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第29話 暗殺者に対抗して
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その夜。客室で過ごしていたアリアリーナは、カーテンを開けた。鍵を解錠して窓を開け、バルコニーへと出る。冬の薫香が漂い、夜風が吹く。ひとつに緩く纏めて肩に流した白銀髪の長髪が揺れ、彼女の頬を擽る。バルコニーの手すりに手をかけ、空を見上げる。濃紺の空に輝くのは、星屑たち。ツィンクラウン皇都とは違って眩い光が少ないからか、星々がより輝いて見える。アリアリーナは、風に身を委ねて瞳を閉じた。
『皇族を殺せ。緑の瞳を持つ子は一族の怨念を果たす。さもなければ一族は滅びる』
前世でこの身にかけられた呪い。一度目の人生にて、ツィンクラウンの直系はもちろん、一度でもツィンクラウンの姓を名乗った者は全員殺した。時には呪術を使い、時には暗殺一族のレイの力を借りて。だがもう、その呪いからは解放された。それなのに、未だにこの手に、感触が残っているのだ。両親と、そして、異母姉エナヴェリーナを殺した感触が――。手にじっとりと、汗が滲む。気持ちの悪い感覚を払拭するべく、アリアリーナは手すりを放した。
彼女とて、殺したくて殺したわけではない。ヴィルヘルムの愛を独占し、彼女が欲しかった名誉を全て手に入れていたエナヴェリーナを憎んでいたのは事実だ。しかし、エナヴェリーナに何か、酷いことをされたわけでもない。それどころか、彼女はアリアリーナを気遣ってくれていたはずだ。まぁ、名ばかりの両親は別だが。
エナヴェリーナとはできるだけ関わりたくない。なんなら、さっさとヴィルヘルムと結婚して彼の城に移住してしまえば良いのだ。もう、アリアリーナに命を狙われるわけでもないのだがら、幸せになれるはずだろう。
そしてヴィルヘルムも、早く彼女を嫁に迎えてしまえば良い。歴史ある公爵家の夫人の座は、ツィンクラウン帝国の貴族令嬢はもちろん、傘下国や友好国の王族や皇族、貴族たちからも狙われている。エナヴェリーナを妻に迎えれば、面倒な見合い話もなくなることだろう。彼に進言してみようか、と冗談っぽく笑った瞬間、強風が吹き荒れる。
「寒いわね……」
風邪を引いてしまってはいけないと夜空に背を向けて、客室に戻ろうとする。刹那、ただならぬ殺気を感知したアリアリーナは咄嗟に振り向き、左腕で顔を庇う。闇の中、一瞬煌めいた刃物の切っ先が、彼女の左腕を切り裂く。激しく鮮血が飛び散ったあと、鋭い痛みが襲う。何がなんだか分からない状況ではあるが、やるべきことはただひとつ。己の命を守り抜くことだ。
暗殺者の、追撃が、来る。一瞬でそれを理解した彼女は、刃物が線を描いた方向に足を振り上げた。彼女の咄嗟の蹴りは、刃物を握っていた手首を捕らえる。闇夜の中、カラン、とバルコニーに刃物が落ちる音が反響した。アリアリーナはすぐさまその刃物を拾い上げ、襲い来る連続攻撃をなんとか弾き返す。
「誰かっ!!!!!」
アリアリーナは、腹の底から声を張り上げた。夜遅い時間帯、誰もが寝静まっている。気づいてくれないかもしれない。だが、声を上げないよりかは可能性がある。暗殺術を学んだ彼女とはいえど、相手は〝殺し〟を本業とする手馴れの暗殺者だ。ひとりで応戦し続けるのにはさすがに限界がある。
暗殺者が意固地になり、刃物を持つ手に力を込めてより一層の打撃を打ち込んだその時、突如として暗殺者がその場に倒れ込んだ。一瞬で意識を飛ばされたらしい。
「アリアっ!」
アリアリーナを助けたのは、レイだった。彼女を殺すのに必死になった暗殺者の意識を、いとも簡単に飛ばして見せたのだ。彼女も感嘆せざるを得ないレイの技。斬られた腕を心配するレイを見つめ呆気に取られたまま、バルコニーに座り込んでいると――。
「皇女殿下……?」
第三者の、声が聞こえた。レースのカーテンが風で舞い上がり、部屋の中にいたヴィルヘルムが姿を現す。レイが客室に入り開けっ放しにした扉から、彼も偶然顔を出したのだろう。彼はアリアリーナの腕から流れる血を視界に入れると、大きく目を開いた。眉間に皺が寄り、無の表情に段々と怒りが込められていく。彼は瞬時にアリアリーナに駆け寄り、彼女の腕を優しく掴んだ。自身が着ているシャツを片手で破り、彼女の傷口に押し当てる。
「……れ……か?」
「え?」
「誰ですか? あなたにこのような仕打ちをしたのは」
ブルーダイヤモンド色の瞳が憤怒に満ちた。滅多に感情を乱さないヴィルヘルムが怒る姿を前にして、アリアリーナは絶句した。
なぜ、そこまで怒っているのか。一度目の人生では、彼女が怪我をした時だって、病気で寝込んだ時だって、少しも心配なんてしてくれなかったというのに。どうして、どうして、諦めようと躍起になっている今になって……。
自身を静かに見下ろすヴィルヘルムの顔が脳裏に過ぎると共に、アリアリーナは彼を突き放した。
「触らないでくれる? 汚いわ」
(私が、汚いの。穢れているの。あなたを愛してしまった私が、悪いのよ)
アリアリーナは立ち上がり、血の付着した布をその場に捨てる。
