上 下
125 / 168

第125話 悪女は覚悟を決める

しおりを挟む
 初冬。肌を刺すような寒気が訪れた頃。ヴィオレッタとルカが婚約を解消したという噂は、瞬く間にヘティリガ帝国中へと広まった。障害を乗り越え結ばれたふたりが秒読みとも言える早い期間で破局したことに対して、帝国中では様々な憶測が飛び交っていた。方向性の相違で別れただとか、心を通わせたのはいいものの体の相性がよくなかっただとか。だが最も有力視されたのは、やはりヴィオレッタは噂通りの悪女であったという説だ。ヴィオレッタは長年の間、悪女として名を馳せていた。今さらその悪名を払拭することは難しいため、その説が最も有力視されているのだろう。実際は、もっと重く辛い理由であるが。
 ヴィオレッタが公爵令嬢の立場を取り戻す代わりに失ったのは、ルカという愛する存在だった。本来の地位を手に入れ、父親の汚名を返上することにも成功し、そしてルカと結ばれ真の幸せを授かった。しかしそんな幸せは、一瞬のうちにして崩壊したのだ。あの時間が、全て夢であったかのように――。

「お嬢様、おはようございます。もう朝と呼べる時間は過ぎちゃってますけどね」

 瞼を上げたあとぼやける視界に飛び込んできたのは、白い光たち。冬が始まったというのに、体がポカポカと温かいことに気がつく。ベッドに寝そべったまま、暖炉を見遣ると、赤い炎が華麗なる火花を散らしていた。恐らく、マナが火を起こしてくれたのだろう。

「早く起きてください。塞ぎ込むのも、もう今日で終わりですよ」
「…………分かってるわ」

 ヴィオレッタは返事をして、渋々上体を起こす。反射的に頭を押さえた。寝すぎたせいか、それともあまり眠れていないせいか、頭痛がする。マナは頭を押さえて悶えるヴィオレッタに駆け寄り、すぐにコップに水を注いでそれを彼女に差し出した。ヴィオレッタは震える手でそれを受け取り、一気に飲み干す。砂漠の如く乾ききった喉が潤っていく感覚は、気持ちがよかった。
 マナは卒然と、ヴィオレッタの手を握りしめる。刃物を握り慣れたマナの手は、女性の手だと言い切るのはいささか難しい。しかし、ヴィオレッタはそんな彼女の固い手が好きであった。マナはグッと手に力を込める。

「お嬢様は……グリディアード公爵令息もグリディアード公爵と共犯であると、思いますか?」
「質問を質問で返すようで悪いけど、あなたはどう思ってるの?」

 ヴィオレッタの切り返しに、マナは静かに瞠目した。クリーム色の眼が悲哀を映す。

「認めたくはありませんが、私はそうとは思いません。お嬢様しか見えていない良くも悪くも視野の狭いあの方が、グリディアード公爵に黙って従っているとは思えないのです……」

 マナの本音を聞いたヴィオレッタは、ひとつ頷く。貶しているのか、褒めているのか分からない言葉だが、マナなりに様々なことを考えたのだろう。
 いい意味でも悪い意味でも馬鹿正直なルカが、最初からヴィオレッタを騙していたとは考えにくい。ルカもヴィオレッタ同様、つい最近まで真実を知らなかった。もしくは、真実を知っていたが、グリディアード公爵に脅されるかして、黙らざるを得ない状況にあったか。そのどちらかだとヴィオレッタは推測している。
 考え込むヴィオレッタを見て、マナは口を開く。

「グリディアード公爵家から無事に帰還されたお嬢様の反応を見た時、あの地下室を見たのだろうと思いました。お嬢様にとっては、悲しく受け入れ難い現実ですよね……」

 グリディアード公爵城の地下室で見た光景がフラッシュバックする。人生で初めて味わった恐怖が蘇り、ヴィオレッタの心を喰い荒らす。小刻みに振動するヴィオレッタの手をマナは強く強く握る。その震えごと、握り潰すかのように。

「でも、前を向かなきゃ。グリディアード公爵令息のためにも、なんとかして、グリディアード公爵の罪を白日の下に晒しましょう」

 昂然たる姿に、ヴィオレッタは圧倒されると同時に、メラメラと燃える感情が胸の奥に湧き起こるのを感じる。
 マナの言う通りだ。婚約破棄されたからと呑気に泣いている場合ではない。グリディアード公爵とルカは、血が繋がっている親子というだけで、全く別の人間だ。グリディアード公爵が狂っているからルカも同じであると、一概に言えるわけではないのだから。

「必ず、グリディアード公爵に代償を払わせるわ」

 ヴィオレッタのまっすぐな言葉に、マナは無邪気な笑顔を浮かべて頷いた。マナのおかげで、己のやるべきことをしっかりと自覚したヴィオレッタは、覚悟を決める。

(ルカは、私が助ける)
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【完結】婚約者が好きなのです

maruko
恋愛
リリーベルの婚約者は誰にでも優しいオーラン・ドートル侯爵令息様。 でもそんな優しい婚約者がたった一人に対してだけ何故か冷たい。 冷たくされてるのはアリー・メーキリー侯爵令嬢。 彼の幼馴染だ。 そんなある日。偶然アリー様がこらえきれない涙を流すのを見てしまった。見つめる先には婚約者の姿。 私はどうすればいいのだろうか。 全34話(番外編含む) ※他サイトにも投稿しております ※1話〜4話までは文字数多めです 注)感想欄は全話読んでから閲覧ください(汗)

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?

せいめ
恋愛
 政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。  喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。  そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。  その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。  閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。  でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。  家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。  その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。    まずは亡くなったはずの旦那様との話から。      ご都合主義です。  設定は緩いです。  誤字脱字申し訳ありません。  主人公の名前を途中から間違えていました。  アメリアです。すみません。    

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

いつかの空を見る日まで

たつみ
恋愛
皇命により皇太子の婚約者となったカサンドラ。皇太子は彼女に無関心だったが、彼女も皇太子には無関心。婚姻する気なんてさらさらなく、逃げることだけ考えている。忠実な従僕と逃げる準備を進めていたのだが、不用意にも、皇太子の彼女に対する好感度を上げてしまい、執着されるはめに。複雑な事情がある彼女に、逃亡中止は有り得ない。生きるも死ぬもどうでもいいが、皇宮にだけはいたくないと、従僕と2人、ついに逃亡を決行するのだが。 ------------ 復讐、逆転ものではありませんので、それをご期待のかたはご注意ください。 悲しい内容が苦手というかたは、特にご注意ください。 中世・近世の欧風な雰囲気ですが、それっぽいだけです。 どんな展開でも、どんと来いなかた向けかもしれません。 (うわあ…ぇう~…がはっ…ぇえぇ~…となるところもあります) 他サイトでも掲載しています。

婚約破棄の前日に

豆狸
恋愛
──お帰りください、側近の操り人形殿下。 私はもう、お人形遊びは卒業したのです。

処理中です...