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第129話 騎士王は村に行く
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ヘティリガ帝国の皇都の地に降りゆくのは、雪。さすがに地面に積もりはしないだろうが、建物の屋根を白く染めるくらいには降っている。
ルカは先日、ヴィオレッタの侍女であるマナに、ルクアーデ公爵家で雇っていた侍女や医者の名簿を入手してほしいと頼んだ。一週間もしないうちに、マナから届けられたのは、数枚の名簿とルクアーデ先代公爵のサインが記された契約書であった。しかも名簿には、ルクアーデ公爵夫人の最も傍に仕えていた侍女の名と、ルクアーデ公爵夫人が病を発症した頃から亡くなるまで、彼女を担当していた医者の名に、ご丁寧に赤線が引いてあったのだ。あまりにも仕事が早いマナにルカは内心驚きながらも、無理に連休をもぎ取り、お目当ての人物に接触するため皇都を出発する。
ルクアーデ公爵夫人が亡くなった直後、退職した側近の侍女はただひとり。ほかの侍女たちの大半が、ルクアーデ公爵家が子爵家に没落した頃に退職しているのにも関わらず、その侍女だけ夫人が亡くなった直後に辞めているのであった。
ルカはまず、医者に接触をするべく、皇都と南側の領地を隔てる境付近に向かった。マナからの情報によれば、小さな村の担当医として勤めているらしいが、それは確かではない。ルカは長期戦になることを予想しつつも、どうにかそこにいてくれと希望を託した。
ただひたすらに馬を走らせ、到着した場所は、皇都の中心街とは程遠い、貧しい村であった。
「あなたは……」
愛馬ではなく黒馬から降りた時、ルカの姿を見て唖然と佇む年若い男を発見した。筋肉が隆々と浮き出た美しい馬を撫でつつ、男に接近をする。
「ヘティリガ騎士団《四騎士》がひとり、ルカ・リート・ティサレム・グリディアードだ」
「《四騎士》様……。な、なぜ、そんな方がここにっ?」
小柄な男は震え上がりながら、ルカに尋ねる。
平民からすれば、ヘティリガの誇り高き騎士たちを見ることすら難しい。それが《四騎士》となれば、一生のうちにお目にかかれる可能性は、大幅に下がるのだ。皇都外の平民から神格化されていると言っても過言ではない《四騎士》のひとりである騎士王が、突如として村を訪ねてきた。それはもう男にとっては、今日が命日なのかと悟るほどの大事だ。そうとも知らないルカは、ほかの《四騎士》に比べ、己の評判は低いのかと、ほんの少しだけ傷心した。気を取り直して、本来の目的を話す。
「マクスという医者の男を知っているか」
「ま、マクス、ですか? お、俺は知りませんが……村長なら何か知っているかもしれません」
「案内しろ」
ルカの一言に、男は「ひっ」と恐れる声を上げる。ルカのやることなすこと全てに対して、男は恐怖を抱かずにはいられない。少しでも無礼な行いをしてしまえば、男の命は消え去ってしまうかもしれないから。男は恐る恐る、ルカの腰に携えられた黒剣を見遣り、ゴクリと息を呑んだ。
「こ、こちらですっ……!」
男は勢いよく背を向け、ルカを案内し始める。ルカは、一定の距離を保ち、男の背を追った。行き交う村人はルカの姿を目撃するなり、血相を変えて頭を下げる。まさか《四騎士》がひとり騎士王とは誰も思っていないが、ルカの身なりや立ち居振る舞いからして、貴族出身の騎士であることは一目瞭然であった。
「わ~! きしさまだ~!」
母親の腕から抜け出した男の子がルカに駆け寄り、その長い足に思いっきり抱きついた。ルカに頭を垂れていた村人たちは、顔を真っ青に染め尽くす。母親は瞬時に男の子をルカから引き剥がし、その場で土下座をする。
