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第39話 強力な後ろ楯
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「い、イメージトレーニング……」
ヴィルヘルムともあろう絶世の美男子の口から出た「イメージトレーニング」という単語に、アリアリーナは絶句し続けていた。
彼の言うイメージトレーニングがなんなのか、分からないほど鈍感ではない。つまりヴィルヘルムは、誰かと肉体を繋げ快楽を与え合う経験こそないものの、誰かを組み敷く妄想をしてひとり寂しく自身を慰めた経験は豊富だと言っているのだ。
アリアリーナの目前にいる、この、眉目秀麗の男が、である。性欲を発散する相手に困るどころか、大行列ができてむしろ大変ですよと言いたげな顔面とは裏腹に、本番行為自体未経験でなおかつ思春期の少年の如く自慰行為は頻繁に行っていると……。
アリアリーナは白目を剥きたい衝動を抑える。
「第四皇女殿下、俺はあなたを、妄想の中で何度も抱いています」
今度こそ、白目を剥いてしまった。
何を言っているんだ、この男は。馬鹿なのか。馬鹿なんだろう。「今この瞬間、世界で最も馬鹿」という名誉ある称号を手に入れたヴィルヘルムに、アリアリーナは何も言えなかった。
ヴィルヘルムは彼女を抱く妄想をして、自慰行為をしているというわけだ。恐らくそれは、彼女がヴィルヘルムに冷たくし始めた最近になってからだろう。「何度も」という点に関してはかなり引っかかるが、突っ込んでは駄目な気がした。大体、そんなことを正直に口にする者は、ヴィルヘルムくらいだろう。
「俺が皇女殿下を満足させることができるか、試してみませんか? これでもしあなたを満足させることができたら……」
(できたら……?)
アリアリーナは生唾を呑む。ヴィルヘルムが彼女の耳元に顔を近づけた。
「俺をあなたの、夜のパートナーにしてください」
全身を痺れさせる甘い声。吐息が直接耳にかかり、アリアリーナは肩を震わせてしまった。反応を見せてはいけない。弱みを見せてはいけない。それなのに、腰が疼いて仕方ない。
ヴィルヘルムの手が腰を這う。我慢ならなくなったアリアリーナは、彼の胸板を両手で押し返した。
「う、嘘よっ! 本命以外に遊び相手がいるって言ったのは嘘!! レイとはそういう関係じゃないし、ほかに遊び相手もいないっ……!」
アリアリーナは、渾身の力を込めて本当のことを打ち明けた。ヴィルヘルムはそっと体を起こす。
「ならば今日、あの使用人と一体何をしていたのですか?」
ヴィルヘルムが首を傾げた。
アリアリーナは事件の調査に自ら赴いたという話を伝えるしかないと覚悟を決め、顔を上げる。
「……とりあえず、離れてもらえる?」
静寂に包まれた部屋。互いの息遣いと、時計の音だけが響く。アリアリーナより、暗殺者の話と真相を解明すべく調査に向かった話を事細かに聞いたヴィルヘルムは、顎に手を当てて思案していた。
皇女ともあろう者が自ら危険な場所に足を踏み入れたのか、と軽く叱責を受けた。それもアリアリーナの身を案じてのことだったのだろう。
ヴィルヘルムを諦めたいのに、なかなかそうはさせてくれない彼と腹の決まらない自身に憤りを感じていると、突如彼が口を開く。
「俺も、その調査に参加させてください」
「……え?」
「第四皇女殿下の命が狙われているのは、由々しき事態です。皇女殿下の殺害を目論む黒幕を炙り出して、皇女殿下のお命を必ずやお守りいたします」
ヴィルヘルムは宣言する。彼の覚悟は、相当なものであった。ブルーダイヤモンド色の眼差しは、強い意志を宿している。荒波くらいでは揺らがない、確かな意志を。
「第四皇女殿下もご存じの通り、俺はグリエンド公爵家の当主です。あなたのお役に、立てるかと思いますが」
魅力的な餌をチラつかされ、アリアリーナの心は激しく揺れる。
味方にはレイがいるし、彼の実家である暗殺一族エルンドレ家も味方とは言えないが、彼の頼みであれば動いてくれる。残念ながら、呪術師一族のリンドル家は、アリアリーナひとりのため、そちらに味方はいない。ディオレント王国王妃のアデリンは味方と言える。しかし、一応今後のことも考慮するならば、ツィンクラウン帝国の貴族、それも強力な貴族の後ろ楯は、喉から手が出るほどに欲しい。
ヴィルヘルム率いるグリエンド公爵家は、ツィンクラウン帝国建国当初から、皇帝のお膝元である中央にて、絶対的覇者として君臨し続けている。彼に親戚は多く存在するが、家族はいない。何かと融通が利く。それにグリエンド公爵家が保有する軍は、皇族に直々に仕える軍と同等、もしくはそれ以上の強さを誇るのだ。軍を保有することは皇帝への謀反を疑われかねないが、帝国が建国されてから3000年、グリエンド公爵家が皇族に刃を向けたことは一度としてなく、皇族に忠誠を誓っている。そのため、皇帝も黙認しているのである。東西南北、それぞれの領土を統治する公爵家も同様だ。
そんなグリエンド公爵家、しかも公爵家の権限を全て握る当主の後ろ楯が手に入るとは。これほどまでに魅力的な誘いがあろうものか。アリアリーナは自身でも気がつかぬうちに、首を縦に振ってしまっていたのであった。
「これからも、よろしくお願いいたします」
