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第16話 想定外なのですが
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皇都の中心部に位置する皇城を出た日の夕刻。ツィンクラウン帝国で最も栄えているとされる城下町。そこを抜けた先に存在する高級ホテルに宿泊する。
支配人の男の案内により、裏口から通され、上階まで直結する階段を上る。そこは、関係者しか立ち入ることの許されない場所であった。一般客とも相見えることなく、上階の一室に到着したアリアリーナは、レイと共に部屋をくまなくチェックする。何か不自然な場所はないか。魔法などが施されている可能性はないか。調べ終わったアリアリーナは、ようやく大きなソファーでひと息ついた。
「おかしなところはなさそうですね、姫様」
「いいえ、ひとつだけあるわよ」
レイの言葉を否定したアリアリーナは、両開きの扉付近に視線を向ける。扉の前に佇んでいたのは、なんとヴィルヘルムだった。空気になりきっていたつもりだったのだろうか。残念ながら、高い身長に整った顔立ち、圧倒たるオーラを纏う彼では、空気になりきることは不可能に近いだろう。
「なぜまだ、あなたがいるのかしら」
アリアリーナは容赦なく睥睨する。
確かに彼女は、ヴィルヘルムに対して「帰れ」と忠告したはずだ。彼女の言いつけ通り、すっかり帰ったものだと思い込んでいたが、ヴィルヘルムはちゃっかりと彼女が乗る馬車に、愛馬を用意してまでもついてきていたらしい。
アリアリーナは、ヴィルヘルムを諦めることを決意した。それは今も変わらないし、これからも変わらない。彼も彼で、狂気じみた執着からようやく逃れられるというのに、なぜそれをありがたく享受しないのか。流れに逆らおうとするのか。アリアリーナが枷の鍵を開け解放したのに、ヴィルヘルムはなかなか枷から足や手を抜こうとはしない。未だ、アリアリーナが離れていったことに戸惑っているのだろうか。それにしては、あまりにも戸惑いの期間が長すぎやしないか。
「今も、昔も、思い通りにいかないものね……」
呆れ混じりに溜息を吐く。窓から射し込む夕日の光に照らされるのは、哀愁じみたアリアリーナの美しい顔であった。ツィンクラウン帝国はもちろん、他国でも噂になるほどの悪女が浮かべる表情とは到底思えない。ヴィルヘルムは瞠若しながら、彼女を見つめる。
「いてもらっても、邪魔になるだけなのに」
まさかヴィルヘルムが自身に見惚れているとはつゆ知らず、アリアリーナは額に手を添え痛む頭を擦った。心の声が次から次へと漏れ出てしまう。それも仕方がないだろう。彼女にとって、ヴィルヘルムが異様に自分に構うというのはイレギュラーな事態だからだ。さすがに想定外にもほどがあろう。
生と死の境界線、夢と現実の狭間で現れたルイドという男、そして神が定めた運命は、なんとしてでも彼女にヴィルヘルムを殺させたいのだろうか。愛と、自らの生。どちらを選び取るのか、賭けをして楽しんでいるというわけか。自分よりもよっぽど悪趣味だと結論づけたアリアリーナは、再びヴィルヘルムを睨みつけた。
「今からでも帰ってくださる?」
「………………」
「慈悲なんてものはあなたには必要ないわ。ディオレント王国に行くのは、私だけで十分」
アリアリーナが冷酷な視線を向ける。オパールグリーンの瞳には、はっきりとした瞋恚が込められていた。
ヴィルヘルムの同行は、必要ない。護衛など、暗殺者一族エルンドレ家の後継者であるレイだけで十分だ。それにアリアリーナも一連の暗殺技術はある程度身についているし、呪術も持ち合わせている。思わぬ敵からの襲撃にも対処することはできる。
さっさと首を縦に振ってほしいのだが、彼女の願いは届かず。ヴィルヘルムは首を左右に振ってしまった。それを見たアリアリーナは、「そう」と冷たく呟き、腰を上げる。ヴィルヘルムのもとに、一直線に向かった。
「その気になれば、無理にでもあなたをグリエンド公爵城に返すことができるの。ねぇ、この意味が分かる?」
(きっとあなたは分からない)
アリアリーナはヴィルヘルムの両肩に両手をかけ、肩口に顔を寄せながらほくそ笑む。
無理にでも城に返す。これは、呪術をかけるという意味だ。「己の城に帰る」という目的を達成するまで、自我を失う。現存するリンドル家の呪術の中でも、高等な呪術として位置づけられるそれを、アリアリーナはやってのけてしまうのだ。もちろんそれなりの技術などが必要だが。彼女にまさかそんな力が隠されているとも知らないヴィルヘルムは、かぶりを振った。
「分からないので、教えてください。皇女殿下」
するり。腰に大きな手が回る。アリアリーナはピクリと肩を跳ね上がらせる。先に近寄ったのは彼女のほうだが、ヴィルヘルムが距離を詰めてくるのは想定外だ。もさ冗談だ、と誤魔化して離れようと試みるも、まったく動かない。力の強さに、戦慄する。
