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第125話 悪女は覚悟を決める
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初冬。肌を刺すような寒気が訪れた頃。ヴィオレッタとルカが婚約を解消したという噂は、瞬く間にヘティリガ帝国中へと広まった。障害を乗り越え結ばれたふたりが秒読みとも言える早い期間で破局したことに対して、帝国中では様々な憶測が飛び交っていた。方向性の相違で別れただとか、心を通わせたのはいいものの体の相性がよくなかっただとか。だが最も有力視されたのは、やはりヴィオレッタは噂通りの悪女であったという説だ。ヴィオレッタは長年の間、悪女として名を馳せていた。今さらその悪名を払拭することは難しいため、その説が最も有力視されているのだろう。実際は、もっと重く辛い理由であるが。
ヴィオレッタが公爵令嬢の立場を取り戻す代わりに失ったのは、ルカという愛する存在だった。本来の地位を手に入れ、父親の汚名を返上することにも成功し、そしてルカと結ばれ真の幸せを授かった。しかしそんな幸せは、一瞬のうちにして崩壊したのだ。あの時間が、全て夢であったかのように――。
「お嬢様、おはようございます。もう朝と呼べる時間は過ぎちゃってますけどね」
瞼を上げたあとぼやける視界に飛び込んできたのは、白い光たち。冬が始まったというのに、体がポカポカと温かいことに気がつく。ベッドに寝そべったまま、暖炉を見遣ると、赤い炎が華麗なる火花を散らしていた。恐らく、マナが火を起こしてくれたのだろう。
「早く起きてください。塞ぎ込むのも、もう今日で終わりですよ」
「…………分かってるわ」
ヴィオレッタは返事をして、渋々上体を起こす。反射的に頭を押さえた。寝すぎたせいか、それともあまり眠れていないせいか、頭痛がする。マナは頭を押さえて悶えるヴィオレッタに駆け寄り、すぐにコップに水を注いでそれを彼女に差し出した。ヴィオレッタは震える手でそれを受け取り、一気に飲み干す。砂漠の如く乾ききった喉が潤っていく感覚は、気持ちがよかった。
マナは卒然と、ヴィオレッタの手を握りしめる。刃物を握り慣れたマナの手は、女性の手だと言い切るのはいささか難しい。しかし、ヴィオレッタはそんな彼女の固い手が好きであった。マナはグッと手に力を込める。
「お嬢様は……グリディアード公爵令息もグリディアード公爵と共犯であると、思いますか?」
「質問を質問で返すようで悪いけど、あなたはどう思ってるの?」
ヴィオレッタの切り返しに、マナは静かに瞠目した。クリーム色の眼が悲哀を映す。
「認めたくはありませんが、私はそうとは思いません。お嬢様しか見えていない良くも悪くも視野の狭いあの方が、グリディアード公爵に黙って従っているとは思えないのです……」
マナの本音を聞いたヴィオレッタは、ひとつ頷く。貶しているのか、褒めているのか分からない言葉だが、マナなりに様々なことを考えたのだろう。
いい意味でも悪い意味でも馬鹿正直なルカが、最初からヴィオレッタを騙していたとは考えにくい。ルカもヴィオレッタ同様、つい最近まで真実を知らなかった。もしくは、真実を知っていたが、グリディアード公爵に脅されるかして、黙らざるを得ない状況にあったか。そのどちらかだとヴィオレッタは推測している。
考え込むヴィオレッタを見て、マナは口を開く。
「グリディアード公爵家から無事に帰還されたお嬢様の反応を見た時、あの地下室を見たのだろうと思いました。お嬢様にとっては、悲しく受け入れ難い現実ですよね……」
グリディアード公爵城の地下室で見た光景がフラッシュバックする。人生で初めて味わった恐怖が蘇り、ヴィオレッタの心を喰い荒らす。小刻みに振動するヴィオレッタの手をマナは強く強く握る。その震えごと、握り潰すかのように。
「でも、前を向かなきゃ。グリディアード公爵令息のためにも、なんとかして、グリディアード公爵の罪を白日の下に晒しましょう」
昂然たる姿に、ヴィオレッタは圧倒されると同時に、メラメラと燃える感情が胸の奥に湧き起こるのを感じる。