許可なく手を握り、無表情でそう言ったヴィルヘルムに対して、アリアリーナは溜息を吐いた。
ヴィルヘルムともあろう絶世の美男子の口から出た「イメージトレーニング」という単語に、アリアリーナは絶句し続けていた。
彼の言うイメージトレーニングがなんなのか、分からないほど鈍感ではない。つまりヴィルヘルムは、誰かと肉体を繋げ快楽を与え合う経験こそないものの、誰かを組み敷く妄想をしてひとり寂しく自身を慰めた経験は豊富だと言っているのだ。
アリアリーナの目前にいる、この、眉目秀麗の男が、である。性欲を発散する相手に困るどころか、大行列ができてむしろ大変ですよと言いたげな顔面とは裏腹に、本番行為自体未経験でなおかつ思春期の少年の如く自慰行為は頻繁に行っていると……。
アリアリーナは白目を剥きたい衝動を抑える。
「第四皇女殿下、俺はあなたを、妄想の中で何度も抱いています」
今度こそ、白目を剥いてしまった。
何を言っているんだ、この男は。馬鹿なのか。馬鹿なんだろう。「今この瞬間、世界で最も馬鹿」という名誉ある称号を手に入れたヴィルヘルムに、アリアリーナは何も言えなかった。
ヴィルヘルムは彼女を抱く妄想をして、自慰行為をしているというわけだ。恐らくそれは、彼女がヴィルヘルムに冷たくし始めた最近になってからだろう。「何度も」という点に関してはかなり引っかかるが、突っ込んでは駄目な気がした。大体、そんなことを正直に口にする者は、ヴィルヘルムくらいだろう。
「俺が皇女殿下を満足させることができるか、試してみませんか? これでもしあなたを満足させることができたら……」
(できたら……?)
アリアリーナは生唾を呑む。ヴィルヘルムが彼女の耳元に顔を近づけた。
「俺をあなたの、夜のパートナーにしてください」
全身を痺れさせる甘い声。吐息が直接耳にかかり、アリアリーナは肩を震わせてしまった。反応を見せてはいけない。弱みを見せてはいけない。それなのに、腰が疼いて仕方ない。
ヴィルヘルムの手が腰を這う。我慢ならなくなったアリアリーナは、彼の胸板を両手で押し返した。
「う、嘘よっ! 本命以外に遊び相手がいるって言ったのは嘘!! レイとはそういう関係じゃないし、ほかに遊び相手もいないっ……!」
アリアリーナは、渾身の力を込めて本当のことを打ち明けた。ヴィルヘルムはそっと体を起こす。
「ならば今日、あの使用人と一体何をしていたのですか?」
ヴィルヘルムが首を傾げた。
アリアリーナは事件の調査に自ら赴いたという話を伝えるしかないと覚悟を決め、顔を上げる。
「……とりあえず、離れてもらえる?」
静寂に包まれた部屋。互いの息遣いと、時計の音だけが響く。アリアリーナより、暗殺者の話と真相を解明すべく調査に向かった話を事細かに聞いたヴィルヘルムは、顎に手を当てて思案していた。
皇女ともあろう者が自ら危険な場所に足を踏み入れたのか、と軽く叱責を受けた。それもアリアリーナの身を案じてのことだったのだろう。
ヴィルヘルムを諦めたいのに、なかなかそうはさせてくれない彼と腹の決まらない自身に憤りを感じていると、突如彼が口を開く。
「俺も、その調査に参加させてください」
「……え?」
「第四皇女殿下の命が狙われているのは、由々しき事態です。皇女殿下の殺害を目論む黒幕を炙り出して、皇女殿下のお命を必ずやお守りいたします」
ヴィルヘルムは宣言する。彼の覚悟は、相当なものであった。ブルーダイヤモンド色の眼差しは、強い意志を宿している。荒波くらいでは揺らがない、確かな意志を。
「第四皇女殿下もご存じの通り、俺はグリエンド公爵家の当主です。あなたのお役に、立てるかと思いますが」
魅力的な餌をチラつかされ、アリアリーナの心は激しく揺れる。
味方にはレイがいるし、彼の実家である暗殺一族エルンドレ家も味方とは言えないが、彼の頼みであれば動いてくれる。残念ながら、呪術師一族のリンドル家は、アリアリーナひとりのため、そちらに味方はいない。ディオレント王国王妃のアデリンは味方と言える。しかし、一応今後のことも考慮するならば、ツィンクラウン帝国の貴族、それも強力な貴族の後ろ楯は、喉から手が出るほどに欲しい。
ヴィルヘルム率いるグリエンド公爵家は、ツィンクラウン帝国建国当初から、皇帝のお膝元である中央にて、絶対的覇者として君臨し続けている。彼に親戚は多く存在するが、家族はいない。何かと融通が利く。それにグリエンド公爵家が保有する軍は、皇族に直々に仕える軍と同等、もしくはそれ以上の強さを誇るのだ。軍を保有することは皇帝への謀反を疑われかねないが、帝国が建国されてから3000年、グリエンド公爵家が皇族に刃を向けたことは一度としてなく、皇族に忠誠を誓っている。そのため、皇帝も黙認しているのである。東西南北、それぞれの領土を統治する公爵家も同様だ。
そんなグリエンド公爵家、しかも公爵家の権限を全て握る当主の後ろ楯が手に入るとは。これほどまでに魅力的な誘いがあろうものか。アリアリーナは自身でも気がつかぬうちに、首を縦に振ってしまっていたのであった。
「これからも、よろしくお願いいたします」
許可なく手を握り、無表情でそう言ったヴィルヘルムに対して、アリアリーナは溜息を吐いた。
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