「俺をどのようにして、城に帰すのですか?」
ヴィルヘルムの低い声が直接脳内に反響した。
支配人の男の案内により、裏口から通され、上階まで直結する階段を上る。そこは、関係者しか立ち入ることの許されない場所であった。一般客とも相見えることなく、上階の一室に到着したアリアリーナは、レイと共に部屋をくまなくチェックする。何か不自然な場所はないか。魔法などが施されている可能性はないか。調べ終わったアリアリーナは、ようやく大きなソファーでひと息ついた。
「おかしなところはなさそうですね、姫様」
「いいえ、ひとつだけあるわよ」
レイの言葉を否定したアリアリーナは、両開きの扉付近に視線を向ける。扉の前に佇んでいたのは、なんとヴィルヘルムだった。空気になりきっていたつもりだったのだろうか。残念ながら、高い身長に整った顔立ち、圧倒たるオーラを纏う彼では、空気になりきることは不可能に近いだろう。
「なぜまだ、あなたがいるのかしら」
アリアリーナは容赦なく睥睨する。
確かに彼女は、ヴィルヘルムに対して「帰れ」と忠告したはずだ。彼女の言いつけ通り、すっかり帰ったものだと思い込んでいたが、ヴィルヘルムはちゃっかりと彼女が乗る馬車に、愛馬を用意してまでもついてきていたらしい。
アリアリーナは、ヴィルヘルムを諦めることを決意した。それは今も変わらないし、これからも変わらない。彼も彼で、狂気じみた執着からようやく逃れられるというのに、なぜそれをありがたく享受しないのか。流れに逆らおうとするのか。アリアリーナが枷の鍵を開け解放したのに、ヴィルヘルムはなかなか枷から足や手を抜こうとはしない。未だ、アリアリーナが離れていったことに戸惑っているのだろうか。それにしては、あまりにも戸惑いの期間が長すぎやしないか。
「今も、昔も、思い通りにいかないものね……」
呆れ混じりに溜息を吐く。窓から射し込む夕日の光に照らされるのは、哀愁じみたアリアリーナの美しい顔であった。ツィンクラウン帝国はもちろん、他国でも噂になるほどの悪女が浮かべる表情とは到底思えない。ヴィルヘルムは瞠若しながら、彼女を見つめる。
「いてもらっても、邪魔になるだけなのに」
まさかヴィルヘルムが自身に見惚れているとはつゆ知らず、アリアリーナは額に手を添え痛む頭を擦った。心の声が次から次へと漏れ出てしまう。それも仕方がないだろう。彼女にとって、ヴィルヘルムが異様に自分に構うというのはイレギュラーな事態だからだ。さすがに想定外にもほどがあろう。
生と死の境界線、夢と現実の狭間で現れたルイドという男、そして神が定めた運命は、なんとしてでも彼女にヴィルヘルムを殺させたいのだろうか。愛と、自らの生。どちらを選び取るのか、賭けをして楽しんでいるというわけか。自分よりもよっぽど悪趣味だと結論づけたアリアリーナは、再びヴィルヘルムを睨みつけた。
「今からでも帰ってくださる?」
「………………」
「慈悲なんてものはあなたには必要ないわ。ディオレント王国に行くのは、私だけで十分」
アリアリーナが冷酷な視線を向ける。オパールグリーンの瞳には、はっきりとした瞋恚が込められていた。
ヴィルヘルムの同行は、必要ない。護衛など、暗殺者一族エルンドレ家の後継者であるレイだけで十分だ。それにアリアリーナも一連の暗殺技術はある程度身についているし、呪術も持ち合わせている。思わぬ敵からの襲撃にも対処することはできる。
さっさと首を縦に振ってほしいのだが、彼女の願いは届かず。ヴィルヘルムは首を左右に振ってしまった。それを見たアリアリーナは、「そう」と冷たく呟き、腰を上げる。ヴィルヘルムのもとに、一直線に向かった。
「その気になれば、無理にでもあなたをグリエンド公爵城に返すことができるの。ねぇ、この意味が分かる?」
(きっとあなたは分からない)
アリアリーナはヴィルヘルムの両肩に両手をかけ、肩口に顔を寄せながらほくそ笑む。
無理にでも城に返す。これは、呪術をかけるという意味だ。「己の城に帰る」という目的を達成するまで、自我を失う。現存するリンドル家の呪術の中でも、高等な呪術として位置づけられるそれを、アリアリーナはやってのけてしまうのだ。もちろんそれなりの技術などが必要だが。彼女にまさかそんな力が隠されているとも知らないヴィルヘルムは、かぶりを振った。
「分からないので、教えてください。皇女殿下」
するり。腰に大きな手が回る。アリアリーナはピクリと肩を跳ね上がらせる。先に近寄ったのは彼女のほうだが、ヴィルヘルムが距離を詰めてくるのは想定外だ。もさ冗談だ、と誤魔化して離れようと試みるも、まったく動かない。力の強さに、戦慄する。
「俺をどのようにして、城に帰すのですか?」
ヴィルヘルムの低い声が直接脳内に反響した。
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