マナの言う通りだ。婚約破棄されたからと呑気に泣いている場合ではない。グリディアード公爵とルカは、血が繋がっている親子というだけで、全く別の人間だ。グリディアード公爵が狂っているからルカも同じであると、一概に言えるわけではないのだから。
「必ず、グリディアード公爵に代償を払わせるわ」
ヴィオレッタのまっすぐな言葉に、マナは無邪気な笑顔を浮かべて頷いた。マナのおかげで、己のやるべきことをしっかりと自覚したヴィオレッタは、覚悟を決める。
(ルカは、私が助ける)
ヴィオレッタが公爵令嬢の立場を取り戻す代わりに失ったのは、ルカという愛する存在だった。本来の地位を手に入れ、父親の汚名を返上することにも成功し、そしてルカと結ばれ真の幸せを授かった。しかしそんな幸せは、一瞬のうちにして崩壊したのだ。あの時間が、全て夢であったかのように――。
「お嬢様、おはようございます。もう朝と呼べる時間は過ぎちゃってますけどね」
瞼を上げたあとぼやける視界に飛び込んできたのは、白い光たち。冬が始まったというのに、体がポカポカと温かいことに気がつく。ベッドに寝そべったまま、暖炉を見遣ると、赤い炎が華麗なる火花を散らしていた。恐らく、マナが火を起こしてくれたのだろう。
「早く起きてください。塞ぎ込むのも、もう今日で終わりですよ」
「…………分かってるわ」
ヴィオレッタは返事をして、渋々上体を起こす。反射的に頭を押さえた。寝すぎたせいか、それともあまり眠れていないせいか、頭痛がする。マナは頭を押さえて悶えるヴィオレッタに駆け寄り、すぐにコップに水を注いでそれを彼女に差し出した。ヴィオレッタは震える手でそれを受け取り、一気に飲み干す。砂漠の如く乾ききった喉が潤っていく感覚は、気持ちがよかった。
マナは卒然と、ヴィオレッタの手を握りしめる。刃物を握り慣れたマナの手は、女性の手だと言い切るのはいささか難しい。しかし、ヴィオレッタはそんな彼女の固い手が好きであった。マナはグッと手に力を込める。
「お嬢様は……グリディアード公爵令息もグリディアード公爵と共犯であると、思いますか?」
「質問を質問で返すようで悪いけど、あなたはどう思ってるの?」
ヴィオレッタの切り返しに、マナは静かに瞠目した。クリーム色の眼が悲哀を映す。
「認めたくはありませんが、私はそうとは思いません。お嬢様しか見えていない良くも悪くも視野の狭いあの方が、グリディアード公爵に黙って従っているとは思えないのです……」
マナの本音を聞いたヴィオレッタは、ひとつ頷く。貶しているのか、褒めているのか分からない言葉だが、マナなりに様々なことを考えたのだろう。
いい意味でも悪い意味でも馬鹿正直なルカが、最初からヴィオレッタを騙していたとは考えにくい。ルカもヴィオレッタ同様、つい最近まで真実を知らなかった。もしくは、真実を知っていたが、グリディアード公爵に脅されるかして、黙らざるを得ない状況にあったか。そのどちらかだとヴィオレッタは推測している。
考え込むヴィオレッタを見て、マナは口を開く。
「グリディアード公爵家から無事に帰還されたお嬢様の反応を見た時、あの地下室を見たのだろうと思いました。お嬢様にとっては、悲しく受け入れ難い現実ですよね……」
グリディアード公爵城の地下室で見た光景がフラッシュバックする。人生で初めて味わった恐怖が蘇り、ヴィオレッタの心を喰い荒らす。小刻みに振動するヴィオレッタの手をマナは強く強く握る。その震えごと、握り潰すかのように。
「でも、前を向かなきゃ。グリディアード公爵令息のためにも、なんとかして、グリディアード公爵の罪を白日の下に晒しましょう」
昂然たる姿に、ヴィオレッタは圧倒されると同時に、メラメラと燃える感情が胸の奥に湧き起こるのを感じる。
マナの言う通りだ。婚約破棄されたからと呑気に泣いている場合ではない。グリディアード公爵とルカは、血が繋がっている親子というだけで、全く別の人間だ。グリディアード公爵が狂っているからルカも同じであると、一概に言えるわけではないのだから。
「必ず、グリディアード公爵に代償を払わせるわ」
ヴィオレッタのまっすぐな言葉に、マナは無邪気な笑顔を浮かべて頷いた。マナのおかげで、己のやるべきことをしっかりと自覚したヴィオレッタは、覚悟を決める。
(ルカは、私が助ける)
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