「も、申し訳ございませんっ!!! ど、どうかっ、どうか命だけはお助けくださいっ!!! どうしてもと言われるのであれば、わ、私がっ、私がこの命をもって懺悔いたしますっ!!!」
母親は悲痛に叫び、青白い額を地面の土に擦りつける。男の子はキョトンとした表情で、母親とルカを交互に見つめていた。ヴィオレッタと似た黄色の大きな眼は、生命の灯火を表すかの如く、美しく煌めいていた。ルカは体の向きを変え、静かに男の子に向き直る。
「名はなんという」
「ルシオ……」
男の子は、素直に自分の名を伝えた。母親は肩を震わせ、頭を下げ続ける。ルカはルシオの瞳の美しさを刮目する。ルシオは怯えず、ルカと真っ向から対峙した。
「騎士たる者、最期の最期まで敵を滅ぼせ。四肢が捥げようとも、心の臓を貫かれようとも、決して膝をつくな。剣を振るう手を止めるな。魂滅びゆくまで、命尽きる終焉の瞬間まで、己の務めをまっとうしろ」
ルカの言葉に、ルシオの母親はゆっくりと頭を上げる。彼女だけではなくほかの村人たちも面を上げ、騎士王と小さな騎士見習いを注視した。
「ルシオ、お前にそれができるか」
「できる! ルシオ、がんばる!」
ルカが放った言葉、初代《四騎士》のひとりであり初代騎士団長でもあった騎士の言葉の意味を理解しているのかは分からないが、ルシオは元気よく手を挙げて返事をした。穢れなどない、純粋無垢な眼差しに絆されたルカは、ルシオの頭を乱暴に撫でる。その美貌には、優しい微笑みが湛えられていた。ルカはルシオから手を放し、再び歩き始める。男はほかの村人よりも一足先に我に返り、案内を再開した。村人たちは眼前で繰り広げられた一部始終に対して、絶句するほかない。ルシオの母親があまりの慈悲に涙する隣で、ルシオはルカのたくましい背中を見つめ続けていた。
ルカからしたら、ただの戯れかもしれない。しかしルシオにとっては、間違いなく己の人生を左右することとなる偉大な人との出会いとであった。
ルカは先日、ヴィオレッタの侍女であるマナに、ルクアーデ公爵家で雇っていた侍女や医者の名簿を入手してほしいと頼んだ。一週間もしないうちに、マナから届けられたのは、数枚の名簿とルクアーデ先代公爵のサインが記された契約書であった。しかも名簿には、ルクアーデ公爵夫人の最も傍に仕えていた侍女の名と、ルクアーデ公爵夫人が病を発症した頃から亡くなるまで、彼女を担当していた医者の名に、ご丁寧に赤線が引いてあったのだ。あまりにも仕事が早いマナにルカは内心驚きながらも、無理に連休をもぎ取り、お目当ての人物に接触するため皇都を出発する。
ルクアーデ公爵夫人が亡くなった直後、退職した側近の侍女はただひとり。ほかの侍女たちの大半が、ルクアーデ公爵家が子爵家に没落した頃に退職しているのにも関わらず、その侍女だけ夫人が亡くなった直後に辞めているのであった。
ルカはまず、医者に接触をするべく、皇都と南側の領地を隔てる境付近に向かった。マナからの情報によれば、小さな村の担当医として勤めているらしいが、それは確かではない。ルカは長期戦になることを予想しつつも、どうにかそこにいてくれと希望を託した。
ただひたすらに馬を走らせ、到着した場所は、皇都の中心街とは程遠い、貧しい村であった。
「あなたは……」
愛馬ではなく黒馬から降りた時、ルカの姿を見て唖然と佇む年若い男を発見した。筋肉が隆々と浮き出た美しい馬を撫でつつ、男に接近をする。
「ヘティリガ騎士団《四騎士》がひとり、ルカ・リート・ティサレム・グリディアードだ」
「《四騎士》様……。な、なぜ、そんな方がここにっ?」
小柄な男は震え上がりながら、ルカに尋ねる。
