。案外あっさりと彼は離れた。放心状態のままの彼を置き去りにして、ひとり歩を進めた。このままひとりにさせてくれないか、と淡い期待を抱く。しかしすぐ傍に自分以外の足音が聞こえて、期待は無惨に砕かれてしまった。
「第四皇女殿下」
「なに? 恋愛の話はもうしないわよ」
「恋愛の話ではありません。緊急の話です。早急にお伝えしなければならないことを忘れていました」
「………………」
なんだか弄ばれた気分になったアリアリーナは、苦虫を噛み潰したような面差しとなった。
早急に伝えなければならないのに、彼女がユーリと揉めている様子を目撃して、一瞬で重大な話が記憶から吹っ飛んだというのか。以前のヴィルヘルムならば、絶対にそんなことはなかったはず。アリアリーナがいくら彼を嫉妬させようと、ほかの男と戯れても少しも興味を示さなかったではないか。
沈痛を感じ、胸を押さえる。隙を見せてはいけないと自身に言い聞かせて、振り向く。さっさと話せ、とヴィルヘルムに圧をかけた。
「先代皇帝陛下の弟君が殺害されました」
廊下を照らしていた電球が点滅する。
あぁ、寿命だ。
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