「レイ、その暗殺者が持ちうる情報を聞き出してちょうだい。手段は厭わないわ」
「……かしこまりました。ですが姫様、先に傷口の手当をいたしましょう」
レイは「失礼します」と告げて、アリアリーナの腕にそっと触れる。拒絶しない彼女を見て、ヴィルヘルムはきゅっと唇を閉じたのだった。
『皇族を殺せ。緑の瞳を持つ子は一族の怨念を果たす。さもなければ一族は滅びる』
前世でこの身にかけられた呪い。一度目の人生にて、ツィンクラウンの直系はもちろん、一度でもツィンクラウンの姓を名乗った者は全員殺した。時には呪術を使い、時には暗殺一族のレイの力を借りて。だがもう、その呪いからは解放された。それなのに、未だにこの手に、感触が残っているのだ。両親と、そして、異母姉エナヴェリーナを殺した感触が――。手にじっとりと、汗が滲む。気持ちの悪い感覚を払拭するべく、アリアリーナは手すりを放した。
彼女とて、殺したくて殺したわけではない。ヴィルヘルムの愛を独占し、彼女が欲しかった名誉を全て手に入れていたエナヴェリーナを憎んでいたのは事実だ。しかし、エナヴェリーナに何か、酷いことをされたわけでもない。それどころか、彼女はアリアリーナを気遣ってくれていたはずだ。まぁ、名ばかりの両親は別だが。
エナヴェリーナとはできるだけ関わりたくない。なんなら、さっさとヴィルヘルムと結婚して彼の城に移住してしまえば良いのだ。もう、アリアリーナに命を狙われるわけでもないのだがら、幸せになれるはずだろう。
そしてヴィルヘルムも、早く彼女を嫁に迎えてしまえば良い。歴史ある公爵家の夫人の座は、ツィンクラウン帝国の貴族令嬢はもちろん、傘下国や友好国の王族や皇族、貴族たちからも狙われている。エナヴェリーナを妻に迎えれば、面倒な見合い話もなくなることだろう。彼に進言してみようか、と冗談っぽく笑った瞬間、強風が吹き荒れる。
「寒いわね……」
風邪を引いてしまってはいけないと夜空に背を向けて、客室に戻ろうとする。刹那、ただならぬ殺気を感知したアリアリーナは咄嗟に振り向き、左腕で顔を庇う。闇の中、一瞬煌めいた刃物の切っ先が、彼女の左腕を切り裂く。激しく鮮血が飛び散ったあと、鋭い痛みが襲う。何がなんだか分からない状況ではあるが、やるべきことはただひとつ。己の命を守り抜くことだ。
暗殺者の、追撃が、来る。一瞬でそれを理解した彼女は、刃物が線を描いた方向に足を振り上げた。彼女の咄嗟の蹴りは、刃物を握っていた手首を捕らえる。闇夜の中、カラン、とバルコニーに刃物が落ちる音が反響した。アリアリーナはすぐさまその刃物を拾い上げ、襲い来る連続攻撃をなんとか弾き返す。
「誰かっ!!!!!」
アリアリーナは、腹の底から声を張り上げた。夜遅い時間帯、誰もが寝静まっている。気づいてくれないかもしれない。だが、声を上げないよりかは可能性がある。暗殺術を学んだ彼女とはいえど、相手は〝殺し〟を本業とする手馴れの暗殺者だ。ひとりで応戦し続けるのにはさすがに限界がある。
暗殺者が意固地になり、刃物を持つ手に力を込めてより一層の打撃を打ち込んだその時、突如として暗殺者がその場に倒れ込んだ。一瞬で意識を飛ばされたらしい。
「アリアっ!」
アリアリーナを助けたのは、レイだった。彼女を殺すのに必死になった暗殺者の意識を、いとも簡単に飛ばして見せたのだ。彼女も感嘆せざるを得ないレイの技。斬られた腕を心配するレイを見つめ呆気に取られたまま、バルコニーに座り込んでいると――。
「皇女殿下……?」
第三者の、声が聞こえた。レースのカーテンが風で舞い上がり、部屋の中にいたヴィルヘルムが姿を現す。レイが客室に入り開けっ放しにした扉から、彼も偶然顔を出したのだろう。彼はアリアリーナの腕から流れる血を視界に入れると、大きく目を開いた。眉間に皺が寄り、無の表情に段々と怒りが込められていく。彼は瞬時にアリアリーナに駆け寄り、彼女の腕を優しく掴んだ。自身が着ているシャツを片手で破り、彼女の傷口に押し当てる。
「……れ……か?」
「え?」
「誰ですか? あなたにこのような仕打ちをしたのは」
ブルーダイヤモンド色の瞳が憤怒に満ちた。滅多に感情を乱さないヴィルヘルムが怒る姿を前にして、アリアリーナは絶句した。
なぜ、そこまで怒っているのか。一度目の人生では、彼女が怪我をした時だって、病気で寝込んだ時だって、少しも心配なんてしてくれなかったというのに。どうして、どうして、諦めようと躍起になっている今になって……。
自身を静かに見下ろすヴィルヘルムの顔が脳裏に過ぎると共に、アリアリーナは彼を突き放した。
「触らないでくれる? 汚いわ」
(私が、汚いの。穢れているの。あなたを愛してしまった私が、悪いのよ)
アリアリーナは立ち上がり、血の付着した布をその場に捨てる。
「レイ、その暗殺者が持ちうる情報を聞き出してちょうだい。手段は厭わないわ」
「……かしこまりました。ですが姫様、先に傷口の手当をいたしましょう」
レイは「失礼します」と告げて、アリアリーナの腕にそっと触れる。拒絶しない彼女を見て、ヴィルヘルムはきゅっと唇を閉じたのだった。
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