平民からすれば、ヘティリガの誇り高き騎士たちを見ることすら難しい。それが《四騎士》となれば、一生のうちにお目にかかれる可能性は、大幅に下がるのだ。皇都外の平民から神格化されていると言っても過言ではない《四騎士》のひとりである騎士王が、突如として村を訪ねてきた。それはもう男にとっては、今日が命日なのかと悟るほどの大事だ。そうとも知らないルカは、ほかの《四騎士》に比べ、己の評判は低いのかと、ほんの少しだけ傷心した。気を取り直して、本来の目的を話す。
「マクスという医者の男を知っているか」
「ま、マクス、ですか? お、俺は知りませんが……村長なら何か知っているかもしれません」
「案内しろ」
ルカの一言に、男は「ひっ」と恐れる声を上げる。ルカのやることなすこと全てに対して、男は恐怖を抱かずにはいられない。少しでも無礼な行いをしてしまえば、男の命は消え去ってしまうかもしれないから。男は恐る恐る、ルカの腰に携えられた黒剣を見遣り、ゴクリと息を呑んだ。
「こ、こちらですっ……!」
男は勢いよく背を向け、ルカを案内し始める。ルカは、一定の距離を保ち、男の背を追った。行き交う村人はルカの姿を目撃するなり、血相を変えて頭を下げる。まさか《四騎士》がひとり騎士王とは誰も思っていないが、ルカの身なりや立ち居振る舞いからして、貴族出身の騎士であることは一目瞭然であった。
「わ~! きしさまだ~!」
母親の腕から抜け出した男の子がルカに駆け寄り、その長い足に思いっきり抱きついた。ルカに頭を垂れていた村人たちは、顔を真っ青に染め尽くす。母親は瞬時に男の子をルカから引き剥がし、その場で土下座をする。
「も、申し訳ございませんっ!!! ど、どうかっ、どうか命だけはお助けくださいっ!!! どうしてもと言われるのであれば、わ、私がっ、私がこの命をもって懺悔いたしますっ!!!」
母親は悲痛に叫び、青白い額を地面の土に擦りつける。男の子はキョトンとした表情で、母親とルカを交互に見つめていた。ヴィオレッタと似た黄色の大きな眼は、生命の灯火を表すかの如く、美しく煌めいていた。ルカは体の向きを変え、静かに男の子に向き直る。
「名はなんという」
「ルシオ……」
男の子は、素直に自分の名を伝えた。母親は肩を震わせ、頭を下げ続ける。ルカはルシオの瞳の美しさを刮目する。ルシオは怯えず、ルカと真っ向から対峙した。
「騎士たる者、最期の最期まで敵を滅ぼせ。四肢が捥げようとも、心の臓を貫かれようとも、決して膝をつくな。剣を振るう手を止めるな。魂滅びゆくまで、命尽きる終焉の瞬間まで、己の務めをまっとうしろ」
ルカの言葉に、ルシオの母親はゆっくりと頭を上げる。彼女だけではなくほかの村人たちも面を上げ、騎士王と小さな騎士見習いを注視した。
「ルシオ、お前にそれができるか」
「できる! ルシオ、がんばる!」
ルカが放った言葉、初代《四騎士》のひとりであり初代騎士団長でもあった騎士の言葉の意味を理解しているのかは分からないが、ルシオは元気よく手を挙げて返事をした。穢れなどない、純粋無垢な眼差しに絆されたルカは、ルシオの頭を乱暴に撫でる。その美貌には、優しい微笑みが湛えられていた。ルカはルシオから手を放し、再び歩き始める。男はほかの村人よりも一足先に我に返り、案内を再開した。村人たちは眼前で繰り広げられた一部始終に対して、絶句するほかない。ルシオの母親があまりの慈悲に涙する隣で、ルシオはルカのたくましい背中を見つめ続けていた。
ルカからしたら、ただの戯れかもしれない。しかしルシオにとっては、間違いなく己の人生を左右することとなる偉大な人との出会いとであった。
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