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第38話 チャンスを生かそうとした結果
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顔を上げた先にいたのは、ヴィルヘルムだった。
「グリエンド、公爵」
アリアリーナが呟く。
今さら誤魔化すことはできない。変装の呪術も解いてしまっている。
薄暗い路地裏。酒場の看板の光だけが煌々と輝く不気味な空気の中で、ヴィルヘルムは口を開く。
「嘘をついてまで王城の外に出た理由が、執事との逢瀬ですか」
アリアリーナがよく知っているヴィルヘルムだ。一切、表情の変わらない美貌があるだけ。淡々と告げる口調には慣れているはずなのに、今では恐怖を煽るだけであった。
王城にいち早く帰るには、レイに抱き抱えてもらうのが得策だが、何やらヴィルヘルムに勘違いさせてしまっているらしい。アリアリーナがレイの肩を軽く叩くと、レイは彼女を地面に下ろす。
「俺の次に好きになったのは、ダゼロラ公爵令息ではなかったのですか?」
悲痛さを滲ませた声音で問いかけられる。
何を、そんなに必死になっているのか。大人しく王城の客室で過ごしていれば良いのに。アリアリーナの嘘を見抜き、わざわざ夜の王都へ出るなど、馬鹿げている。
「あなたは俺ではなく、ダゼロラ公爵令息を好いているのだと……仰っていたではありませんか」
ヴィルヘルムの言葉に、アリアリーナはチャンスだと感じた。すぐさま、レイの腕に自身の腕を絡める。服の上からではあまり分からない太い腕を自身の胸元に引き寄せた。豊満な乳房が彼の腕を温かく包み込む。レイがどんな顔をしているかなんて、どうでもよかった。アリアリーナは、またとないこのチャンスをものにするのに精一杯だから。
「本命はダゼロラ公爵令息よ。だけど、遊びも大切でしょう? 誰かひとりに絞るなんて、この美貌がもったいないもの。ねぇ? レイ」
「……姫様の仰る通りです」
アリアリーナに同意を求められたレイは、渋々首を縦に振ったのであった。
ヴィルヘルムに幻滅されるチャンスは、絶対に逃してはいけない。本命以外にも遊び相手と夜を謳歌する貞淑でない女性だと彼に認識させれば、謎に付き纏われることもなくなるだろう。
ヴィルヘルムに片思いしていた際も、本命は彼だが、レイをはじめとした遊び相手がいたと思わせることができればこちらの勝ちだ。
アリアリーナは心中にてほくそ笑む。
「さぁ行きましょう、レイ。夜はまだ、長いでしょう?」
アリアリーナが体をレイに寄せる。レイは一瞬、面倒そうな面持ちとなったが、すぐに笑顔となり頷いた。抱き上げて、と合図しようとした転瞬の間、腕を思いっきり引かれる。抵抗する暇もなく腰を抱かれ、頬が何かに当たる。それは、ヴィルヘルムの固い胸板だった。
(……え?)
「第四皇女殿下は護衛である俺が責任を持って送り届ける。使用人は下がっていろ」
ヴィルヘルムはレイに対して敵意を剥き出しにする。裏世界では知らぬ者がいないほどの一流の暗殺者であるレイさえも、彼が放つ殺気に警戒する様子を見せた。彼は身を屈め、アリアリーナの膝裏に左手を差し込む。ひと思いに抱き上げた。レイに抱き上げられるよりも、高い位置から景色を見下ろすことができる。アリアリーナは我に返り、彼に抗議しようとする。
「帰りましょう、皇女殿下」
心臓が軋む音がする。抗議しようと開いた唇は、乾いてしまって、ろくに声を発することができなかった。不意打ちに笑んだヴィルヘルムに、何も言えないまま、呆然とする。無言を肯定だと好都合に捉えた彼は、アリアリーナを抱えたまま、走り出した。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
今だけは、この常夜にまぎれて、彼と一緒に――。
ヴィルヘルムに連れられ、王城の客室に戻ってきた。言い訳すらさせてもらえぬまま、ベッドへ押し倒される。アリアリーナは上体を起こそうとするが、目前にヴィルヘルムの顔面が近づいてきたため、叶わなかった。顔を背けてヴィルヘルムの美の暴力から逃れようとするが、顎を取られてしまった。ブルーダイヤモンド色の瞳と視線が交わる。目を逸らすことも、目を瞑ることもできない。彼の瞳子の美しさに感服するほかなかった。
「本命以外にも男がいるのであれば良いですよね?」
「な、何を、」
「俺でも、あなたの相手は務まるはずです」
緊迫した空気の中へ、遠慮なく投下される爆弾。その爆風をもろに食らったアリアリーナは、今にも意識を飛ばしてしまいそうになった。
ヴィルヘルムはつまり、自分でも彼女の欲を満たすことができると言っているのだ。社交界でも最近、互いの性欲を満たすためだけにまぐわう「お友達」とやらが流行っているらしい。アリアリーナは専ら、そういった「お友達」に興味はなかったが、まさか自身とヴィルヘルムがそういった関係性に生まれ変わろうとしているとは。
(あ、ありえないんだけど!?)
「あ、あなたなんかじゃ役不足よ! バカ!」
「……確かに俺は、そういった行為をしたことはありませんが、イメージトレーニングは完璧です」
「は……は?」
自信満々に答えるヴィルヘルムに、アリアリーナは皇女らしからぬ反応をしてしまった。
「グリエンド、公爵」
アリアリーナが呟く。
今さら誤魔化すことはできない。変装の呪術も解いてしまっている。
薄暗い路地裏。酒場の看板の光だけが煌々と輝く不気味な空気の中で、ヴィルヘルムは口を開く。
「嘘をついてまで王城の外に出た理由が、執事との逢瀬ですか」
アリアリーナがよく知っているヴィルヘルムだ。一切、表情の変わらない美貌があるだけ。淡々と告げる口調には慣れているはずなのに、今では恐怖を煽るだけであった。
王城にいち早く帰るには、レイに抱き抱えてもらうのが得策だが、何やらヴィルヘルムに勘違いさせてしまっているらしい。アリアリーナがレイの肩を軽く叩くと、レイは彼女を地面に下ろす。
「俺の次に好きになったのは、ダゼロラ公爵令息ではなかったのですか?」
悲痛さを滲ませた声音で問いかけられる。
何を、そんなに必死になっているのか。大人しく王城の客室で過ごしていれば良いのに。アリアリーナの嘘を見抜き、わざわざ夜の王都へ出るなど、馬鹿げている。
「あなたは俺ではなく、ダゼロラ公爵令息を好いているのだと……仰っていたではありませんか」
ヴィルヘルムの言葉に、アリアリーナはチャンスだと感じた。すぐさま、レイの腕に自身の腕を絡める。服の上からではあまり分からない太い腕を自身の胸元に引き寄せた。豊満な乳房が彼の腕を温かく包み込む。レイがどんな顔をしているかなんて、どうでもよかった。アリアリーナは、またとないこのチャンスをものにするのに精一杯だから。
「本命はダゼロラ公爵令息よ。だけど、遊びも大切でしょう? 誰かひとりに絞るなんて、この美貌がもったいないもの。ねぇ? レイ」
「……姫様の仰る通りです」
アリアリーナに同意を求められたレイは、渋々首を縦に振ったのであった。
ヴィルヘルムに幻滅されるチャンスは、絶対に逃してはいけない。本命以外にも遊び相手と夜を謳歌する貞淑でない女性だと彼に認識させれば、謎に付き纏われることもなくなるだろう。
ヴィルヘルムに片思いしていた際も、本命は彼だが、レイをはじめとした遊び相手がいたと思わせることができればこちらの勝ちだ。
アリアリーナは心中にてほくそ笑む。
「さぁ行きましょう、レイ。夜はまだ、長いでしょう?」
アリアリーナが体をレイに寄せる。レイは一瞬、面倒そうな面持ちとなったが、すぐに笑顔となり頷いた。抱き上げて、と合図しようとした転瞬の間、腕を思いっきり引かれる。抵抗する暇もなく腰を抱かれ、頬が何かに当たる。それは、ヴィルヘルムの固い胸板だった。
(……え?)
「第四皇女殿下は護衛である俺が責任を持って送り届ける。使用人は下がっていろ」
ヴィルヘルムはレイに対して敵意を剥き出しにする。裏世界では知らぬ者がいないほどの一流の暗殺者であるレイさえも、彼が放つ殺気に警戒する様子を見せた。彼は身を屈め、アリアリーナの膝裏に左手を差し込む。ひと思いに抱き上げた。レイに抱き上げられるよりも、高い位置から景色を見下ろすことができる。アリアリーナは我に返り、彼に抗議しようとする。
「帰りましょう、皇女殿下」
心臓が軋む音がする。抗議しようと開いた唇は、乾いてしまって、ろくに声を発することができなかった。不意打ちに笑んだヴィルヘルムに、何も言えないまま、呆然とする。無言を肯定だと好都合に捉えた彼は、アリアリーナを抱えたまま、走り出した。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
今だけは、この常夜にまぎれて、彼と一緒に――。
ヴィルヘルムに連れられ、王城の客室に戻ってきた。言い訳すらさせてもらえぬまま、ベッドへ押し倒される。アリアリーナは上体を起こそうとするが、目前にヴィルヘルムの顔面が近づいてきたため、叶わなかった。顔を背けてヴィルヘルムの美の暴力から逃れようとするが、顎を取られてしまった。ブルーダイヤモンド色の瞳と視線が交わる。目を逸らすことも、目を瞑ることもできない。彼の瞳子の美しさに感服するほかなかった。
「本命以外にも男がいるのであれば良いですよね?」
「な、何を、」
「俺でも、あなたの相手は務まるはずです」
緊迫した空気の中へ、遠慮なく投下される爆弾。その爆風をもろに食らったアリアリーナは、今にも意識を飛ばしてしまいそうになった。
ヴィルヘルムはつまり、自分でも彼女の欲を満たすことができると言っているのだ。社交界でも最近、互いの性欲を満たすためだけにまぐわう「お友達」とやらが流行っているらしい。アリアリーナは専ら、そういった「お友達」に興味はなかったが、まさか自身とヴィルヘルムがそういった関係性に生まれ変わろうとしているとは。
(あ、ありえないんだけど!?)
「あ、あなたなんかじゃ役不足よ! バカ!」
「……確かに俺は、そういった行為をしたことはありませんが、イメージトレーニングは完璧です」
「は……は?」
自信満々に答えるヴィルヘルムに、アリアリーナは皇女らしからぬ反応をしてしまった。
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